第二十三話
近衛騎士たちが血眼になってフローラを捜している今、王都へ戻るのは危険なのではと心配するメイベルに、
「変装するから私だと気づかれないわ。王女付きの侍女のふりをするの」
そして馬車に乗り、堂々と正面から王城に乗り込む。
王女はたいてい複数人の侍女を連れて行動するので、入城の際に怪しまれることはまずない。
念のために変装用のカツラをつけ、入念に化粧をしてもらい、ロレインから借りた帝国風のドレスを身に付けると、まるで別人のようになった。
「まぁ、フローラ様、なんてお綺麗なんでしょう」
これならば二人の王女と並んでも見劣りしないだろうと、涙ながらにメイベルに太鼓判を押されたものの、なぜか素直に喜べなかった。
「どうかご無事で」
植物や動物の世話をメイベルに頼み、そんなメイベルの護衛をレイノルズにお願いして、フローラは村をあとにした。
四頭立ての馬車での移動は徒歩よりも格段に速く、王都が近づくにつれて緊張が高まり、フローラの口数も次第に少なくなっていった。三人の中でひっきりなしにお喋りしているのはロレインだけだったが、そんな彼女も、馬車を降りて城に入った途端、ぴたりとお喋りをやめてしまった。
「ジェーン、我が愛しい娘、帰ってきたか」
城に入るとずらりと並ぶ大勢の使用人たちに出迎えられた。
使用人の一人に上着と帽子を預けると、ジェーンはまっすぐ王の執務室へ向かう。
「ただいま戻りました、お父様。お母様はどちらに?」
「あれは保養地へ向かった。王都の空気が合わんようで、城へは滅多に立ち寄らぬ。わがままな女だ」
自由気質で放浪癖のある王妃は、いっさい政治に関心を持たず、堅苦しい社交界を嫌って人前にはほとんど姿を現さない。
生まれてすぐに乳母に預けられたフローラも、王妃に会ったのは数えるほどで、今では母の顔を思い出すことすら難しかった。
「それよりもジェーン、帰って来たばかりで悪いが、三日後のミセラ大使との交渉をお前に任せたい。我が国が有利に立てるよう事をすすめなさい」
「ミセラの農産物を我が国で買い取る件ですね」
姉の後ろからにこにこと機嫌良く話す父王の顔を見て、これは一体誰だろうとフローラは思った。
少なくとも、フローラの前で父が笑みを見せたことは一度もない。
「お父様ったら、嫌だわ。愛する娘がここにもいるのに、ジェーンお姉様しか見えていないのかしら?」
皮肉っぽいロレインの言葉に思わずドキッとしたが、
「……まだいたのか、ロレイン」
たちまち父王は顔をしかめてロレインに言った。
「どうやら王妃の悪癖がお前に遺伝したようだ。さっさと自分の国へ帰りなさい」
「私の国はここよ、お父様」
「もうここにお前の居場所はない。国のためを思うのなら帝国へ戻り、夫の機嫌でもとっていろ。あの生意気な青二才が我が国を侵略しようなどと考えぬようにな」
ほらね、とばかりロレインはフローラを見る。
お父様が我が子として愛しておられるのはジェーンお姉様ただお一人だけ、そんなロレインの声が聞こえるようだった。
もしくはジェーンの能力を恐れて、反抗しないように手懐けているかのどちらか。
「なんだ、見慣れない者がいるな。侍女を増やしたのか?」
父王の視線からフローラを隠すようにさっと前に立つと、ジェーンは重い口を開いた。
「実は折り入ってお話があります、お父様。妹のことで」
「お前はロレインに肩入れしすぎだ。突き放さねばダメになるぞ」
「ロレインのことではありませんわ。もう一人の妹のことです。フローラはまだ塔の中にいるのですか?」
背筋を正してジェーンは続ける。
「あの子ももう年頃です。教育を終えたのなら、そろそろ結婚相手を探すべきかと。農業大国ミセラであれば、喜んであの子を受け入れてくれるでしょう」
