第九話
「先ほどいた騎士様とはお知り合いですか?」
二人並んで夜道を歩きながら、フローラは気になっていたことを訊ねる。
「はい、知人です」
と短く答えたシリルに、
「何か、言い争っていたように見えたのですが」
「よく見ていますね」
彼は困ったように頬を掻くと、「大したことではありません」と答える。
「少し、意見の食い違いがあっただけで……」
それ以上訊いてもシリルが何も話さないので、フローラは仕方なく口を閉じた。
ややして彼は背筋を伸ばすと、
「そういえば、自己紹介がまだでしたね」
あらたまった口調で何を言うかと思えば……フローラは思わず笑いだしてしまう。
「あら、そんなの今さらですわ」
「そうでしょうか? 貴女は俺のことをなんでも知っているでしょうが、俺はまだ貴女の名前すら知らない」
冗談めかした口調で指摘されて、フローラはぎくりとしてしまう。
「なんでも、は大げさです」
「では、お名前をうかがっても?」
「私、私の名前は……」
ここで本当の名前を名乗るのはまずい、偽名を使うべきだと頭では分かっていても他に名前が思いつかず、
「フローラです」
咄嗟に名乗ったあとで後悔したものの、
――フローラなんて名前、ありふれているもの。別に珍しくもなんともないわ。
そう思い直して相手の反応を見る。
シリルは特に驚いた様子も怪しむ様子もなく、
「初めまして、フローラ。俺のことはシリルと呼んでください」
柔らかな笑みを向けられて、フローラも気づけば笑みを浮かべていた。
まるで今、初めて彼と出会ったような口ぶりで「初めまして、シリル」と返す。
「俺の話は以前したと思うので、今度はフローラの話を聞かせてください」
「……私の話ですか?」
「はい、なんでもかまいません。好きなことや嫌いなこと、普段どんな風に過ごされているか」
「そんな話をしても、きっとつまらないと思うわ」
「黙って歩くより、喋りながらのほうがあっという間に家に着きますよ」
それもそうかと思い、フローラは話し出した。猫を飼っていること、産みたての鶏の卵で作ったパンケーキがものすごく美味しかったこと、ジューンベリーの収穫を楽しみにしていること、などなど。
「結婚はしているんですか?」
とからかい交じりに訊かれて、
「結婚しているように見えますか?」
とフローラは大真面目に聞き返す。
シリルはおかしそうに笑うと、
「では恋人は?」
いません、と答えて、フローラはじっとシリルを見つめた。
「貴方こそどうなの? 貴族なら婚約者の一人くらいいるはずよ」
「とっくに解消されました。出世の見込みがないと判断されたようです」
まるで他人事のように話すシリルに、フローラは「でも」と続ける。
「その婚約者のことがまだ忘れられない……好きなのでしょう?」
シリルは困ったように首を傾げると「いいえ」とかぶりを振った。
「だったら貴方の好きな人というのは……」
「臆病で、口下手で、なのに人に言うことをまるで聞かない――強情な人です」
ひどい言われようである。
いくらなんでも、それは相手の女性に失礼ではないだろうかと思ったが、シリルの声があまりにも愛おしげで、
――本当にその人のことが好きなのね。
ほんの少し、相手の女性を妬ましく感じた。
その女性がどこの誰なのか気になったものの、
「今度は貴女の番ですよ。お好きな花はなんですか?」
フローラは考え込むように顔を伏せると、
「嫌いな花はありません」
と答える。
「生活のために人気の花を選んで育ててはいますが、私は薔薇もレンゲソウの花も同じくらい好きですわ」
たわいのない話をしていると、あっという間に時間が過ぎてしまう。
気づけば村に着いていて、
「では、俺はこれで失礼します」
あっさりと別れを告げるシリルをフローラは慌てて引き留めていた。
「これからどちらへ?」
「町へ戻ります。宿をとっているので」
「でも、町へ着く頃にはもう閉まっているかもしれないわ」
王女だった頃は騎士の護衛を当たり前のものとして受け入れていたが、今は違う。赤の他人である自分をわざわざ村まで送り届けてくれた――親切にしてくれたのに、お礼もしないで帰すなんてことはできないと思い、
「このままうちへ来て下さい。空いている部屋はあるし、食事も出せますから」
シリルはびっくりしたようにフローラを見ると、
「ですが……貴女は独り住まいでは?」
なぜ彼がためらっているのか理解できず、フローラは首を傾げる。
「あら、どうしてそうお思いになるの?」
「……なんとなく」
「家族はいますわ。ただ今は離れて暮らしているだけです」
するとシリルは顔を強張らせ「遠慮します」と断った。
「それから、もう二度とこういうことはしないでください」
「こういうことって……」
「俺以外にも、男を家にあげようとしたことはありますか?」
怖い顔で詰め寄られて、フローラはふるふると首を横に振った。
「本当に?」
「ええ、もちろん」
シリルはホッとしたように息を吐くと、
「少し優しくされたからといって、簡単に人を信じないでください。俺が悪い男だったらどうするんですか?」
やはりシリルはシリルだった。
口うるさい彼が戻って来たと思い、フローラは心の中で吹き出してしまう。
「お気遣いは感謝しますが、俺はこのまま町へ戻ります。貴女は家に帰って、戸締りをしっかりなさってください」
シリルは頭を下げると、来た道を引き返す。
ランバートが咄嗟に彼を追いかけようとするので、
「どうしたの、ランバート。おうちはこっちよ」
振り返ったシリルが小声でランバートに声をかける。
ランバートは足を止めると、なぜか落ち込んだ様子でフローラのところへ戻って来た。
「では、今度こそ失礼します。また町でお会いましょう」
シリルが立ち去ると、静けさが戻って来た。
夜鳴く虫の音に耳を澄ませながら、フローラはゆっくりと歩き出す。
「ランバートったら、今日は様子が変よ」
何度も後ろを振り返るランバートの姿を見、フローラは苦笑してしまう。
――そういえば、シリルって昔から動物に好かれるのよね。
なんだか微笑ましいような、懐かしいような気持になって、たまらずフローラが振り返ると、すでに彼の姿は見えなくなっていた。




