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第11話 奇跡を失った聖女と、仁義の盾

黒い魔導船が、聖女港へ入っていく。

白い港の向こうには、聖都ミレイアの街並みが広がっていた。


ようやく着いた。

まずは、聖女リリアナを探す。


カインの記録が本当なら、評定師クロウの次の獲物は彼女だ。

危険を伝えるのが先。

それから、アリアの呪いを聞く。


昨日まで、この船は闇オークションを開いていた連中のものだった。

その船で聖女港へ乗りつけることになるとは思わなかったが。


「犯罪組織の船で入港する経験は、できれば一度で十分にしたいんだが」


「贅沢言わないの」


アリアが素っ気なく返す。


舳先で港の匂いを吟味していたくーちゃんが、焼きたてパンの匂いに尻尾を揺らす。


……緊張感、皆無だな。


桟橋には、港湾騎士が待っていた。


船長はそれを見て、大きく息を吐く。


「……ここまでだな」


抵抗する気はないらしい。船員たちが次々と両手を上げた。


「向こうの港湾騎士団から話は来ている。船と乗員はこちらで預かる」


騎士の一人が、俺たちへ向き直った。


「お前たちは黒帆ギルドの摘発に協力した三人だな」


視線が、くーちゃんへ落ちる。


「……光るポメラニアンってのは、こいつか?」


「もう噂になってるのか?」


「昨日の件は、港中に広まってる」


くーちゃんが、期待に満ちた目で騎士を見上げた。


「確認だけさせてもらっても?」


「何の確認だ?」


答えの代わりに、騎士はしゃがみ込み、くーちゃんの頭を撫でた。


「きゅう」


「……確認が取れた」


何の確認だったんだ。


***


聖女港から続く白い階段を、アリアが先に上っていく。


いつも通りの足取りに見えた。

だが、一段ごとの間が、いつもより長い。


「手、貸すか?」


「いらないわ」


最後の一段で、右膝がふっと沈む。


「っ――」


倒れる前に腕を掴んだ。


「……離して。歩けるわ」


「今のを見せておいて、その台詞は無理があるだろ」


アリアは睨んだが、すぐには振り払わなかった。

袖口から黒紋が覗いている。


【血統呪詛:死蝕】

【余命推定:四日】


残り四日。


昨日までは、腕だった。今は、脚にまで来ている。


……急がないとまずい。

リリアナを見つける前に、アリアが歩けなくなる。


「行くわよ」


アリアは俺の腕から離れ、無理やり背筋を伸ばした。


「リリアナを探すのでしょう」


まだ、自分の足で歩くつもりらしい。


聖都ミレイアは、名前の通り白い町だった。


石畳も、聖堂も、空へ伸びる祈鐘塔も。

行き交う巡礼者の外套まで、白で統一されている。


広場の巨大な魔導板では、金髪の聖女が柔らかく微笑んでいた。


【聖女セラフィナ 本日の救済式 八十七名を救済】


……リリアナじゃないのか?


その下には、大きな立て札。


【本日の救済受付:終了】


なのに、外にはまだ何十人も並んでいる。


包帯を巻いた老人。呪傷を抱えた探索者。子供を抱いた母親。


アリアが、立て札と列を見比べた。


「……終了なの? ずいぶん、都合のいい奇跡ね」


……奇跡にも営業時間があるらしい。


だが、今は寄り道してる場合じゃない。

近くの巡礼者に声をかける。


「リリアナって聖女を、知らないか?」


男の顔から、笑みが消えた。


「……現在の聖女様は、セラフィナ様ですよ」


答えになっていない。


「リリアナは?」


重ねて聞くと、男は周囲を一瞥した。


「……中央聖堂で聞かれた方が」


それだけ言って、足早に去っていく。


……なんだ?

名前を出しただけで、露骨に避けられた。


俺たちは、中央聖堂へ向かった。


受付でリリアナの名を出した途端、聖務官が露骨に顔を曇らせる。


「……奇跡を失った、あの者ですか。もう、ここにはおりません」


「どこにいる?」


「存じません」


少しの間を置いて、付け足す。


「……どこかで、勝手に患者を診ているとは聞きますが」


……奇跡を失って、中央聖堂を追われたのか?


