↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
20/33

第20話 この線を越えたら、斬るわ

「きゃん!」


くーちゃんが、黒い塊の前で俺を呼んでいる。


近づくと、鼻先を寄せて、くんくんと匂いを嗅いだ。


「それが気になるのか?」


「きゅ!」


黒く焦げた、掌ほどの塊。


石畳に膝をつき、塊を覗き込む。


黒い泥みたいなものがこびりついて、元の形も分からない。

どう見ても、魔物の残骸の一部だった。


「……ただの燃えかすじゃないのか?」


「きゅう」


くーちゃんは、前足で塊をちょいとつついた。


違う、と言いたいらしい。


その時、広場にも少しずつ音が戻り始めていた。


誰かが瓦礫をどける音。

子供の泣き声。

崩れた屋台の布が、風にはためく音。


ざ、ざざ……


傾いた魔導板が明滅する。

石畳に落ちていた魔導カメラが一台、よろよろと浮き上がった。


止まっていたコメントが、流れ始める。


《……映った?》

《……終わったんだよな?》

《あれ普通に災害級だろ。よく倒したな》

《最後の見たか。一人で全部受け止めてた》

《ガイ・ヴェイル。元聖騎士だな》

《あのリーゼントか……》


……有名だったのか、あいつ。


いや。 本人が、言わなかっただけか。


《ていうか犬、なんか見つけてない?》

《ドロップか?》

《災害級のドロップ……!》


……そんな大層なものか?


