第一話
「王女よ、そこで何をしている?」
「お庭の手入れをしております、お父様」
父王に声をかけられ、慌てて立ち上がった十二歳のフローラは、土いじりで汚れた手を咄嗟に後ろに隠した。
「今何を隠した?」
「何も隠しておりません」
「ならば手を出して見せなさい」
こわごわ手を差し出すと、王はこれ見よがしにため息をついた。
「泥だらけではないか。なんと汚らしい……これが王女の手か。第三王女付きの護衛はどこにおる? 乳母はどこだ?」
「シリルもメイベルも悪くありません。私が二人の目を盗んで逃げだしたの」
「なぜそんなことを?」
「だってあれはダメ、これはダメって口うるさいんですもの」
またお父様をがっかりさせてしまったと落ち込むフローラだったが、
「そんなことより、これを見てください、お父様。私が育てたの。綺麗に咲いているでしょう?」
見た目は薔薇のようにも見えるが、色は青く、爽やかな香りを放つ「女神の花」と呼ばれる希少種である。
美しいが育てるのが大変難しいため、貴族のあいだでとても人気があった。
「綺麗な花を見ると気持ちが明るくなるでしょう? 他にもたくさん育てたわ。どうぞご覧に……」
「お前は庭師にでもなるつもりか?」
フローラの声を遮るように、王は冷たい声を出した。
「王女ともあろう者が、地面に膝をつき、手を汚すなどあってはならぬことだ」
「けれどお父様、これが私の……」
「だまりなさい。口答えは許さぬ」
大地の女神を唯一神とするこの国では、王侯貴族は生まれながらに女神の祝福を与えられ、特別な能力をもって生まれる。第一王女は巧みな話術で人を操る能力を、第二王女は絶世の美貌で人を虜にする能力を、そして第三王女のフローラに与えられた祝福は「緑の手」、おかけで王城ではみそっかす王女と陰口を叩かれる始末だ。
それでもフローラは、この力を恥ずかしいと思ったことは一度もなかった。
枯れかけた草木もフローラが手入れをすれば瞬く間に元気になり、花はみずみずしく咲き誇る。
何より地面に座り込んで土いじりをすることが、楽しくて仕方ない。そのたびに「ドレスが汚れるからおやめください」と乳母に叱られてしまうけれど、フローラは気にしなかった。美しい花を咲かせて持っていけば姉たちは喜んでくれたし、普段、子どもたちに無関心な王妃ですらうっとりと花に見とれていた。
しかし父王だけは植物にまるで関心がなく、
「これ以上、王家の恥をさらす前になんとかしなければ……」
厄介な荷物を押し付けられたといわんばかりにフローラを見ていた。
緑の手などという能力は王族にはふさわしくない、そもそも土いじりなどというものは卑しい身分の者たちがすることで、王女のやるべきことではないと彼は考えていた。だからこそ注意してやめさせようとしたのだが、
「王女らしからぬふるまいは控えるよう、何度も言ったはずだ。なぜ父の言うことに逆らう?」
「だったらどうして、女神様は私に、このような力をお与えになったのですか?」
質問を質問で返されて、王はわずらわしげに眉をひそめた。
フローラはけして反抗したわけでも、生意気を言ったつもりもなく、単に不思議に思って訊いただけなのだが、
「頑固な娘だ。もうよい。私の言うことが聞けぬというのなら……」
後日、王は高い塔を建てて、フローラを最上階の部屋に閉じ込めてしまった。
王女らしからぬ行いをした罪で、娘を監禁したのだ。
その日から、フローラは土に触れることも、植物を育てることもできなくなった。
話し相手もおらず、ネズミ退治用に飼われていた白猫のモーリーだけが孤独を癒してくれた。
