第二話
フローラは必死になって走り続けた。
何度も後ろを振り返り、追っ手がいないことを確認する。
それでも不安は消えず、分厚いショールを頭からかぶると、大通りに出て人込みに紛れた。
道中、農家の荷馬車に潜り込み、王都の検問を無事にすり抜けたフローラは、そのまま馬車に乗って東へと向かう。なぜならそこには乳母であるメイベルの故郷――セント村があるからだ。いつか無事に塔を出られたら、必ず彼女の元を訪れると約束していた。
――ああ、メイベル。貴女がここにいてくれたら、どんなに心強かったか……。
塔に閉じ込められたばかりの頃、フローラは乳母を恋しがって泣いてばかりいた。
それから間もなくメイベルが病死したと知らされた時は、事実を受け入れることができず、何日も寝込んでしまったほどだ。
愛してくれたのに、大切に育ててくれたのに、彼女の言いつけをことごとく破ってしまった自分が憎い。
塔に閉じ込められる直前、お守りだと言って彼女がプレゼントしてくれた鍵を今でも大事に持っている。なんの鍵だと訊ねると、子どもの頃に住んでいた家の鍵だと教えてくれた。両親が亡くなって空き家になってからも、たまに家を訪れて、昔の思い出に浸っているのだと。
『子どもたちは古い家を嫌がって近寄りもしませんが、姫様さえよければ差し上げます』
以来、この鍵の存在にどれほど勇気づけられ、支えられてきたことか。
もしかするとメイベルには、こうなる未来が見えていたのかもしれない。
途中で馬車を下りると、フローラは再び歩き出した。
女一人の危険な旅になるかと思いきや、
「にゃー」
驚いて見ると、足元にちょこんと白猫が座っている。
「モーリー、あなた、ついてきたの?」
今までどこに隠れていたのか。
まったく気付かなかった。
「いいわ、一緒に行きましょう。あなたがいればネズミに襲われずにすむもの」
こうして猫と王女の旅が始まった。
匂いと気配に敏感なモーリーのおかげで、盗賊や魔物を見かけても、物陰に隠れてやり過ごすことができた。昼間はひたすら歩いて、日が暮れると木の上で夜を過ごした。スカートの中に隠していたわずかな食料で飢えをしのぎつつ、なんとか村にたどり着いた時には、王都を出て六日が経っていた。
ずっと歩き通しでフローラは疲れ切っていたが、心は晴れやかだった。
メイベルの話によると、セント村は山間にある集落で、住んでいるのはお年寄りばかりらしい。若者が退屈な田舎を嫌って、町へ出て行ってしまったせいだ。そのせいで年々住民が減っいきて、空き家も増えているのだとメイベルは嘆いていた。
日が落ちてきたせいもあるのだろう。
人通りはまったくなく、フローラは目立たないよう目的地へと急いだ。
メイベルの生家はすぐに見つかった。
真っ赤な屋根と扉が特徴的の、古びた一軒家だった。
元は農家なのだろう。今は荒れ果てているものの、広い畑と納屋があり、古い厩舎もあった。近くには透明な湧き水も流れている。
喉がカラカラだったフローラはたまらず涌き水に顔をつっこみ、水を飲んだ。
ひんやりとしていて、おいしい。
王都でいつも飲まされていた水よりもずっと透き通っていて、甘みがある。
モーリーも喉が渇いていたのか、夢中になって水を飲んでいた。
「さぁ、早く家の中に入りましょう」
肌身離さず持ち歩いていた鍵を取り出し、フローラはドキドキしながら家の扉を開けた。
長いあいだ空き家になっていたわりに、中は驚くほど綺麗だった。
暖炉の前に置かれた木製の安楽椅子、家族四人で食卓を囲んだだろう、どっしりとしたテーブル、頑丈そうな食器棚に食糧庫もある。ベッドは埃だらけだったが、シーツを取り換えれば問題ないだろう。
料理器具もそろっているし、書物の詰まった本棚まである。
何もない塔の部屋に比べたら、ここはまるで天国みたいな場所だ。
――あとは食料ね。
腹が減ってはなんとやらで、フローラは血眼になって何か食べられるものはないかと探した。
家の中にあったのは料理に使うためのハーブ類がいくつかと、砂糖や塩、お酒類だけ。
続いて庭へ出て、猛然と畑を目指した。
もしかするとまだ野菜が残っているかもしれないと思ったからだ。
まず納屋へ行き、使えそうな道具を見つけてから畑へ向かう。
しゃがみこんで土を掘り返そうとした時、フローラはついいつもの習慣で、
「大地の女神様。貴女の御手に触れることをどうかお許しください」
と祈りを捧げた。
土に触れるのは久しぶりで、涙が出そうなくらい嬉しかった。
固くなった土を慎重に掘り返しながら、高い塔の上からようやく帰って来た――帰ってこられたのだと実感した。
そうしてフローラは、籠いっぱいの小ぶりのじゃがいもを手に入れた。
草木がぼうぼうに生い茂っていた庭では、食べられる野草を見つけ、摘み取った新鮮なハーブでお茶も淹れた。
モーリーも収穫があったらしく、大きなカエルを咥えて戻ってきた。
食用ガエルである。
少し前のフローラなら、悲鳴をあげて逃げ出していただろうが、背に腹は代えられない。塔に閉じ込められていた頃、届けられた食料の中にカエルも入っていたので――最初はなんの嫌がらせかと泣きそうになったものの――調理方法も心得ている。味は鶏肉に似ていて、栄養も豊富だ。
「ありがとう、モーリー。下処理をして煮込み料理を作るわね」
モーリーは息絶えたカエルを地面に置くと、誇らしげに「にゃー」と鳴いた。
さながら、王女を守る騎士のように。




