第二〇話 回想「三人の王女たち」
王城にある芸術の間では、椅子に座って絵を描きながら、フローラは何度も窓の外を眺めていた。
しんっと静まり返った部屋で、じっとしているのが辛くてたまらない。
いつもなら授業をさぼって外へ出ていくのだが、今回ばかりはそうもいかなかった。
なぜなら、
「くすくす笑わないで、ロレイン。絵のモデルは動いではいけないのよ」
「だってジェーン、フローラの髪を見てよ。鳥の巣みたいじゃなくて? 櫛で梳かしたことがないのかしら」
滅多に顔を合わせることがない姉たちと、一緒に過ごせる唯一の時間だからだ。
「本当だわ、フローラ。頭に木の葉がついていてよ。とってあげるからこっちに来なさい」
二人の姉がフローラを見て笑っている。
妹の自分から見ても、二人の姿は対照的だ。
金色の巻き毛に薔薇色の頬と唇、柔らかなミルク色の肌をした第二王女ロレインは、フローラより三つ年上の十五歳。あどけない表情を浮かべながらも、この国一番の美貌を持ち、庇護欲をそそるような華奢な体つきをしている。
一方の第一王女ジェーンは十六歳、長身で体格もよく、子どもの頃から丈夫で病気一つしたことがない。弁の立つ薄い唇に賢そうな目、癖のない黒髪をいつもきっちりと結い上げていて、未来の女王としての風格がすでに備わっている。
「こっちへ来なさいと言っているでしょう、フローラ」
恵まれた能力のせいなのか、はたまた自信に満ちた口調のせいか、フローラはジェーンの言葉に逆らうことができなかった。立ち上がっておずおずと近づいていけば、彼女は優しい手つきで木の葉を取り払い、手櫛で髪を整えてくれた。
「まったく、私の妹たちときたら……」
「あら、フローラと一緒にしないでくれる? 私はその子ほど自由奔放じゃなくてよ」
「分かったから、貴女は動かないで。集中しましょう。先生が戻ってくる前に絵を完成させないと」
王女たるもの教養やマナーを身に付けるだけでなく、音楽や文学、芸術にも精通していなければならない、ということで、著名な画家の指導の下、絵を描く練習をしている三人だったが、
「ねぇ、フローラ。さっき見かけたのだけれど、ずいぶんと見目の良い護衛騎士を雇っているのね。分不相応よ。私によこしなさい」
大地の女神さながら、豪華でゆったりとした衣装を纏い、かがんでポーズをとっていたロレインがまたもや口を開いた。
「……ロレイン」
「言われた通りじっとしているでしょ、お喋りくらい許して」
眉間にしわを寄せたジェーンが何か言う前にロレインは続ける。
「お姉様はいいわよね。皆から大切にされて。いずれこの国の女王におなりになるんだから、それも当然でしょうけど」
皮肉めいた言葉にジェーンは手を止めてロレインを見る。
「何を言うの、大切にされているのは貴女のほうじゃない、ロレイン」
「私が? 冗談でしょ?」
愛らしく唇を尖らせると、ロレインはいじけたように言う。
「私はしょせん政略結婚の道具よ。遅かれ早かれ、この国を出ていくんだから、大切にしたところで意味がないわ」
「どんな相手でも、たちどころに虜にしてしまう貴女の言葉とは思えないわね」
「相手が自分の言いなりだからって、大切にされているとは限らないでしょ。お母様やお父様がいい例よ」
ロレイン、と咎めるような声を出すジェーンに、
「今は私たち三人だけしかいないんだから、見逃しなさいよ、ジェーン。女王には寛容さも必要よ」
「けれどお父様の悪口は見過ごせないわ」
「悪口ですって? そう思うのは貴女だけよ。私たち三姉妹の中で貴女だけがお父様に愛されているから」
「ロレイン、マクシミリアン皇帝陛下との婚約が決まって、イライラしているのは分かるけど、それを私にぶつけるのはやめてちょうだい」
前皇帝である伯父が病で倒れたため、十八歳の若さで即位したマクシミリアンは、この国を訪れた際、第二王女ロレインに会って心を奪われたらしく、その場で熱烈に彼女に求婚したという。マクシミリアンの治めるリーン帝国――広大な領土と軍事力に目がくらんだ王は、快く求婚の申し出を受け入れたそうだ。
「イライラなんてするものですか。マクシミリアン様は素敵な方よ。年も近いし、見た目もすらっとしてらして、悪くないわ」