礼だけ言って、聖堂を出た。


「どうするの?」


アリアが少し遅れてついてくる。右足の運びが、さっきより重い。


……急がないとな。


そのとき、聖堂前を歩く男の腕が目に留まった。


真新しい包帯。

その後ろにも一人。さらにもう一人。

みんな、同じ路地から出てきている。


中央聖堂の受付はもう終わっている。 なのに、治療を終えた人間がいる。


「……あっちだ」


「分かるの?」


「たぶんな」


人の流れを逆に辿る。くーちゃんも鼻をひくつかせ、先に走り出した。


「きゅ!」


中心から離れるほど、町の白さが剥げていく。

巡礼者が減り、包帯を巻いた者が増えていった。


アリアが辺りを見回す。


「救われていない人ほど、町の端にいるのね」


少し先で、老人の杖が石畳に落ちた。そのまま膝から崩れる。


「きゃん!」


くーちゃんが走る。

だが、その老人の前へ先に膝をついた人がいた。


銀髪の女性だった。


手首に触れ、呼吸を見る。迷いなく包帯を巻き直していく。


「今日は歩いてはいけませんと言いましたよね」


「すまんな……」


老人が苦笑した。


「ありがとう、リリアナ様」


その名前に、俺は顔を上げた。


「……あんたが、聖女リリアナ?」


女性がこちらを見る。

わずかな間があって――


「はい……そう呼ばれていた者です」


奇跡を失っても、患者を診ることはやめていなかったらしい。

ようやく、見つけた。


「急に悪い。俺たち、あんたを探してたんだ」


「私を、ですか」


「評定師クロウって男がいる。そいつの次の標的が、あんたらしい」


「私を……」


「ああ。それで――」


リリアナの視線が、俺の肩越しへ逸れた。


「……その方、大丈夫ですか?」


振り返る。


数歩後ろで、アリアがふらついていた。

右足が石畳を擦り、肩が揺れ、膝が折れる。


「アリア!」


倒れる寸前で、その身体を支えた。


「……平気よ」


「無理するな。もう休もう」


リリアナがすぐにアリアの腕を取り、袖口の黒紋に目を落とす。


「私のことは……後でいいわ」


腕を引こうとするアリアを、リリアナは放さなかった。


「倒れた方を、後回しにはできません」


黒紋をもう一度見て、立ち上がる。


「近くに施療所があります。来てください」


***


老人とアリアを支え、旧施療所へ向かう。


だが入口には、黒い聖務服の男が三人立っていた。


「ようやく戻ったか、リリアナ」


男は一枚の通達を広げた。


「本日より、この施療所への患者受け入れを停止する」


「……どういうことですか」


「救済を求める者は、すべて中央聖堂へ回せとの命令だ」


「中央は受付終了してたぞ」


俺が割って入ると、男の眉が動いた。


「今日間に合わなければ、明日の救済へ登録すればいい」


「今日倒れた人間に、明日まで待てって?」


答えはなかった。


リリアナが、アリアを支えたまま前へ出る。


「この方を休ませます。通してください」


男たちは動かない。むしろ、入口を塞ぐように横へ広がった。


アリアはリリアナの肩を借りて、ようやく立っていた。

ここまで来るだけでも限界だった。

今すぐ休ませないとまずい。


男が鼻で笑う。


「その呪われた女も中央へ運べ」


いつものアリアなら、真っ先に睨み返している。 だが反応がない。リリアナの肩に体重を預けたまま、浅く息をするだけだった。


……もう、声すら届いていないのか。


「うう……」


足元から、低い唸り声がした。

気づいたときには、くーちゃんが俺の横を抜けていた。


「待て、くーちゃん!」


止める間もなく、小さな身体が男たちの前へ躍り出る。


「きゃん!」


「邪魔だ、犬!」


男が苛立ち、足を振り上げた。


まずい――


「くーちゃん!」


その瞬間。


ごっ。


くーちゃんと靴の間へ、傷だらけの大盾が割り込んだ。


「女を囲んで、犬を蹴る」


低い声が落ちた。


「お前ら、筋が通ってねえにも程があるぜ」


盾の向こうに、一人の男が立っていた。


黒い立ち襟の上着。片手に薬箱。

そして、潮風にも負けないリーゼント。


……え、リーゼント?


「貴様は……ガイ・ヴェイル!」


聖務官たちの顔が引きつった。


「奇跡を失った聖女の番犬め!」


ガイは胸ポケットから小さな櫛を取り出し、前髪をひと撫でした。


「……だからどうした」


櫛をしまう。


「誰を守るかは、俺が決める」


ガイは傷だらけの盾を、半歩前へ出した。

拳で、その縁を軽く叩く。


ごつ。


「ここから先は通行止めだ」


奇跡の都で、俺たちを守ったのは、傷だらけの盾だった。


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