第31話 ガキ一人助けたんだろ。お前にしちゃ上出来じゃねえか
西坑道へ続く道は、三本に分かれていた。
「くーちゃん、どっちだ」
「きゅ!」
くーちゃんは迷わず左へ曲がった。何かを拾ったように耳がぴんと立ち、そのまま速度を上げていく。
「くーちゃん。突っ込みすぎよ」
アリアが追いかける。
「急ぎましょう。絶対に間に合わせます」
リリアナも、その横を走っていた。
少し遅れて、俺にも金属が岩へぶつかる音と、短い悲鳴が聞こえた。
「いたぞ!」
今は、間に合わせることだけ考えて走った。
***
西坑道の奥は、岩壁の一部が大きく崩れていた。
つるはしを持った男が二人、血だらけで壁を背にしている。その足元には、一人の少女が倒れていた。
朝、くーちゃんを見て「芋掘りの子だ」と笑っていた子だ。
「頼む! ティナがやられた!」
男が叫ぶ。
その正面には、《黒殻モール》が二体。
「こいつら、壁の奥から急に――!」
さらに崩れた壁の奥から黒泥スライムが次々と這い出し、一つの大きな泥の山へ集まり始めていた。
黒殻モールの一体が、倒れた少女へ鼻先を向ける。
「きゃん!」
くーちゃんが飛び出した。
少女の前で四本の脚を踏ん張り、自分の何十倍もある魔物へ毛を逆立てる。
その小さな背中に、砕けた盾を構えて、それでも誰かの前に立ち続けた男の姿が一瞬だけ重なった。
その前へ、深紅の髪が滑り込む。
「下がって、くーちゃん。そこからは私の仕事よ」
すぐに鑑定を向けた。
【黒殻モール】
【背甲:高硬度】
【腹部:防御薄弱】
「アリア、腹だ!」
「わかったわ」
モールが突進する。
アリアは正面から受けず、半歩だけ横へ外れた。そのまま巨体を崩し、露出した腹へ白銀の線を走らせる。
巨体が勢いを失い、そのまま地面へ倒れ込んだ。
その向こうでは、黒い泥の山がもう立ち上がっていた。
【黒泥王スライム】
【融合固定:剥離可能】
二回目だ。
もう、迷う理由はない。
「くーちゃん、やるぞ!」
「きゅ!」
ボーロをぱくりと食べると、白い光が広がり、視界が切り替わった。
短弓を構え、矢じりの先へ意識を伸ばす。
……この矢は、俺の指だ。
弦を放つ。
白い線が黒泥王の中心を貫いた。
べり、と黒いラベルが剥がれ、巨大な身体が形を保てなくなる。
絡み合っていた泥がほどけ、十七体の黒泥スライムへ戻った。
「アリア!」
「見えてるわ」
次の瞬間、白銀の軌跡が坑道を薙いだ。
散らばったスライムがまとめて斬り裂かれ、残った黒殻モールも返す刃で腹を裂かれる。
「ティナ!」
男の声で振り返る。
少女の脇腹は深く裂け、服が赤黒く濡れていた。唇も、少しずつ紫色へ変わり始めている。
リリアナは、もうその横へ膝をついていた。
「《聖印・白環再生》」
白い輪が一つ、二つ、三つ。
傷口を囲んだ輪が重なり、止まらなかった血がゆっくりと収まっていく。裂けた傷も閉じていった。
だが、リリアナは傷口を見つめたまま、顔を上げなかった。
「……傷は塞がりました。でも、様子がおかしいです」
倒れたモールの爪へ鑑定を向ける。
【黒殻モール・毒爪】
【状態異常:黒殻毒】
【治療:専用解毒薬を推奨】
「これは……毒だ」
「早く治療院へ運びましょう。私の祈りだけでは、完全には抜けません」
リリアナはティナの傷口へ手を添えたまま、白い光を絶やさない。
《灰籠》の二人も立って歩くのがやっとだった。
担架を運べるのは、俺とアリアしかいない。
足元には、今日一日で集めた素材袋が転がっている。
売れば、白鐘を守る金になる。
俺は一度だけ袋を見て、その場へ置いた。
「アリア、この子を運ぶぞ」
「ええ、わかったわ」
二人で担架を持ち上げる。
第三層への道が、背中側へ遠ざかっていった。
後悔はしていない。
ただ、白鐘の炉の火を一度だけ思い出した。
***
ギルドの治療院へ着いた頃には、もう日が傾いていた。
ティナはすぐ奥へ運ばれ、解毒薬を使った処置が始まる。
廊下で待っている時間が、やけに長く感じた。
やがて治療師が扉から出てくる。
「毒は抜けました。もう大丈夫です」
《灰籠》の二人が、その場へ座り込んだ。
リリアナも胸元へ手を当て、ようやく息を吐く。
しばらくして、寝台の上のティナが薄く目を開いた。
「……芋掘りの子、は?」
「きゅーん」
くーちゃんが寝台へ前足をかけ、その頬をぺろりと舐める。
ティナが、少しだけ笑った。
……よかった。
本当に、よかった。
その時、窓の外から夕刻の鐘が聞こえた。
換金受付の終了を知らせる鐘だった。