「ほうぼうに愛人がいるという噂だけど……」
「かまわないわよ。英雄色を好むって言うじゃない。私だって、お気に入りの騎士を何人か連れていくつもりよ」
「馬鹿なことはやめなさい、そんなことをして、ソフィア大公妃に目をつけられたらどうするの?」
若くしてマクシミリアンが皇帝になれたのは、母親であるソフィア大公妃の尽力があってこそだ。
だからこそ、彼は母親に頭が上がらないと言われている。
ロレインは忌々しげにジェーンを見ると、
「そうやって他人を見下して、偉そうにしていられるのも今のうちよ、ジェーン。私が陛下と結婚したらリーン帝国の皇后になるんですからね」
「今、帝国の社交界を取り仕切っておられるのはソフィア大公妃よ。せいぜい彼女に気に入られるよう、努力するのね」
ジェーンはそっけない口調で続ける。
「貴女の能力は男性に対してすこぶる効果があるようだけど、女性にはあまり効果がないみたいだから」
痛いところを突かれたというようにロレインは顔をしかめると、
「……ジェーンには分からないわよ、私の気持ちなんて」
強気な表情を崩さなかったロレインが、初めて弱音をこぼした。
「お姉様はいつも完璧だもの。子どもの頃から神童扱いされて、ご公務も早くから任されている。五か国語も喋れて、通訳も必要ない。けれど私は……」
ジェーンはため息をつくと、それを遮るように言った。
「分かるわよ。私だって毎日プレッシャーに押しつぶされそうになる。女王になるのも楽な道ではないのよ」
束の間しんみりとした沈黙が流れると、
「あーあ、フローラはいいわよね。気楽で」
話の矛先を自分に向けられて、フローラはきょとんとした。
「お父様も、貴女にはなんの期待もしていないみたいだし」
「いい加減にしなさい、ロレイン。フローラをいじめないで。年下の子には優しくしなさいといつも言っているでしょ」
「だってずるいじゃない。私やお姉様にはほとんど自由な時間が許されていないっていうのに、この子ばかり遊びほうけて……」
二人の注意が自分に向いたことで、フローラはあることを思い出した。
姉たちにプレゼントがあったのだ。
慌てて席を立ち、いそいそとそれを取りに行く。
「ほら見てよ、私が話しかけているのに、無視してるわ」
「フローラはまだ子どもだから……」
「普通の子どもなら許されても、フローラは許されないわよ。王女なんだから」
ようやく見つけたプレゼントを手に、フローラは二人の前に立つ。
「お姉様にあげるわ、私が育てたの。綺麗でしょ?」
一つはピンク色の薔薇の花で、もう一つは――
「すごいわ、女神の花ね。私、この花が大好きなの」
ジェーンは嬉しそうに花を手に取ると、「いっそ、この花の絵を描こうかしら」と言ってうっとりと花に見とれている。
その隙にロレインもポーズを崩して花を受け取り、手早く髪に飾ると、
「どう? 薔薇より私の方が綺麗でしょ?」
こくこくと頷くフローラを見下ろし、ロレインは決まり悪そうに微笑むと、
「私も宝石やドレスの次に薔薇の花が好きなの。ありがとう、フローラ」
少し前まで不満げに口を尖らせていた姉たちが、瞳を輝かせてにっこりと笑っている。
それを見たフローラはつい、
「私も大きくなったら、お姉様たちみたいになれるかしら」
羨ましく思ってため息をつくと、
「貴女は貴女のままでいいのよ、フローラ。ロレインみたいに性悪にならないで」
「ジェーンみたいに気難しい女になってはダメよ」
二人の姉は口をそろえて言う。
「貴女はいい子よ、フローラ」
「それに王女としての資質も備えている。思いやりがあるもの」
珍しく優しい言葉をかけられて、なんだかくすぐったい気持ちになる。
出来の良い姉たちと比べられてみそっかす扱いされているフローラだが、フローラ自身は、姉たちのことが嫌いではなかった。ただ年が離れているせいか、彼女たちがあまりにも遠い存在に思えて、自分から近づくことができなかっただけである。
「いつか、王城のお庭をお姉様たちの好きな花でいっぱいにするわ」
そうすれば姉たちは喜び、もっと笑顔になってくれるだろう。
けれどそんなささやかな願いが叶うことはなかった。
それからしばらくして、フローラは父王の怒りを買い、塔に閉じ込められてしまったからだ。




