第1話 犬のおやつを拾ったら、剣聖少女に拾われた
「悪いな、透矢。今日でお前はクビだ」
勇者カインが、高級ワインのグラスを傾けながら言った。
「……勇者パーティーからか?」
「ああ。お前とその犬は、ここに置いていく」
またか、と思った。
前のパーティーでは編成変更。その前は、人員整理。理由は違っても、最後はいつも同じだった。
もう、お前は必要ない。
足元で、相棒のクリーム色のポメラニアン――くーちゃんが俺を見上げた。
ダンジョン第七層、深部手前。
俺が一週間かけて周囲の危険を調べ、安全を確保した休息ポイントで、仲間だった三人は俺の追放に祝杯をあげていた。
魔導カメラの一台が、その光景を正面から映している。
「俺も、魔物の危険度を調べてきただろ」
「それが何になる?」
カインは笑った。
「危険度が分かっても、魔物の牙は止められない」
仲間の魔法士がカメラの角度を直す。
「少し下がってくださる? 画面が安っぽくなるの」
カインが聖剣を得て配信が伸びてから、俺とくーちゃんは画面の端へ追いやられていった。
「最後の仕事だ。鑑定しろ」
カインが腰の聖剣を抜くと、金色の光が広がった。
言われるまま、剣へ鑑定を向ける。
【聖剣グランヴァルト】
【等級:特級】
【効果:竜殺し】
「特級の聖剣。竜殺しの効果がある」
「見れば分かることを読むだけか」
カインは笑った。
……最後にやらせた仕事で、それを言うのか。
「やっぱり、お前の鑑定は必要ない」
聖剣を鞘へ戻し、得意げに顎を上げる。
「呪われた剣聖を討てば、俺たちは正式にS級勇者だ。晴れ舞台に、Fランク鑑定士と犬を連れていたら、格が落ちる」
配信コメントが流れる。
《次は剣聖討伐!》
《勇者カインなら余裕っしょ》
「餞別だ」
布の袋が足元へ落ち、中から丸い粒が転がる。
ボーロだった。
くーちゃんの耳がぴくりと反応する。それでも駆け寄らず、先に俺を見上げた。
「犬のおやつでも食ってろ」
仲間たちの笑い声に、投げ銭の通知が重なる。
《退職金がボーロ一袋w》
《Fランクにはお似合い》
腹は立った。
だが、次に買える保証は、どこにもない。
ボーロを拾った。くーちゃんの好きなものだから。
***
勇者パーティーは笑いながら奥へ消えた。
「……また駄目だったな」
今度こそ長く働けると思っていた。
次の報酬で、くーちゃんのフードも少し良くするつもりだった。
「俺みたいなFランクは、必要な間だけってことか」
くーちゃんが俺の膝へ前足を乗せた。ぽこん、と一度。
「きゃん」
「分かってる。落ち込んでても、明日の飯は出てこないもんな」
頭を撫でる。くーちゃんの尻尾が揺れた。
「しょうがない。また一からやり直すか」
拾ったボーロを一粒差し出す。
「ありがとな、くーちゃん」
「きゅーん」
くーちゃんは小さな尻尾を一度だけ大きく振ると、ボーロをぱくりと食べた。
その瞬間。
クリーム色の毛並みが白くひらめき、視界の隅に残っていた鑑定表示が揺らいだ。
「……今、光ったか?」
「きゅ?」
光はもう消えていた。
ただ、ポメラニアンは普通、ボーロを食べても光らない。たぶん。
俺は荷物を背負い直した。
「じゃあ、地上へ戻ろう。帰還路は調べてある」
くーちゃんが隣に並ぶ。壁に残した目印を確かめながら、しばらく通路を進んだ。
サブカメラも、少し遅れてついてくる。
……俺への追尾設定だけは、律儀に残ってるらしい。
そのまま次の分岐へ差しかかったとき、暗がりから黒い影が滑り出た。
痩せた巨体に、異様に長い四肢。
裂けた口元から、細い牙が覗いている。
【裂牙ウルフ】
【危険度:B】
【推奨戦力:Bランク前衛二名以上】
鑑定は、こちらの戦力まで親切に並べてくれた。
【現在戦力:Fランク鑑定士一名】
【随伴:ポメラニアン一匹】
「……無理だろ、これ」
危険度も、必要な戦力も分かる。
だが、分かったところで牙は止まらない。
――カインの言った通りだ。
俺の鑑定は、死ぬ理由まで正確に教えてくれるだけだった。
裂牙ウルフが地面を蹴る。
牙が、目の前まで迫った。
考えるより先に、くーちゃんを抱えて横へ転がっていた。
魔物がこちらへ向き直る。
「ギィィ……」
後ろ脚が、ぐっと沈んだ。
……まずい。次は避けられない。
クビになった日にこれかよ。せめて、こいつだけでも。
くーちゃんを床へ下ろし、その前に立つ。
「くーちゃん、逃げろ!」
だが、くーちゃんは動かなかった。
俺の足元へ寄り、ぴたりと身体を押しつけてくる。
「きゅうん」
このままじゃ、二人とも――
トン。タン。
不意に、拍子のずれた足音が響いた。
魔物の耳がぴくりと動く。
音に誘われるように、首が右へ向いた。
「《白星一閃》」
反対側から白銀の線が走った。
魔物は、そのまま一歩だけ踏み出した。
そこで、首が落ちた。
一瞬、何が起きたのか分からなかった。
……助かった、のか。
振り返ると、深紅の髪の少女が立っていた。
静かな眼差しと、漆黒の剣。
「……間に合った」
少女の足元が、わずかにふらついた。
目が合った。配信資料で見た顔だ。
アリア・ヴァンレイス。
黒い魔剣に呪われた危険人物で、カインたちの討伐対象。
勇者に捨てられた直後、俺たちを助けたのは、危険人物と呼ばれた少女だった。
「動けるなら離れて。この剣は、近くにいるものまで巻き込む」
アリアの膝が崩れた。
黒い魔剣から濁った気配が流れ込み、腕を黒い紋様が這っていく。
「……来ないで」
……助けてもらったばかりだ。このまま置いていけるか?
