第9話 悪党の逃走船、聖女港行きでした
「七番を裏へ運べ!」
プライスの叫びが、競売場の怒号を切り裂いた。
控え区画の扉が開き、黒服が二人、ニナを引きずり出す。
「離して!」
黒服の背後で、剣が鞘を滑る音がした。
白銀の線が走る。
ニナを縛る鎖と、首の札が断ち切られた。
【出品番号七】
黒い札が石床を滑る。
振り返った黒服たちの前に、深紅の髪の少女が立っていた。
「七番ではないわ」
アリアが、黒服たちへ剣先を向ける。
「この子の名前は、ニナよ」
「この女――!」
黒服たちが、左右からアリアへ襲いかかる。
一人目の腹へ、鞘を叩き込む。
返した柄が、二人目の顎を打ち上げた。
二人はほとんど同時に崩れ落ちる。
アリアが、倒れかけたニナを受け止めた。
「お姉ちゃん……」
「迎えに来たわ」
「わんちゃんは……?」
「きゅーん!」
黒い布を引きずり、くーちゃんが客席を駆けてきた。
「わんちゃん!」
ニナがしゃがみ込む。
くーちゃんは、その胸へ飛び込んだ。
「怖かった……」
「きゅう……」
ニナが小さな体を抱きしめる。
くーちゃんは、涙の跡へ何度も鼻先を寄せた。
俺も二人のもとへ駆け寄る。
その直後。倉庫の正面扉が、轟音とともに砕けた。
「港湾騎士団だ!」
甲冑を鳴らし、騎士たちがなだれ込む。
「競売参加者から緊急通報を受けた! 偽宝具販売の疑いで黒帆ギルドを捜査する!」
騎士の一人が、ニナの首から落ちた札を見る。
「……出品番号?」
隊長の顔色が変わった。
「人身売買も確認! 他にも連れ去られた者がいないか探せ!」
逃げる黒服たちが、次々と取り押さえられていく。
その間を縫って、一人の女性が走ってきた。
「ニナ!」
「お母さん!」
エルマだった。
ニナが、くーちゃんを抱いたまま駆け出す。
二人はぶつかるように抱き合った。
「ごめんね……ニナ、ごめんね……!」
「お母さん……!」
ニナはようやく、声を上げて泣いた。
エルマの肩越しに、ニナが俺たちを見る。
アリアは一度だけ頷いた。
「お母さんと、元気でね」
「ありがとう! お姉ちゃん」
「戻ってきたときに、くーちゃんのパンを取っておく約束もね」
ニナが涙を拭い、大きく頷いた。
「絶対に取っておく!」
……間に合って、よかった。
そのとき、騎士の一人がエルマへ声をかけた。
「あなた、黒帆ギルドから借り入れをしていた方ですね?」
エルマの表情が曇る。
「はい。でも、まだ借金が……」
「黒帆ギルドの債権帳簿はすべて押収します。違法な利息や、人を担保にした契約は再審査です」
騎士はそう告げ、すぐに持ち場へ戻っていった。
隣で、アリアがほんの少し目を見開いた。
エルマが、不安そうに俺を見る。
「じゃあ……借金は?」
「帳簿を押さえれば、奴らの勝手な取り立てはもう通らないだろ」
エルマの肩から、力が抜けた。
「この御恩、どうお返ししたら……」
その言葉を、怒鳴り声がぶった切った。
「コレクト! 帳簿を持て!」
俺とアリアが振り向く。
プライスが、逃げ支度をしながら叫んでいた。
「裏桟橋だ! 聖女港行きの船を今すぐ出せ!」
……聖女港だって?