塊へ、鑑定を向ける。


【評価:魔物核片】

【違和感:あり】


……やっぱり、ただの燃えかすじゃない。


「くーちゃん、頼む」


ボーロを一粒差し出す。


もぐ。


白い光が、視界を切り替えた。


黒い泥の表面に、見慣れた黒いラベルが浮かび上がった。

何重にも、巻きつくように貼りついている。


その奥から、別の文字が滲んでくる。


【表面評価:魔物核片】

【汚染要因:聖喰残滓】

【本来評価:聖女の涙杯《ティア・カリス》】

【剥離可能】


……ティア・カリス。


救済対決の予告で、セラフィナがその名を口にしていた。 今は失われた聖杯だと。


失われたんじゃない。

喰われてたんだ。


黒いラベルの端をつまむ。 指先に、ぬるりとした冷たさが伝わった。


「元の姿に、戻れよ」


一気に引く。


べり、と。


黒い外殻に、ひびが走った。 こびりついていた泥が、乾いた土みたいにぼろぼろと崩れ落ちていく。


その下から、小さな銀の杯が現れた。


手のひらに収まるほどの大きさ。 飾りは少ない。縁に、涙の雫のような刻印が一つだけ。


《杯!?》

《魔物の中から聖杯出てくるの草》


「それは……」


背後で、息を呑む音がした。


リリアナだった。

さっきまでガイの手を握っていた指が、胸の前で固まっている。


「……ティア・カリス」


「知ってるのか?」


「古い救命儀礼に使われた聖杯です。記録でしか見たことがありません」


救命。


その言葉に、リリアナ自身がはっとした。


振り返る。 ガイの方へ。


「透矢さん。それを」


杯を受け取るなり、リリアナは駆け出した。


ガイの横へ膝をつく。


「確実に使えるかどうかは、分かりません」


リリアナはガイの胸元へ、銀の杯を置く。


「ですが、何もしないよりずっといいはずです」


指先で、石畳に聖印を描いていく。


一つ。 二つ。 三つ。


杯を囲んで三つの聖印が結ばれ、淡い白環が広がった。 環が、ガイの身体を静かに囲む。


「古い記録では……死の淵にいる人を救うために使われた杯です」


「……だったら」


「まだ、間に合うかもしれません」


リリアナが、杯へ両手を伸ばす。


……ガイが、助かるかもしれない。


そう思った、その時。


「その聖具を置きなさい!」


広場の端から、黒い聖務服の三人が歩いてきた。

旧施療所の前で、リリアナを締め出そうとした連中だった。


……よりによって、今かよ。


《なんか出てきた》

《戦闘中どこいたんだよ》

《安全確認済み神官》


先頭の神官が、リリアナの手元を見て顔色を変えた。


「その杯は……まさか」


「ティア・カリスです」


「触れてはいけません。直ちに聖務院で回収します」


「いいえ。ガイに使います」


もう一人の神官が声を荒らげた。


「古代聖具は聖都の管理物です。正式な調査もなく、一個人へ使用するなど――」


「その調査を待っていたら、この人は死にます」


別の神官も前へ出た。


「一度しか使えぬ聖具かもしれない。それを、その男一人のために失うなど――」


ガイを見下ろす。


「ましてや、ただの番犬に!」


トン。

小さな足音がした。


「――番犬?」


静かな声が、割って入った。


アリアだった。


黒紋の消えた手を、アステリアの柄へ添えている。


「番犬と呼びたいなら、好きに呼べばいいわ」


ガイとリリアナの前に立ち塞がるように、アリアは足を止めた。


「でも、覚えておきなさい。その番犬が、誰の前に立って倒れたのか」


アリアが、神官たちを順に見る。


「あなたたちが無傷でそこに立っていられるのは、あの人が最後まで退かなかったからだわ」


「我々は聖務院の規則に従っているだけです!」


先頭の神官が、背後へ手を上げる。


「警護隊!」


路地から、白い鎧の兵が現れた。


一人、二人。

瓦礫の陰や通路からも増えていく。


剣。槍。魔導杖。

十人。いや、それ以上。


半円を描いて、俺たちを囲んだ。


《増えたぞw》

《戦闘中に出せよその人数》

《聖具回収だけは仕事が早い》


「聖具を確保せよ!」


兵士たちが、一歩踏み出した。


「リリアナ、手を止めないで」


アリアが、アステリアを抜いた。


抜いた、と思った時には、もう振り終わっていた。


――ザンッ。


兵士たちの爪先、その一歩前。


石畳を横切るように、長い白線が刻まれた。


一瞬遅れて亀裂が端から端まで伸び、細かな砂埃が舞い上がる。


「ひっ……」


全員の足が止まった。


《今、何した?》

《剣圧だけで地面割った?》


アリアは、自分が刻んだ線へ一度だけ目を落とした。


「その線が、あなたたちのデッドラインよ」


それから、男たちを見る。


「そこからこっちへ入ってきたら――」


「斬るわ」


誰も動かなかった。


いや。

動けなかった。


先頭の兵士が、剣を構えたまま固まっている。

その隣では、魔導杖を握る男の喉が、ごくりと鳴った。


半円を作っていた警護兵たちの足が、ぴたりと止まる。


そして、さっきまで一番威勢よく規則を叫んでいた男の膝が折れた。


「あ……」


石畳に手をつく。

立ち上がろうとしているのに、足に力が入らないらしい。


《腰抜かしたwww》

《誰も線越えねえ》

《番犬呼ばわりした奴が一番先に下がってて草》


十人以上いるのに、誰一人として白い線を越えなかった。


アリアは、そんな彼らを見ても表情を変えない。


「続けて、リリアナ」


リリアナが、ガイへ向き直る。


ティア・カリスを両手で包み、目を閉じた。


「……どうか、お願いです」


「この人を……助けてください」


銀の杯が、淡く光った。


リリアナの指の隙間から、白い光がこぼれる。

雫のようにガイの胸へ落ち、そのまま身体の奥へ染み込んでいく。


ガイの指先が、かすかに震えた。


「……っ」


もう一度。


今度は、胸がわずかに上下した。


「……息を」


リリアナの声が震える。


「息を、してます……!」


「ガイ!」


気づいたら、叫んでいた。


「きゃん! きゃん!」


くーちゃんが尻尾を激しく振る。


……戻った。

胸の奥に詰まっていたものが、一気にほどける。


《息戻った!》

《ガイ生きてるぞ!》


「よかった……」


ガイの横へしゃがみ込む。


「おい、ガイ。聞こえるか」


握っていた焦げた櫛を、手のひらへ乗せた。


「ほら。返すぞ」


返事はない。


「それと、一杯奢るんだろ」


一秒。


二秒。


三秒。


ガイの指は、櫛を握らなかった。


手のひらから、櫛が滑り落ちる。


からん。


「……ガイ?」


嫌な予感がして、鑑定を向けた。


【魂魄離脱:停止】

【状態:聖眠】


……生きてる。


それだけで、十分なはずなのに。


「……どうして」


リリアナが、ガイの頬に触れる。


「息は戻ったのに……目を開けてくれない……」


「鑑定だと、【聖眠】って出てる」


「聖眠……?」


「……待ってください」


リリアナが、銀の杯を見つめる。


「そうです……《双子の聖杯》」


その言葉を確かめるように、もう一度呟いた。


「古い記録にありました。救命の聖杯は、二つで一つなんです」


眠ったままのガイを見る。


「涙の杯は、失われる命をここに留める。『行かないで』としか、言えないんです」


「じゃあ……もう一つは?」


「《聖女の祈杯》オラ・カリス」


リリアナが俺を見る。


「『戻ってきて』と呼ぶための杯です」


くーちゃんが、ガイの手のそばで伏せた。

まるで、帰ってくるまで待つみたいに。


石畳に落ちた櫛を、拾い上げる。


探すものが分かった。


もう一つの聖杯――オラ・カリス。


ガイは、まだ帰ってきていない。


だったら、迎えに行くだけだ。


ここまで読んでくださってありがとうございます。


続きが気になったら、作品フォローや★で応援いただけると嬉しいです。


次回は掲示板回。

聖女騒動を世間はどう見たのか。そして、黒幕の独白も。


その後、ガイを呼び戻すため、もう一つの聖杯《オラ・カリス》を追います。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。