第十九話
レイノルズ・マーティン・アンダーソン。
六十五歳で騎士を引退した彼だが、生きていれば七十一歳になる。
物心ついた頃から当たり前のようにそばにいてくれた、愉快で優しく、かくしゃくとした祖父のような存在だった。
それが仕事だからと言われればそれまでだが、
「レイノルズ、いるの?」
つい喜びが声ににじみ出てしまう。
フローラは彼のことが大好きだった。
「はい、ここに」
応じる声はあるものの、彼の姿はどこにも見えない。
おそらく能力を使っているのだろう。子どもの頃、その力で何度驚かされたことか。
「貴方は幽霊みたいに透明になれるのよね、とっくにバレてるんだから。観念して出てきてちょうだい」
「さすがはフローラ様」
直後、姿を現したレイノルズを見て、フローラは懐かしさのあまり涙ぐんだ。
白髪交じりの灰色の髪に優しそうな目、年齢を感じさせない大柄で鍛え抜かれた身体つき――さすがは元近衛騎士隊隊長である。
「六年経った今でも少しも変わらないわね、レイノルズ」
「とんでもない、かなり体力が落ちましたし、力も衰えました」
レイノルズは苦笑いを浮かべる。
「それに透明になっても雨には濡れますので、たまに羽織ものを拝借しておりました」
どういうことかと首を傾げるフローラに、
「メイベル殿に頼まれて、何度か姫様の様子を見にうかがったことがあるのですが、その様子だと気付いておられなかったようだ。たいてい姫様は猫に話しかけるか、土いじりに夢中でしたから。私の馬の面倒まで見てくれて、感謝していますよ」
なんと、ランバートはレイノルズの馬だったのか。
「気に入ったのであれば差し上げます。馬も姫様に懐いているようですし」
「……そういえばレイノルズは温泉好きだったわね」
騎士を引退したのち、彼は町に滞在して、温泉三昧の日々を送っているそうだ。
「奥様やお子さんはお元気かしら?」
「さぁ? 別居してからここ数年は会っておりませんので」
けろっとした顔で答えるレイノルズに、
「それは完全に奥様に愛想をつかされましたわね」
メイベルはこれ見よがしにため息をつく。
「奥様もよく耐えたほうですわ。レイノルズ様の女癖の悪さは当時社交界でも有名でしたから。実力も人望もおありなのに、近衛騎士隊隊長を途中解任されたのもおそらくそのせいかと……」
「メイベル殿、頼むから純粋無垢な姫様の前で昔の話を持ちださんでくれ」
レイノルズは決まり悪そうに頭を掻くと、
「私ももう七十過ぎです。そういった感情はとうに失せました」
「そういった感情って?」
黙り込むレイノルズにもう一度同じ質問を繰り返すフローラだったが、
「フローラ様、あまりレイノルズ様を追いつめないでくださいまし」
苦笑いを浮かべてメイベルが口を挟む。
「それよりも今はこれからのことを考えませんと……」
「これからのこと?」
「あたくしは今すぐこの国を出て、他国へ亡命すべきだと思いますが、いかがでしょう?」
「……そんなことできるの?」
「あたくしの夫は国外でも商売しておりますから。そのつてを頼ればなんとかなると思いますわ」
力強いメイベルの言葉に励まされながらも、
「メイベル、ありがとう。貴女の気持ちはとても嬉しいわ。でも、ここを離れるのは嫌よ」
正直に自分の気持ちを口にする。
「ここにいたいの。どうせ死ぬなら、ここで死ぬわ」
「フローラ様っ」
なんてことを言うのかとメイベルは血相を変えるが、
「落ち着きなさい、メイベル殿。私が生きてそばにいる限り、姫様には指一本触れさせん」
それに、とレイノルズは続ける。
「他国へ亡命するより、この村にいたほうが安全かもしれない」
「……どういう意味ですの?」
「マクギネスから話を聞いたはずだ。姫様の育てた植物には魔物や害獣を寄せ付けない効果があると」
「植物がフローラ様を守ってくれると言うのですか? 暗殺者からも?」
かもしれない、とレイノルズは頷く。
マクギネスが戻るまでここにいるべきだと主張するレイノルズに、
「本当にシリル殿は戻ってくるでしょうか? 彼が裏切る可能性は?」
メイベルは不安げにこぼす。
「シリル殿はまだお若く、フローラ様に対して、あまり忠誠心をお持ちではありませんでした。ですから……」
「メイベル殿、人は変わる。成長するものだ」
それでも主張を変えないレイノルズに、
「シリル殿のことをよく知っているような口ぶりですわね」
メイベルは不思議そうにつぶやくと、
「そういえば、シリル殿を後任の護衛騎士に指名されたのはレイノルズ様でしたわね」
「彼は優秀でしたから。年も一番若く、姫様の良き友人になれると判断しました」
それを聞いたフローラは、
「私がシリルに嫌われたのはレイノルズのせいだったのね」
たまらず口を挟むと、レイノルズはハッハッハと笑う。
「嫌ってなどおりませんよ」
「いいえ、嫌ってた。不満そうにしてたもの。本人も言ってたわ、苦手だったって」
「わかりました、だったら次に会った時、ボコボコにぶん殴ってやります」
プライドの高い相手ほど殴り甲斐があるとのたまうレイノルズに、
「やめてっ。シリルを傷つけたら許さないわっ」
フローラは慌てつつも、怒ったような声を出す。
「彼だけが悪いわけじゃない。子どもだったの、お互い様よ」
「これはまた……姫様も言うようになりましたな」
再びハッハッハと笑うと、ふいに真面目な顔をして、
「姫様はどう思われますか? マクギネスは戻ってくると?」
戻ってくるとフローラは即答した。
「だから私、ここを離れたくないの。他国へ行ってしまったら、もうシリルに会えなくなってしまう。そんなの嫌よ」