塔の中を巡回すると、決まってモーリーは獲物を咥えて戻って来た。たいていはネズミの死体だが、たまにトカゲだったり、小鳥だったりするので、フローラは何度悲鳴を上げたことか――そんな時でも自分のことを心配して、助けに来てくれる人は誰もいなかったが――それでも、いつかきっと、父が自分のことを許してくれて、塔から出してくれると信じていた。
それから六年の歳月が流れた。
十八になったフローラは未だ塔に閉じ込められたまま、辛い日々を送っていた。
――お父様はきっと、私のことなど忘れてしまったのね。
ここ最近、魔物による農作物の被害が深刻化しているらしく、王はその対策に追われているらしい。たまに部屋を掃除に来てくれる小間使いがブツブと愚痴をこぼしていた。主食の小麦粉も高騰し、パンの値段もあがっているそうだ。塔に届けられる食料が年々減っているのも、おそらくそのせいなのだろう。
――お腹がすいたわ。
最後にお腹いっぱい食べたのはいつだったか、もう思い出せない。
もしかすると父は、ここで自分が死ぬのを待っているのだろうか。
フローラが逃げられないよう、部屋は外から鍵がかけられており、屈強そうな門番が塔の出入り口をふさいでいた。
窓もはめ殺しで開かず、換気口を出入りできるのは猫のモーリーだけ。
ある時、モーリーが仕留めた蛇を咥えて戻って来た時は、驚きのあまり気を失いそうになったものの、
――この蛇、使えるかもしれないわ。
それはまだら模様のある毒蛇だった。
モーリーがいなければ、今頃は毒蛇に噛まれて死んでいたかもしれない。フローラはモーリーに感謝した。もっとも父は、自分が死んだどころで悲しむどころかホッとするだけだろうが――その瞬間、フローラの脳裏にひらめくものがあった。
――そうよ、死ねばここから出してもらえる。
長いあいだ塔に閉じ込められたせいで頭がおかしくなっていたのかもしれない。
フローラはその思いつきを実行することにした。
王は三日に一度、娘が餓死しない程度に果物や野菜の入った籠を届けるよう召使いたちに命じていた。
そして料理は王女自身にやらせるように、手助けはするなという命令だった。
「殿下、食料をお持ちしました」
入って来た召使はすばやく扉を閉めると、籠をいつものテーブルに置いた。
召使が部屋を去る前に、フローラはテーブルへさっと近づくと、
「きゃあっ、蛇がっ」
悲鳴をあげてぱたりと倒れる。
振り返った召使はフローラの首に巻き付いた蛇を見ると、
「毒蛇っ」
と叫んで、部屋を飛び出して行く。
おそらく門番を呼びにいったのだろう。
まもなく飛び込んできた門番が首に巻き付いていた蛇を掴んで地面に叩きつけると、
「いそぎ姫様を外へ連れ出せっ。医師に見せるのだっ」
「バカ者っ。姫様を外へ出してはいかんっ。陛下の御命令ぞっ」
「ではこのまま姫様を見殺しにしろと貴殿は言うのだな?」
「それは……」
うろたえる召使を無視して門番はフローラを抱えると、長い長い階段を下りて外へ出た。
「誰かっ、誰かおらぬかっ。姫様が毒蛇に噛まれたっ」
「貴殿はここで待っていろ、私が医師を連れてくる。姫様が外にいることを誰にも知られてはならぬぞっ」
そう言って、召使は大慌てで城の方へ走っていき、やがて見えなくなった。
フローラが苦しむふりをして暴れると、門番はうろたえたようにフローラを離し、地面に置いた。
「お願いだから水をっ、水をもってきてちょうだいっ」
このままでは死んでしまうと大騒ぎすると、門番はあわてふためき、塔の裏にある井戸へと向かう。
邪魔な二人がいなくなると、フローラはすっくと立ち上がり、猛然とその場から逃げ出した。
ずっと薄暗闇の中にいたので、太陽の光が眩しくて仕方がない。
強い風を受け、しっかりと大地を踏みしめながら、フローラは走った。
――もう二度と、ここへは戻らない。お父様に会うこともないでしょう。
ようやく得た自由を嚙みしめながら、フローラは走り続けた。




