日だまりじゃない場所で
第104話 日だまりじゃない場所で
午前七時十二分。
「……やば」
敦は目を覚ました。
時計を見る。
もう一度見る。
「やばっ!」
布団を跳ね上げた。
昨日、日だまりを出たのは十一時近かった。
帰って風呂に入り、スマホを眺めていたところまでは覚えている。
そこから先がない。
「なんでアラーム鳴らなかったんだよ!」
スマホを確認する。
鳴っていた。
三回。
全部止めている。
「俺かよ……」
急いで顔を洗った。
*
駅まで走る。
改札を抜ける。
階段を駆け下りる。
目の前で電車のドアが閉まった。
「…………」
敦はホームに立ち尽くした。
電車が遠ざかる。
「終わった」
別に終わってはいない。
次の電車でも間に合う。
たぶん。
ギリギリ。
かなりギリギリ。
敦は息を整えながらスマホを見る。
日だまりのグループに通知が一件。
陸斗。
『今日行く』
敦は返信する。
『了解』
送信。
そして、ふと思った。
「……俺、今日も行くの?」
誰に訊いているのか分からない。
*
仕事中。
「敦君」
「はい」
「これ、今日中にお願い」
「はい」
書類が置かれる。
「あと昨日のやつ、一か所数字違ってたよ」
「えっ」
「直してあるから」
「すいません」
「最近疲れてる?」
「いや、大丈夫です」
反射的に答えた。
「ならいいけど」
相手はそれ以上何も言わず離れていった。
敦は書類を見る。
確かに数字が違う。
「……何やってんだ」
小さく呟いた。
日だまりでは、
敦さん。
敦さん。
と呼ばれる。
何かあれば訊かれる。
飯を作る。
話を聞く。
前原と相談する。
誰かが来れば迎える。
でも。
ここでは。
「敦君、コピー用紙ないよー」
「あ、はい!」
普通の会社員だった。
*
昼休み。
敦は一人で弁当を食べていた。
スマホが震える。
大和。
『今日って日だまり何時から?』
敦は箸を止めた。
『いつでも開いてると思う』
送る。
すぐ返ってくる。
『敦さんいる?』
「……」
敦は少し考えた。
『今日は分からない』
送信。
既読。
少しして、
『了解』
それだけだった。
敦はスマホを伏せた。
なぜか。
少し罪悪感があった。
*
午後六時。
仕事が終わる。
敦は会社を出た。
いつもの癖で、日だまりの方向へ向かおうとする。
数歩歩いて。
止まった。
「……」
疲れていた。
眠い。
昨日から腰も少し重い。
何より。
今日は、
誰とも喋りたくなかった。
「帰ろ」
口に出してみる。
なんだか悪いことをしている気分になった。
それでも敦は駅へ向かった。
*
午後七時十三分。
日だまり。
「敦さんは?」
陸斗が訊いた。
「知らん」
木戸が答えた。
「来ないの?」
「俺に聞くな」
「連絡は?」
「してねえ」
大和がスマホを見る。
「今日は分からないって」
「ふーん」
陸斗は少し残念そうだった。
前原が奥から出てくる。
「何だ」
「敦さん来ないって」
「そうか」
「そうか、だけ?」
「何が」
「飯どうすんの」
前原が止まる。
「……」
木戸が前原を見る。
前原が木戸を見る。
「お前作れ」
「なんで俺だ」
「俺よりマシだろ」
「嫌だよ」
「じゃあどうすんだ」
「知らん」
蒼が台所を覗いた。
「卵あるよ」
「米は?」
「ある」
「じゃあチャーハン?」
大和が言う。
「誰作るの」
全員が黙った。
*
「俺やる」
陸斗が言った。
「お前できんの?」
前原が訊く。
「チャーハンくらいできますよ」
「ほんとか?」
「たぶん」
「たぶんって言ったぞ」
「大丈夫ですって」
二十分後。
「……」
「……」
「……」
フライパンの中に、
巨大な黄色い塊があった。
前原が箸で突く。
「これ何だ」
「チャーハン」
「嘘つけ」
「チャーハンです」
「焼き飯ですらねえぞ」
「味はいいから」
木戸が一口食べた。
「……しょっぱ」
「え?」
蒼も食べる。
「しょっぱい」
大和も。
「水ほしい」
「そんな?」
陸斗が自分で食べた。
「…………しょっぱ」
「お前が言うな!」
前原の声が響いた。
笑い声が上がる。
*
その頃。
敦は自宅にいた。
コンビニで買った弁当を電子レンジに入れる。
温める。
テレビをつける。
特に見たい番組はない。
ソファに座った。
「……静かだな」
妙な感じだった。
いつもなら。
誰かが何か言っている。
冷蔵庫を勝手に開ける。
前原が怒る。
木戸が突っ込む。
陸斗と大和が言い合う。
蒼がそれを止める。
今日は何もない。
電子レンジが鳴った。
弁当を取り出す。
「いただきます」
一人で言った。
少し寂しい。
でも。
少し楽だった。
敦は、その両方を認めることにした。
*
午後八時二十七分。
スマホが震えた。
写真が一枚送られてきた。
陸斗から。
皿の上に、
何とも言えない黄色い塊。
『チャーハン』
敦は吹き出した。
『これチャーハン?』
すぐ返ってくる。
『チャーハン』
『前原さん怒ってない?』
『めっちゃ怒ってる』
さらに写真。
前原が、ものすごく嫌そうな顔で黄色い塊を食べている。
敦は声を出して笑った。
『明日は来る?』
陸斗から。
敦は画面を見る。
少し考えた。
『たぶん』
送る。
『たぶんかよ』
返ってきた。
敦はスマホを置いた。
*
翌日。
日だまりの玄関を開ける。
「おはようございます」
「遅え」
前原だった。
「いや、まだ朝ですよ」
「昨日」
「ああ」
「何で来なかった」
「疲れてたんで」
「……」
敦は少し身構えた。
怒られるかと思った。
だが。
「そういう時は帰れ」
前原はそれだけ言った。
「え?」
「毎日来る必要ねえだろ」
「でも」
「ここ、お前の仕事場じゃねえぞ」
敦は黙った。
「お前が倒れたら面倒くせえ」
「前原さん」
「何だ」
「昨日のチャーハン、美味しかったですか?」
「帰れ」
「今来たばっかりですよ!」
奥から陸斗の声がした。
「敦さーん!」
「はい?」
「今日、俺もう一回作る!」
「やめろ!」
前原の声が飛ぶ。
「なんでだよ!」
「台所が死ぬ!」
「死なねえよ!」
敦は笑った。
そして靴を脱いだ。
*
日だまりは、
敦がいなくても開いていた。
誰かが飯を作った。
失敗した。
それでも食べた。
笑った。
片付けた。
次の日になった。
敦は、そのことが少し嬉しかった。
自分が必要ないという意味ではない。
自分一人が必要な場所ではない。
その違いは、
思っていたより大きかった。
帰りたい日は、
帰っていい。
来たい日は、
来ればいい。
それはきっと。
日だまりに来る人たちだけではなく。
ここを支える人間にも、
必要なことだった。