「その必要はない。あれは死んだも同然だ」
そっけない父王の言葉にもジェーンは引かず、
「それはどういう意味でしょう? あの子は病気なのですか?」
「控えろ、ジェーン。口出しは無用だ」
途端、冷たい表情を浮かべて父王は命じる。
「あれはお前たちとは違う。しかるべき処置が必要だ」
「……だから塔の中に閉じ込めているのですか?」
ジェーンの口調は暗く、怒りに震えていた。
「しかるべき処置は何です? 暗く何もない部屋で、飢えと孤独に耐えている娘に、なぜそんなにも辛く当たるのですか?」
ジェーン、と父王は警告するような声を出す。
「それ以上口を挟めば越権行為と見なす」
「私はそうは思いません。これは私たち家族の問題です」
怒りを鎮めるように長い息を吐くと、
「あれ、ではありません、お父様。フローラです」
断固とした口調でジェーンは反論する。
「フローラ・イリアス・ハナメイです。娘の名前をお忘れですか? それほどまでに耄碌しておられるのですか?」
王は娘の挑発に乗るどころか、
「……ジェーン、突然どうした。あれほど聞き分けの良かったお前が……」
怪訝そうに娘の顔をまじまじと見る。
「お前、まさかフローラに――そうか、先ほどの娘は……。そこをどけっ、ジェーン」
どうやらフローラの存在に気づいたようだ。
しかしジェーンは父王に強く肩を掴まれても動じることなく、
「ロレイン、フローラをお願い」
小声で伝えると、父王の目をまっすぐ見つめて告げる。
「お父様、まだ話は終わっておりません。場所を変えましょう。二人きりになれる場所へ」
その時、ジェーンの紅茶色の瞳は真っ赤に燃えがっていた。
文字通り、瞳の色が赤く変化したのだ。
すると間もなくして、父王にも変化が起きた。
「あ……ああ、分かった、お前の言う通りにしよう」
力の抜けたような声を出して頷くと、のろのろとジェーンの後ろについて歩き出したのだ。
こんな弱々しい父の姿を見たのは初めてで、フローラは目を疑ってしまう。
そのまま、二人は奥の部屋へと姿を消した。
「何が起きたの? お姉様は何をしたの?」
「あれがジェーンの力よ。お父様の目を見た? 赤くなっていたでしょ?」
ロレインの言葉通り、父の瞳は赤く変化していた。
幸い、見張りの兵士たちはこちらに背を向けており、使用人たちも顔を伏せているので、王の異変には気づいていない様子だ。
「一種の催眠状態ね。ああなったら、なんでもジェーンの言いなりよ」
ロレインが鼻息荒く囁く。どうやら興奮しているらしい。
なんだかデジャブを覚える光景だ。
この瞬間、フローラの脳裏にこれまでの出来事が走馬灯のように駆け巡った。
水色の目をした犬、猫、馬、鷲――そして水色の瞳を持つ美しい護衛騎士。
――ああ、そうなの。そうだったのね。
動物を操る力、それこそがシリルの持つギフトなのだ。
そして彼はその力を使って、フローラを助けてくれていた。
何度も、何度も。
そばにいなくても、姿が見えなくても、ずっとフローラのことを支えてくれていたのだ。
たまらず泣き出したフローラを見て、
「泣かなくてもいいのよ、フローラ。もう大丈夫だから。安心して」
愛くるしい表情を浮かべながらも、既に二人の子持ち――皇女を産んだロレインが、母親らしい手つきで慰めてくれる。
「大丈夫、大丈夫だから」
そんなロレインに対して申し訳なく思いながらも、フローラは涙をこらえることができなかった。
悲しくて泣いているわけでも、恐ろしくて震えているわけでもない。
フローラはただ、嬉しくて泣いていた。
――シリルに会いたい。彼を見つけなきゃ。




