ここ、誰が払ってるんですか
第102話 ここ、誰が払ってるんですか
最初に気づいたのは、大和だった。
「……これ、誰の?」
テーブルの端に、一枚の紙が置かれていた。
白い封筒。
その横に、何枚かの払込票。
大和は手に取ろうとして、
「触んな」
木戸に止められた。
「あ、すいません」
「人ん家の郵便物、勝手に見るな」
「ここ、人ん家なんですか?」
「……」
木戸が黙った。
「何だよ」
「いや」
大和は少し笑った。
「木戸さんが人ん家って言うから」
「細けえな、お前」
木戸は封筒をまとめ、テーブルの端へ寄せた。
そこで大和は、何気なく訊いた。
「でも、ここって」
「ん?」
「誰が払ってるんですか?」
木戸の手が止まった。
「何を」
「家賃とか」
「……」
「電気とか、水道とか」
「……」
「飯とか」
木戸は大和を見た。
「お前」
「はい」
「嫌なことに気づいたな」
*
「家賃?」
敦が聞き返した。
「そう」
大和が頷く。
夕方。
陸斗と蒼も来ていた。
須賀は今日は仕事でいない。
前原もまだ戻っていない。
「家賃っていうか……ここ維持するのに金かかるじゃないですか」
「まあ、そりゃ」
「誰が出してるんですか?」
敦は木戸を見る。
木戸は敦を見る。
「……前原さん?」
敦が言った。
「なんで俺に聞くんだよ」
「木戸さん知ってるでしょ」
「知ってるけど」
「じゃあ教えてくださいよ」
「お前も知らなかったのか」
「細かいところまでは」
陸斗が呆れた顔をした。
「敦さん、ずっとここいるじゃん」
「住んでないからね?」
「ほぼいるじゃん」
「ほぼと住んでるは違うから」
蒼が訊いた。
「飯代は?」
「それは……」
敦は冷蔵庫を見る。
スーパーの袋が入っている。
米。
味噌。
野菜。
肉。
卵。
牛乳。
考えてみれば。
誰かが買っている。
自分が買う日もある。
木戸が買ってくることもある。
前原が袋を置いていくこともある。
和子が持たせてくれた総菜が並ぶ日もある。
誰かが、
「これ余ったから」
と言って持ってくることもある。
けれど。
「……ちゃんと計算したことないな」
敦が言った。
「でしょう?」
大和が言う。
「人数、増えてるじゃないですか」
それだった。
*
「だからって金取んの?」
陸斗が言った。
「そうは言ってない」
「でもそういう話じゃん」
「違うって」
大和が少し苛立つ。
「ずっと誰かが払ってるんだろって話」
「前原さんがいいって言ってんならいいじゃん」
「だから、それいつまで?」
「知らねえよ」
「俺も知らないから聞いてんだよ」
二人の声が少し大きくなった。
「やめなよ」
蒼が言った。
敦は二人の間に入ろうとして――
やめた。
喧嘩というほどではない。
少しくらいなら、話させた方がいい。
「俺らさ」
大和が言った。
「ここ来て、飯食って、ジュース飲んで、暖房ついてて」
「だから?」
「それ全部タダじゃないだろ」
陸斗が黙る。
「俺、別に払いたくないって言ってんじゃないよ」
「……」
「逆」
大和はテーブルを指で軽く叩いた。
「ずっとタダでいいのかなって」
陸斗の表情が変わった。
蒼も大和を見る。
敦は、少し意外だった。
*
夜。
前原が帰ってきた。
「ただい――」
途中で止まる。
敦が見た。
木戸が見た。
陸斗。
蒼。
大和。
全員が前原を見ていた。
「……何だよ」
「前原さん」
大和が言った。
「おう」
「ここって、毎月いくらかかってるんですか」
「は?」
前原は靴を片方だけ脱いだ状態で止まった。
「家賃とか電気とか」
「お前、何の話してんだ」
「日だまりの維持費です」
「……木戸」
「俺じゃねえよ」
木戸が即答した。
「こいつが気づいた」
大和を指す。
「余計なことに気づきやがって」
前原が呟いた。
「やっぱ結構かかってるんですか?」
「子どもが気にすることじゃねえ」
「それ」
大和が言った。
「それが嫌なんです」
前原が顔を上げる。
「俺ら、子どもだからって、ずっと何も知らないでいいんですか」