隣で、アリアも顔を上げた。
「今、聖女港と言ったわね」
帳簿も、聖女港へ行く足も。
欲しかったものが二つとも、今まさに逃げようとしている。
「追加便、出るらしいぞ」
「乗るしかないわね」
「きゅ!」
くーちゃんもニナの腕から飛び降りた。
「また来てね!」
背中から、ニナの声が飛んでくる。
「きゅーん!」
くーちゃんだけが振り返って答えた。
俺は片手を上げ、そのまま走る。
俺たちは倉庫の奥へ駆け込んだ。
開け放された扉の先には、海へ続く裏桟橋があった。
黒い魔導船が、出航寸前で待っていた。
コレクトは帳簿を抱え、渡り板へ走っている。
「おい、待て!」
……あの帳簿まで持って逃げられるわけにはいかない。
コレクトの背中を追っていると、後ろから足音が迫った。
振り向くと、プライスが異常な速さで距離を詰めてきていた。
「速っ……!」
プライスの足元で、黒い靴が光っていた。
「きゃん!」
くーちゃんの白い光が、俺の周りを包む。
【疾風の加速靴】
【一時付与:左脚加速】
【一時付与:右脚加速】
【偽装要因:フェイクコート】
【剥離可能】
……左右、別々か。だったら――
プライスが、俺たちを追い越そうとする。
すれ違いざま、右の靴へ手を伸ばした。
「……逃がすかよ」
踵から浮いた黒いラベルを掴み、一気に引く。
べりっ。
【一時付与:右脚加速】
右足から光が消えた。
左足だけが、加速を続ける。
「なっ――」
プライスの体が大きく捻れた。
それでも腕を振り、渡り板へ向かって走り続ける。
その背中へ、くーちゃんが吠えた。
「きゃん! きゃん!」
逃げる人間を見れば、吠えたくなるらしい。
「この犬――!」
プライスが振り返る。
それで、完全に崩れた。
加速した左足だけが先へ出る。
体勢を崩したまま、振り返ったコレクトへ肩から突っ込んだ。
「支配人!?」
二人は絡まり合い、渡り板の手前へ転がった。
「待て!」
だが、船員たちは迫る騎士団の明かりを見ていた。
「もう待てません!」
二本の鎖が軋み、渡り板が持ち上がっていく。
黒い魔導船が桟橋から離れ始めた。
プライスたちが起き上がった時には、背後まで騎士が迫っていた。
コレクトは落とした帳簿にも構わず、逃げ出した。
だが、数歩も行かないうちに騎士に腕を掴まれた。
「私は回収係です! 指示に従っただけで――」
「なら、今度はお前が回収される番だな」
別の騎士が、落ちた帳簿を拾い上げる。
「こっちも押収だ。ちょうど探してた」
プライスも二人の騎士に押さえ込まれる。
「あれは私の船だ! 返せ!」
船はさらに離れていく。
渡り板はもう巻き上げられていた。
船との隙間には、黒い海。
……追いついたのに。
泳げば乗れるか?
いや、くーちゃんを抱えてあの距離は無理だ。
隣で、アリアが上を見た。
「あれを落とせば渡れる」
二本の鎖。
「一閃でいけるわ」
右腕の黒紋が強く脈打った。
それでも、アステリアを握る手は揺れていない。
船との距離が開いていく。
「今だ、アリア!」
「《白星一閃》」
白銀の光が、二本の鎖をまとめて断ち切った。
支えを失った渡り板が落ちる。
船側の端を残したまま、反対側が轟音とともに桟橋へ激突した。
船と桟橋の間に、斜めの橋がかかる。長くはもたない。
「走れ!」
俺たちは一斉に駆け出した。
くーちゃんが隣を走り、アリアもすぐ後ろから続く。
船は止まらない。渡り板の端が桟橋をこすり、海側へ滑っていく。
俺とくーちゃんが甲板へ飛び移った。
振り返る。
アリアが渡り板の端を蹴った。だが、踏み切った右膝が沈む。
「アリア!」
甲板から手を伸ばす。
届いた。
アリアの指が、俺の手首を掴んだ。
一気に引き上げる。
直後、渡り板が桟橋から外れ、海へ落ちた。
桟橋では、プライスとコレクトに手枷がかけられている。
「お前が振り返ったから巻き込まれたんだ!」
「支配人が片脚だけで走るからでしょう!」
捕まっても、二人はまだ責任を押しつけ合っていた。
「最後まで足並みが揃わないな」
突然乗り込んできた俺たちへ、船員たちの視線が集まった。
船長らしい男が、武器へ手を伸ばした船員たちを制した。
その目は、桟橋の騎士団へ向いている。
「……今から戻れば、俺たちも捕まる。聖女港まで運ぶ。船賃は着いてから払え」
「話が早くて助かる」
船が速度を上げた。港の明かりが遠ざかっていく。
くーちゃんが、甲板へ腹をぺたんとつけた。
「きゅう……」
アリアも、その隣へ腰を下ろす。
「あなたのやり方、面白いわね」
満足そうに、遠ざかる港を見ていた。
「私なら、五人斬って終わりだったわ」
「でも、結果は違った。ブラックギルドは化けの皮が剥がれて、ニナも取り戻した」
「俺、五人も斬れないからな」
アリアが立ち上がろうとして、表情が止まる。
右脚から力が抜けた。
「アリア!」
倒れる前に肩を抱く。
衣服の裾から、黒い紋様がのぞいていた。
呪いは、腕だけでなく脚へも回り始めている。
「……少し、動かしにくいだけよ」
そう言って、アリアは笑おうとした。 うまく笑えていなかった。
残り四日。
聖女港へ着く頃には、アリアが自分の足で歩ける保証すらない。
黒い魔導船は、夜の海を走り続けた。
ここまで読んでくださってありがとうございます。
続きも気になったら、ブックマークや★で応援いただけると嬉しいです。
次回は掲示板回。
勇者の聖剣が偽物だった件。
黒帆市が一晩でひっくり返った件。
そして、なぜか毎回現場にいる白く光るポメラニアン。
……世間では、とうとう「犬が本体説」が出始めました。
そしてその裏で、今回の騒動を仕組んだ男も――。




