第二十二話
ジェーン・ローザ・カトリーネには信念がある。
幼い頃から、私利私欲のために能力を使う大人たちを見てきたジェーンは、いずれ彼らの上に立つ者としての責任感から、女神より与えられた力を自分のために使うことは絶対にしないと誓いを立てていた。
なぜなら「能力のある者はそれを正しく行使する義務がある」「神に多くを与えられた者は多くを望まれ、生まれながらに恵まれた者、高い地位にいる者たちはそれ相応の務めを果たさなければならない」といった道徳観を誰よりも重んじているからだ。そう父王に教育されていた。
そのため、王の命令か、差し迫った命の危険がない限り、ジェーンが自身の能力を行使することはない。
これまでも、これからも。
「子どもの頃から喧嘩をしてジェーンに言い負かされるたびに能力を使っているのだとばかり思っていたけど、違ったのね」
「人を操ることと、言い負かすことはまったく別ものよ」
村長も交えて村の視察が終わると、フローラは最後に二人を自宅に招待した。
フローラの淹れたお茶を飲みながら、二人はくつろいだ様子で美しい庭を眺めている。
「支配欲の強い人間ほど、他人を思い通りに動かそうとする。脅したり卑怯な手を使ったりしてね。私は違うわ」
「いずれ女王におなりになるのに?」
「私は支配したいのではなく、対話がしたいの。この国をより良くするために」
だからこそ、あえて能力を使わないのだと主張する姉に、
「話の通じない相手だったらどうするの? 周りの言うことにまるで耳を傾けない、人を使って実の娘を殺そうとするような男だったら?」
「……お父様のことを言ってるの?」
じろりと睨まれて、ロレインは素知らぬ顔でお茶をすする。
「貴女がそう思うのならそうかもしれないわね」
「私はどうしても信じられないわ。お父様がそんなことをなさるなんて……」
二人の会話を聞いて、フローラも不思議に思った。
ジェーンの目に、父はどのように映っているのだろう。
少なくとも自分やロレインが知らない父の顔を、ジェーンは知っているのかもしれない。
「それはそうよ。お父様が我が子として愛しておられるのはジェーンお姉様ただお一人だけだもの」
歌うような口調で言い、ロレインは皮肉っぽい笑みを浮かべる。
「もしくは、お姉様の能力を恐れるあまり、手懐けて言うことを聞かせようとしているのかもしれないわ」
「……フローラはどう思う?」
話を振られて、フローラは首を傾げる。
「お父様のことよ。どう感じてる?」
訊かれてもすぐには答えられなかった。
あふれ出る涙をこらえながら、フローラは口を開いた。
「許してもらえなかった……愛しても、くれなかった」
感情が高ぶって、うまく言葉にできない。
まるで六年前の自分に――子どもの頃の自分に戻ったみたいだ。
直後にロレインは立ち上がり、「私も同じよ」と言ってフローラの肩を抱いた。
「私は単に利用価値が高かったから、生かされていただけ」
「ロレインまで急に何を言い出すのよ」
眉を顰めるジェーンを、ロレインはキッと睨みつける。
「ジェーンこそ、いい加減目を覚ましなさい。お父様がどうやって王位についたのか、知らないとは言わせないわ」
「お父様のお兄様、第一王子が不慮の死を遂げたからでしょ。まさか、それもお父様のせいにするつもり?」
はあっとあきれたようなため息をつく姉に、
「お姉様はお父様と同じ。血も涙もない冷血漢よ。目の前で可愛い妹たちが苦しんでるっていうのに――自分さえよければそれでいいわけ?」
「フローラはともかく、貴女を数にいれないで」
ぴしゃりと言い、ジェーンはお茶を一口飲むと、
「フローラの能力は本物よ。これまで多くの農村を見てきたけれど、これほど山の近くにあって、魔物や害獣の被害をまったく受けないなんてことありえないもの」
それからあらためてフローラに向き直り、
「私はお父様とは違うわ。力や金銭で相手を従わせようとは思わない。対話こそが最善の解決策だと信じてるから」
「だったら……私は死ななくていいの?」
ジェーンはたまらない様子で立ち上がると、
「もちろんよ、誰が殺させるものですか」
固く決意のこもった声を出す。
「陛下と話をするわ。フローラも一緒に来なさい」
優しく差し伸べられた手を掴もうとするフローラだったが、
「フローラを連れていくのは危険よ」
意外にもロレインに止められてしまう。
「ジェーンと話したくらいで、あの頑固者があっさり考えを変えるわけないわ。長年お父様に仕えてきた宰相閣下ですら、投獄されてしまったっていうのに」
「やってみなければわからないわ」
「それでは遅いのよ、ジェーン」
ジェーンは怒りを鎮めるように長い息を吐くと、
「貴女、何が言いたいの」
「力を使って、フローラのために。もうそれしか方法はないわ」
ロレインは強い口調で繰り繰り返す。
力を使って、と。
「正気なの、ロレイン。そんなことをすれば私は女王になるどころか、国家反逆罪で即死刑よ」
「証拠は何も残らないわ。私たち三人が口を噤んでさえいればね」
「そういう問題ではないわ」
「恵まれた力をお持ちなのに、なぜいつも使おうとしないの? 宝の持ち腐れじゃない」
「だから言ってるでしょ、私には私の信念があるの」
「そうお父様に吹き込まれたんじゃなくて? そのほうがお父様にとって都合がいいから」
ジェーンが何か言う前にロレインは続ける。
「お父様はお姉様の力を恐れてる。だから反抗しないように教育して、上から押さえつけてるんだわ」
思い当たる節があるのか、ジェーンは忌々しげに舌打ちすると、
「それだけ、私の持つ能力は危険なの。傀儡政権や傀儡国家を生みかねない……」
「馬鹿言わないで、決めるのはお姉様でしょ」
その言葉にジェーンはハッとしたようだった。
難しい顔をして黙り込む姉の姿を見、
「もう一押しよ。フローラも何か言いなさい」
背中を押すように耳元でロレインに囁かれ、
「お父様が私の命をお望みなら、それでもかまわないわ」
フローラも意を決して口を開く。
「お姉様に嘆願書を送ったのは、助けてほしい人たちがいるから。私を救うために動いてくれた人たちを、どうか傷つけないで欲しい。私が死んだあと、この村の人たちが困らないようにしてほしいの。お姉様に望むのは、ただそれだけ。私のことはどうでもいいわ」
ジェーンはいま一度フローラの顔をまじまじと見ると、
「どうでもよくなんてないわ」
痛々しげな表情を浮かべて繰り返す。
「どうでもいい命なんてない」
ジェーンは深く考え込むように目を瞑り、
「自分が恥ずかしいわ、フローラ。信念とか立場とか、私はいつも自分のことばかり……」
目を開けた時には晴れやかな笑みを浮かべていた。
「貴女は死なないわ、フローラ。貴女が助けたがっている人たちも、皆助けると約束する」
「……ついにやるのね、ジェーン」
ロレインから期待のこもったまなざしを向けられて、「今回だけよ」とジェーンは短く答える。
「さぁ、帰りましょう。王都へ」