「……」
「飯食って帰るだけで」
前原はしばらく大和を見ていた。
怒るかと思った。
けれど。
「……面倒くせえのが育ってきたな」
そう言って、靴を脱いだ。
*
テーブルに、一冊のノートが置かれた。
「これ何ですか」
敦が訊いた。
「見りゃ分かんだろ」
「いや、普通の大学ノートですけど」
「今日から帳面にする」
「帳面?」
前原は椅子に座った。
「家賃は俺が出す」
「はい」
「そこはいじらねえ」
大和が黙って聞いている。
「電気、水道、ガスも、とりあえず今まで通りだ」
「じゃあ何を書くんですか」
「食いもん」
前原はノートを開いた。
「誰が何買ったか」
「え」
「敦」
「はい」
「昨日スーパーでいくら使った」
「えーっと……」
「知らねえだろ」
「レシートはあります」
「持ってこい」
「はい」
敦は鞄を探した。
ぐしゃぐしゃになったレシートが三枚出てきた。
「汚ねえな!」
「すいません」
陸斗が笑う。
「敦さん、絶対経理向いてない」
「俺もそう思う」
「自分で言うな」
木戸が突っ込んだ。
前原はノートの最初のページに、
――食費。
と書いた。
「金取るんですか?」
蒼が訊いた。
「取らねえよ」
「じゃあ何で」
「まず、いくら使ってんのか知る」
前原は言った。
「俺も知らねえからな」
「知らないんですか?」
「知らねえよ」
「えぇ……」
「足りなくなったら買ってたんだよ」
敦が思わず笑った。
「俺と同じじゃないですか」
「うるせえ」
*
「じゃあさ」
陸斗が言った。
「俺らもなんか持ってくればいい?」
「無理すんな」
「無理じゃなくて」
「小遣いから金出すとかすんなよ」
「そうじゃなくてさ」
陸斗は考えた。
「家に余ってるカップ麺とか」
「それならいいんじゃねえか」
木戸が言った。
「うち、米あるかも」
蒼が言う。
「親に聞けよ」
「分かってる」
大和は少し考えていた。
「バイトできるようになったら?」
前原が見る。
「働いたら、少しくらい入れてもいい?」
「その時考えろ」
「またそれ」
「今決めることじゃねえ」
大和は笑った。
「はい」
敦は、そのやり取りを見ていた。
最初は。
ここに来る人たちは、何かを受け取る側だった。
飯。
寝る場所。
話を聞いてくれる人。
役所の書類。
仕事。
誰かへの連絡。
でも。
いつの間にか。
自分も何かしたい、と言う人が増えている。
大げさな恩返しじゃない。
米を持ってくる。
余ったカップ麺を持ってくる。
皿を洗う。
椅子を並べる。
それくらい。
それくらいでいいのかもしれない。
*
翌日。
敦が日だまりへ入ると、
「……何これ」
玄関に、米があった。
五キロ。
その横にスーパーの袋。
中にはカップ麺が四つ。
袋にはマジックで、
『家にあった』
とだけ書いてある。
「誰?」
木戸に訊く。
「知らん」
「陸斗かな」
「さあな」
冷蔵庫を開ける。
卵が一パック増えていた。
「これは?」
「知らん」
「木戸さん本当に何も知らないですね」
「俺は管理人じゃねえ」
「ずっといるじゃないですか」
「お前に言われたくねえよ」
敦は笑った。
テーブルを見る。
昨日の大学ノートが置いてある。
表紙には、前原の字で、
『日だまり 食費』
と書かれていた。
その下。
誰かが勝手に文字を足していた。
『あと、もらった物』
さらにその下。
別の字で、
『あと、手伝ったこと』
そして。
もう一つ。
小さな字で、
『金なくても書いていい?』
敦はしばらく、それを見ていた。
やがてペンを取る。
その横に書いた。
『いいと思う』
少し考えて、
さらに付け足す。
『たぶん』
「そこは言い切れよ」
後ろから木戸が言った。
「いや、前原さんに聞いてないんで」
「怒られたら?」
「木戸さんが書いたことにします」
「おい」
敦は笑いながら、ノートを閉じた。
日だまりは、
誰か一人が支える場所ではなくなり始めていた。
ほんの少しずつ。
本当に、
ほんの少しずつだけれど。




