17 夢
「おふとーん!」
「はあああああ」
敷かれた布団にダイブすると、ふすまの前で、青藍が聞こえよがしに大きなため息をついた。
仕方がないではないか。気付いたら、そんなことを口走っていたのだから。
ただ、青藍を一人にしたくなかったのかもしれない。帰りたくないと、思ってしまった。
そして、明日は朝早く起きて、料理をしなければならない。起きる自信もない。起きられなかった場合、青藍に起こしてもらおうという算段である。内心、こちらが理由だったかもしれない。
「少しは、危機感を持ってほしい……」
「なんか言った?」
花奏はふかふかの布団に顔をうずめる。
神社に布団。本殿と社務所がくっ付いているという、ありえない構造をしている。製作者はあまり考えていないのか。客間があるし客用の布団もある。ならば、誰か訪れて泊まっていくことがあるのだろうか。
泊まれることになったので、深くは考えまい。
「なんか、おじちゃんち来たみたい」
「誰がおじいちゃんだ!」
「あはは」
青藍が何歳設定なのか知らないが、見目は二十歳前後である。乙女ゲーの中にずっといるとなると、どれくらいの間、この中にいるのだろう。発売日から?
「長い時間、ここにいたの?」
「どれだけ時間が経っているのか、わからない」
「私以外に、誰かここに来たことあるの?」
「ここに、泊まりに……?」
「そう。ここに泊まりに」
いるならば、花奏の前に来た主人公だろうか。学園入学後、青藍の守護をもらい、卒業か攻略対象とくっつくかで、ゲームを卒業していく。青藍は、そんな同じような時間を、何度もループしているのだろうか。
そう考えるだけで、陰鬱な気分になる。青藍はそのことを覚えているのだろうか。花奏が来るまで一人だったというならば、覚えていないのだろうか。
「青藍?」
青藍が考え込んだきり、動かない。声をかければハッとして、我に返る。
「あ、ああ。そうだな。一度だけ。裏手の弓道場で、弓を引いて……」
「道場なんてあるの? さすが弓矢のチャーム持ってるだけある」
実際の神社も、裏手に弓道場があった。そのまま踏襲しているのか。
本殿の裏手には行ったことがないが、弓道場があるならば練習したいものだ。モンスターに遭ったとき用に、弓矢も貸してほしい。
「でも、一回だけ?」
「一度だけ。まだ、子供で……」
「子供?」
主人公ではなく、子供? 青藍からすれば、子供のような年ということだろうか。ならば、花奏も子供カテゴリーに入るわけだが。
「いや、けれど、幸せだった」
青藍は緩やかに微笑んだ。その時のことを思い出しているのだろう。見たこともない、優しい笑み。幸せがあふれるような、穏やかな笑いだった。
まるで、愛する人を思い浮かべたような。
なぜか、胸の奥がツンと痛んだ。
「……好きな人、だったの?」
ふと、そんな質問を口にしてしまった。
言って、すぐに口を閉じたが、青藍は、静かに笑った。
その笑いはやけに色っぽく、見ていて赤面しそうになる。
「もう、寝ろ。明日は早いんだろ」
「……はあい」
頭をなでられて、その温もりは残ったまま、ふすまは閉められた。
「あんな顔、するんだ」
花奏がここに来る前に、青藍が穏やかになれるような、そんな日々が、あったのだ。
それに安堵しながら、胸が傷むような気がするのは、気のせいではない。
「乙女ゲーってことは、攻略対象になることがあるわけで、ということは、そういう幸せがあったわけで」
けれど青藍のその相手は、クリアーしたのかいなくなってしまったのだ。
そういう相手と離れ離れにしまったことに、かわいそうというおざなりな感情を持ちながら、青藍にそういう相手がいたのかという、どこか胸の中が重くなるような気持ちが膨れ上がる。
「最低過ぎる」
外に出してやると言いながら、他の誰かと幸福であった日をうらやむなんて。
けれど、なんでそんな気持ちができるのか、気付きながら、認めたくなかった。
ふとんにうつぶして、花奏は枕を抱える。
青藍が外に出られて、誰かと知り合って、その誰かと幸せになれる未来を祝うべきだ。花奏がこの乙女ゲーから出て行くことができたとき、青藍とはお別れのときなのだから。
けれど、それを考えると、急激に、胸の中が重くなるような気がした。
それがなんなのか、もうわかっていた。わかっていても、花奏は考えないように、布団の中に潜り込んで、目を閉じた。
『―ちゃん、また――て、いいんだよ』
遠くで、誰かが何かを言っている。
蝉の声がうるさくて、よく聞こえない。ジージーとか、ミンミンとか、それから、風の音が耳元を過ぎて、木々が揺れた。
夕暮れなのに、まだ蝉が鳴いている。ひぐらしならばまだ涼しさを感じるが、シャワーを浴びているみたいに奏でる音は、あまりにも耳にうるさく届いて、声の主が大声を出しても、よく聞こえなかった。
その声の主を背にして、走り出す。
『もう、来ない』
走って、走って、その声から遠ざかった。追いかけてこないのだから、もう用はないのだ。
それが寂しくて、苦しくて、けれど、振り向く勇気もなかった。
蝉の声に混じって、鋭い音が鳴り響いた。
白いものが、向かってくる。
「おい!」
目の前に、青銀の髪の、狐耳の青藍が見えた。
「大丈夫か!?」
「……青藍?」
「うなされていた。大丈夫か?」
青藍が覆いかぶさるように、花奏の両肩を掴んでいた。
眠っていた花奏が起きてこないから、起こしにきたのだ。
そうだ。昨夜は青藍のところに泊まったのだ。
ゆっくり起き上がれば、障子の向こうは明るくて、青藍が開けば、いつも通りの晴天が見られた。
「嫌な夢でも見ていたのか?」
「わかんない。忘れちゃった」
「気分は? 料理をするんだろう?」
「はっ! 大変! 急がなきゃっ!!」
なんのために泊まりにきていたのか、目的を忘れるところだった。
今日は、女神の祭典だ。




