第十七話
その後、シリルは用があるからと町へ出かけていき、しばらく戻ってこなかった。
このまま彼が戻らないのではないかと不安に駆られるフローラだったが、
「フローラさん、シリルさんが帰ってきたよっ」
知らせてくれたロニーと共に大急ぎで村長宅へ向かう。今までどこにいて何をしていたのか、これからどうするつもりなのか、聞きたいことは山ほどあったものの、居間で村長と話し込んでいる彼を見た途端、ホッとして言葉を忘れてしまう。
シリルはフローラに気づくと、おもむろに近づいてきて言った。
「フローラ、俺はこのまま王都へ戻ります」
フローラはハッと息を飲むと、
「一人で行くつもり?」
「……残念ながら貴女を連れて帰るわけにもいかないので」
冗談交じりに答える彼に「からかわないで」と真面目に返す。
「任務に失敗した騎士がどんな目に遭わされるのか、私が知らないとでも?」
叱責や謹慎処分程度で済めばいいが、事と次第によっては利き腕を失いかねない惨事になる。
それほど、騎士という立場には重責が伴うのだ。
いくら彼が宰相の息子でも、王の怒りを買えばただではすまない。
「不敬になるのでこれまで黙っていましたが……」
そう彼は前置きすると、
「今の国王のやり方に不満を抱えている人間は少なくありません。そもそも魔物による農作物の被害が深刻化したのも、その問題を陛下が長年軽視し、見過ごしておられたせいもあるのです。収穫間近で魔物に田畑を荒らされ、農耕用の牛まで食い殺された人々の中には、絶望のあまり自ら命を絶つ者もいます。俺たちがいくら魔物を倒したところで、これでは……」
自身の無力さを噛みしめるようにシリルは言った。
しかし王は、女神より授かった力で金脈を見つけることはできても、魔物を一掃するほどの力はなく、いざとなれば他国の支援に頼ればいいというスタンスで、臣下たちは皆、頭を抱えているのだという。
「陛下が常に懸念しておられるのは小麦の高騰や農作物の収穫量であって、農民の命は二の次です。万が一にもそのようなお考えが農民たちに伝われば離農が進み、事態はますます悪化するかと」
けれどいくらそのことを忠言しても王は聞く耳をもたないのだと、シリルの父親である宰相も嘆いているのだそうだ。
「ですからフローラ、貴女の持つ能力のこと、この村で記録した成果を父に話すつもりです。陛下も、貴女にまだ利用価値があると分かれば、考えを改めてくださるでしょう」
利用価値……なんだか冷たい響きにも聞こえるが、
――危険を顧みず、シリルは私を助けてくれた。そして私を生かすために、行動を起そうとしてくれている。
彼の気持ちは純粋に嬉しい。
けれど、父王に対するフローラの心境は複雑だった。
子どもの頃、お前は王家の恥だと面と向かって非難され、監禁されて、逃げ出したのちは近衛騎士たちに命を狙われている。仮にシリルの作戦がうまくいったとしても、生き延びるための条件が父王の尻ぬぐい……考えるだけでたまらない気持ちになってくる。
――それにお父様が私のことを認めるなんて、一生ないと思うわ。
利用するだけ利用して、使えなくなったらまた監禁されてしまうかもしれない。
けれどこれも王家に生まれた者の務めだと思い、
「フローラ、どうかしましたか?」
つい暗い表情で考え込んでしまったフローラだったが、
「いいえ、なんでもないわ」
明るい笑みを浮かべて、シリルを見あげる。
「お父様が私のことを許して下さるといいのだけれど……」
塔に閉じ込められた六年間、ひたすらそのことを願って生きてきた。
もうとっくに諦めているし、今さら許されたいとも思わないのだが、シリルの前ではそれを隠して、フローラは笑った。
「お願いだから、無茶だけはしないでね」
シリルもまた明るい笑みを浮かべると、懐から小袋を取り出して言った。
「これ、覚えていますか?」
小袋から出てきたのは銀製の髪飾りだった。
子どもの頃、フローラが自分のお小遣いで買った、シリルへのプレゼントだ。
「ええ、もちろん覚えているわ。これでお金の使い方を覚えたんだもの」
とっくに捨てたと思っていたが、まだ持っているなんて意外だった。
おまけに買った時と同じ状態のまま、六年経った今でもピカピカに輝いている。
「俺は男なので、女性ものの髪飾りはつけません。なので最初は嫌がらせかと思い、貴女に返すつもりでずっと持っていました」
言いながら彼はその髪飾りをフローラの髪につけると、
「ほら、やっぱり貴女のほうが似合う」
満足げに褒められて「そうかしら」とフローラは首を傾げた。
「私の髪は平凡だもの。シリルみたいに綺麗な色じゃないわ」
「貴女の髪色は赤みが強く、温もりを感じさせる色です。俺は好きですよ」
そしてシリルは行ってしまった。
なんの約束もなく、いつ戻るとも言わずに。
シリルがいなくなったあとも、フローラは柵の周辺に植物を植え続けた。
心優しい村人たちの協力を得ながら作業を続け、やがて壊れかけた柵は緑の植物に覆われて、村を守る壁となった。
「本当に信じられん、害獣の被害がなくなるなんて……まさに神の御業だ」
「ありがとう、フローラさん。ありがとう」
「今日もあんたのところに野菜を持っていくからね」
フローラは村人たちに顔を覚えられ、頻繁に声をかけてもらえるようになった。
けれどフローラの心は晴れず、作業を終えても、鬱々とした日々を過ごしていた。
――シリルは大丈夫かしら。
極力この村から出ないように言われているものの、フローラは自分のことより、彼の身を心配していた。
それからしばらくして、村の外から一台の馬車がやってきて、フローラの家の前で停まった。
自分を殺しに来た近衛騎士か、はたまたシリルが戻って来たのかと思い、フローラは隠れて様子をうかがっていたのだが、
「フローラ様、いらっしゃいますか、フローラ様」
馬車から降りてきた女性はずかずかと敷地内に入ってきて、声をあげる。
縁なしメガネをかけた、厳しそうな面立ちの女性には見覚えがあって、
「メイベルっ、メイベルっ」
愛する乳母が自分に会いに来てくれた。
この際、幽霊でも構わないと思い、フローラは夢中になって駆け出していた。