坑道には素材を置いてきた。第三層へ降りる時間も、もうない。
人は助けた。
でも、白鐘は。
「……白猫ちゃんねる、最後の配信になっちゃいましたね」
リリアナが魔導端末を抱えたまま、うまく笑えない顔をした。
「……悪い。白鐘、守れなかった」
「謝るところじゃないわ」
アリアが静かに答える。
「あなただけが決めたことじゃない。みんなで選んだのだから」
ポケットの中で、焦げた櫛に触れた。
……ガイ、悪い。
お前の寝床、守れなかった。
でも、お前ならきっとこう言う。
――何謝ってんだ、透矢。
ガキ一人助けたんだろ。お前にしちゃ上出来じゃねえか。
それから、不敵に笑って。
――少しは漢らしくなったな。
そう言いながら、いつものようにリーゼントを整える。
……ああ。
これでよかったんだよな。ガイ。
だけど。
俺は、お前のことも救いたかった。
白鐘も。
あの三人も。
できるなら、全部。
……すまない。
俺が、また足りなかった。
「きゅうん」
足元で、くーちゃんが俺の脚へ鼻先を押しつけた。
頭を撫でようとした、その時。
治療院の扉が開いた。
「そちらも、うまくいったようですわね」
……うまくいった?
白鐘を守れなかった俺たちに、何を言ってる。
振り返る。
扉の向こうで、イザベラが微笑んでいた。
脇には、泥で汚れた見覚えのある素材袋が二つ。
もう片方の手には、重そうな革袋を提げている。
豪奢な金髪は、いつもと違って一筋だけ乱れていた。それなのに、その顔だけは完全に勝った側のものだった。
「……どういうことだ?」
「あなたたちが置いていった素材ですわ。全部拾って、換金してきました」
イザベラが肩を押さえる。
「受付が閉まる直前でしたけれど、間に合わせましたわ。重かったです。二度とやりたくありません」
イザベラが、俺たちの頭上を指さした。
つられて見上げる。
天井近くに、小さな魔導カメラが一台浮かんでいた。
「まさか……」
イザベラが口元を上げる。
「ええ。配信は止めていませんわ」
「……救援の間もか?」
「ええ。あなたたちが西坑道へ走り出してから、ずっとです」
魔導端末をこちらへ向ける。
画面には、まだコメントが流れ続けていた。
《三層捨てて救助行った》
《Fランクと剣聖の連携やばい》
《聖女、あの子助けたぞ》
《投げ銭ここでいい?》
《白猫ちゃんねる継続希望》
【最高同接:二千四十七人】
「……二千?」
今朝まで、そんな数字は見たこともなかった。
イザベラが当然のように言う。
「救援は契約外でしたわ。ですが、配信は契約内ですから」
【素材売却:銀貨八十四枚】
【配信収益:銀貨二百枚】
【本日総収益:銀貨二百八十四枚】
一瞬、意味が分からなかった。
「あなたたちが救援へ向かってから、一気に伸びましたの」
イザベラが画面の表示を切り替える。
【イザベラ報酬:銀貨六十枚】
【白鐘もふもふ団:銀貨二百二十四枚】
「配信収益の三割。私の取り分は、先にいただきました」
イザベラが銀貨袋を俺の手へ乗せる。
ずしりと重い。
必要だったのは、二百枚。
何度見ても、足りている。
イザベラは、コメントが流れ続ける画面を見た。
「普段なら、どう見せれば一番届くかを考えますわ。でも今日は、あなたたちがやったことを、そのまま届ければよかった」
少しだけ間を置いて、口元を上げる。
「……そういう仕事は、久しぶりでしたわ。少し、熱くなりました」
白鐘を諦めて、人を助けに走った。
なのに、その選択が白鐘まで守っていた。
「……白猫ちゃんねる、続けられるんですね」
リリアナが泣き笑いになる。
「きゃん!」
くーちゃんが銀貨袋の上へ乗った。
……団長は、金の上に座るものらしい。
アリアがイザベラを見た。
「……少しだけ、見直したわ」
「少しで結構ですわ。全部見直されたら、調子が狂いますもの」
俺もイザベラを見る。
「……普通の魔法使いって言って悪かったな」
「ええ。ようやくお分かりになりました?」
その日。
白鐘もふもふ団は、結成初日で解散しなかった。
次回は掲示板回。
白鐘を捨てて救援へ走った配信は、いつの間にか二千人以上に見られていました。
あの時、視聴者には何が見えていたのか。
そして、姿の見えなかったイザベラは何をしていたのか。
その答えの先で、今度こそガイを起こすための《オラ・カリス》へ繋がる手がかりが見つかります。
くーちゃん「こんどはガイを助けるわん!」
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