第六話
フローラの朝は早い。
夜明け前には起きて外へ出ると、庭仕事――草取り、虫取り、水やり、花がら摘み等々――と家畜の世話をする。甘い香りを放つ花にはアブラムシなどの害虫だけでなく、蜂もたくさん寄ってくるのだが、フローラはこれまで一度も彼らに刺されたことはなかった。よく見かけるのはミツバチで、中には好戦的な種類の蜂もいるが、なぜかフローラが近づくと逃げてしまうのだ。
日課である仕事を終えたあとで朝食を作る。
今朝の食事はふわふわに焼けたケーキの残りとジャムを一口分、ゆで卵、酢漬けのピクルスに熱々の紅茶である。
それから食器を片付け、シーツを洗い、家の中を掃除する。
今日は窓という窓をピカピカにするつもりだ。
たまに庭へ出て家畜や植物の様子を見――害虫を見つけたら早期対処で被害を最小限に食い止める――日が高く昇ったら昼食を作る。
食べられる野草を油でサッと揚げて塩をふりかけ、薄く焼いたパンとはちみつ、ハーブティーでいただく。
そして昼食を終えたあとはまた外へ出て、家畜たちを散歩させつつ庭いじりをする。繁殖力の強い植物を間引いたり、移動させたり、花の重さで茎が倒れないよう、細い枝で作った支柱を立てたりと、やることはたくさんある。
いつも日が沈むぎりぎりまで外にいて、暗くなって手元が見えなくなったらしぶしぶ家に中に入るのだ。
夕食は菜の花を蒸したものとハーブと野菜とお肉の煮込み料理、薄焼きのパンでお腹を膨らませる。
食後の楽しみはシソの葉のジュースだ。透明感のある紫色の飲み物で、甘酸っぱくて、疲れた体に染み渡る。
ざあざあと雨が降って外へ出られない日は家にある本を読んで過ごした。
家庭の医学や料理本、ガーデニングといった、日常生活に必要な情報が詰まっていて、読むだけで楽しかった。
長いあいだ暗く湿っぽい塔に閉じ込められて、じっとしていたせいもあるのだろう。
フローラはささいなことで幸せを感じるようになっていた。
例えば畑に植えた種が芽を出した時、料理がうまくできた時や汚れた食器や窓がピカピカになった時、空が雲一つないくらい晴れている時、洗ったシーツから太陽の香りがした時、毎朝、花を摘んで小瓶に入れ、台所のテーブルに飾った時など、小さな幸せを感じて胸がときめいた。そして大切に育てた植物が大輪の花を咲かせた瞬間の喜びは、言葉にできないものがあった。
ランバートを荷車につないで、たくさんの花をのせて市場へ向かう時はいつも胸がドキドキする。いざ町に着いてお客さんの相手をする時は注文を聞き間違えないように、お釣りの額を間違えないようにするので精一杯だけれど、
「いい匂い。とってもきれいだわ。ありがとう」
こちらこそお買い上げありがとうございますと返しつつ、胸がほっこりした。
「あなたのところの花はとても長持ちするから助かるわ。他の店なんて、買って二日でしおれちゃったのよ」
「自宅用ならそれでもいいけれど、贈り物だったらまずいわよねぇ」
通常、切り花は三日から一週間ほどで枯れてしまうのだが、フローラの売る花は二週間、長くて三週間はもつと評判になり、
「この店、時季外れの花も売ってるって聞いたんだけど、フリージアの花は置いているかしら?」
「やっぱり薔薇の花は高いわねぇ。三本買うから一本おまけしてくれない?」
「友人のお見舞いに花を持っていきたいんだけど、どの花がいいと思う? できるだけ安くしてもらえると助かるんだけど」
交渉ごとに慣れたお客さんに振り回されつつも、フローラは頑張った。
いつも町に到着して数時間ほどで花が完売してしまうので、屋台で昼食をとると、午後はゆっくり買い物を楽しんだ。食材や調味料、花の苗や種、家畜の餌だけでなく、冬に備えて古着屋で厚着の服とブーツも買えたので、フローラはホクホク顔で町を歩いていた。
すると、
「きゃあっ、見て、あの人、素敵じゃない?」
「本当っ、すっごい美形っ」
「この町に住んでるのかしら?」
「バカね、ありえないでしょ」
「だよねぇ、身に着けてるものが違うもん。どう見ても貴族様よね」
若い女性たちが甲高い声で騒いでいるので、何事かと視線を向けると、そこにはすらりとして背が高く、人形のように整った顔立ちの青年がいた。
――シリル。
最後に会ったのは六年前だが、すぐに彼だと分かった。癖のあるプラチナブロンドの髪は少し伸びていて、淡い水色の瞳は以前よりも冷たさを増していた。どれほど美しい顔をしていても、彼はどこか近寄りがたい雰囲気があるので、町の人たちも遠巻きに見ている感じだった。
いつもは近衛騎士らしく銀色の甲冑を身に着け、帯剣している彼だが、今日は珍しく私服姿だ。
ということは仕事で町に来ているわけではないのだろう。
一瞬でも彼のことを、王の差し向けた追っ手だと疑ってしまった自分が恥ずかしい。
じっと見ていると目が合いそうになり、フローラはサッと物陰に隠れた。
しばらく隠れてじっとしていると、いつの間にか彼はいなくなっていて、
――隠れる必要なんてなかったかしら。
物陰から出て周囲を見回しつつ、フローラは苦笑した。
シリルが知っているのは十二歳の頃の自分だ。あれから成長して背も高くなり、顔立ちも変わってしまった。
今の自分を見ても、彼はきっと気づかないだろう。
――次は彼を見かけても堂々としていましょう。コソコソ隠れるほうがおかしいもの。
気を取り直してフローラは歩き始めた。
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