気づけば、魔剣へ鑑定を向けていた。
【魔剣アステリア】
【効果:使用者生命力を消費】
……本当に、持ち主の命を喰う剣なのか。
「うう……」
くーちゃんが魔剣へ唸っている。
こんな声を出すのは、初めてだった。
それから振り返り、俺の脚を前足で叩く。
鼻先は、ボーロ袋を指している。
「きゃん!」
「ボーロ? そういえば、さっきも……」
一粒つまんで差し出す。
「これでいいか?」
「きゅ!」
もぐ、と食べた。
くーちゃんが、光った。
……今度は、見間違いじゃない。
白い光が広がり、俺の胸の奥へ温かいものが流れ込んでくる。
視界が、切り替わった。
世界の表面が、一枚めくれるような感覚だった。
「……なんだ、これ」
アリアの腕を這う黒い紋様。魔剣から流れ込む濁った線。そのすべてが、薄い膜の向こうに見える。
そして、魔剣には黒いラベルが貼りついていた。
【偽装評価:魔剣アステリア】
【貼付:使用者生命力を消費】
見たことのない表示だ。
まるで、本物の上から別の評価を貼りつけたようだった。
黒い文字の奥に、別の評価が滲む。
【本来評価:継承剣アステリア】
「この剣は、呪われた剣じゃない」
アリアが顔を上げる。
「……あなた、何が見えているの」
「下に、本物がある」
黒いラベルの端が、かすかに浮いて見えた。
これ、もしかして剥がせるんじゃないか。
指先を伸ばす。
「触らないで!」
構わず、ラベルの端をつまむ。
薄紙のような感触なのに、指先が焼けるように熱い。
命を喰う剣。危険人物。Fランクの役立たず。
誰かが貼った評価が、頭に並ぶ。
……勝手に、評価を決めるなよ。
「戻れよ」
黒いラベルを引っ張る。
「お前、本当はこんな剣じゃないだろ」
べり、と。
確かな手応えがあった。
黒いラベルが剥がれ、黒かった刀身に白銀の光が走る。
夜のような黒がほどけ、剣の奥から澄んだ輝きが戻ってきた。
アリアの腕を這っていた黒い紋様が、ぴたりと止まった。
苦しそうだった呼吸も、少しずつ落ち着いていく。
……よかった。間に合った。
指先には、まだ焼けるような熱が残っている。
いや、待て。呪われた魔剣を、俺が元に戻したのか?
これ、かなりすごいことをしたんじゃないか?
くーちゃんが、俺の脚に前足を乗せてきた。
「きゅ!」
褒めろ、という顔だった。
「分かってる。共同実績だ」
頭を撫でると、尻尾が勢いよく揺れる。
《魔剣、白くなったんだが》
《あのFランク何した?》
《ポメが光ったら剣が戻った件》
アリアは、白銀に戻った剣を呆然と見つめていた。
「アステリアが……私を喰うのを、やめた」
アリアの視線が、剣からくーちゃん、俺へと動き――そのまま俺の後ろで止まった。
浮かんでいるサブカメラを見ている。
「……それ、まだ映しているの?」
「たぶん。切り忘れられたみたいで――」
白銀の光が、一瞬だけ視界を横切った。
ぱきん。
何かが、床へ落ちる。
《え》
《ちょ》
《カメラ!?》
……何が起きた?
足元を見ると、サブカメラのレンズだけが転がっていた。
「あなたのその力、これ以上は映さない方がいいわ」
……判断が早い。というか、ちょっと怖い。
アリアはふらつきながら立ち上がると、俺の袖を掴んだ。
「さっきの。詳しく聞かせなさい」
「ここでか?」
「安全な場所へ移るわ。あなたも来なさい」
袖は離してもらえなかった。
「……分かった」
勇者に捨てられて、一時間。
次の仕事を探す前に、俺は勇者が討つはずだった剣聖少女に拾われた。




