第六十四章
加藤中隊長たちが去った後、零は車椅子で診察室へと運ばれた。
零が狭い面談室に入ると、医師がモニターの画像から、視線を離し零に椅子を勧めた。
「気分はどうですか?」
医師が笑顔で尋ねる。
待っていたのは、特異隊の専属医である老医師だ。
「はい、大丈夫です」
彼はモニターに視線を戻す。
医師はモニターの光に照らされながら、険しい表情で数枚の画像を比較していく。
「東雲さん。結論から言うと…あなたの脳内で、医学的な常識では説明のつかない事態が起きています」
医師が指し示したのは、脳の断面図――CTとMRIの比較画像だった。
「まずこれを見てください。本来、前頭前野はあなたの高度な思考や理性を司っているんですが…、妖魔の麻薬を吸い込んだ……今のあなたは、この領域が通常の数倍という異常な活性値を示しているんです。……普通なら、興奮状態で発狂していてもおかしくない数値です」
零は、モニターに映る赤く発光した自分の脳を黙って見つめた。
「さらに不可解なのはここ。脳の最深部、視床下部のすぐ隣です」
医師が画像を拡大する。
自律神経や本能を司る視床下部の、目と鼻の先。
本来なら空白であるはずの場所に、網目のような、細密で不気味な「影」が形成されていた。
「視床下部周辺は、いわば生命維持の心臓部なんですが、そこに癒着するように、既存の神経系とは独立した**『未確認の神経核』**が新生しています。麻薬という外部刺激がトリガーとなり、あなたの遺伝子に書き込まれていた異能の設計図が、物理的な臓器として結実した……私は、そう考えています…」
「……これが、私の脳内に……?」
零の声に、医師は重く頷いた。
「そうです。あなたの前頭前野で増幅された『意志』が、この未知の部位を経由し、視床下部をバイパスして直接肉体に命令を下している可能性があるんです。あなたの体は今、人間という生物の枠組みを越えた、新しいOS(基本ソフト)で動こうとしているのかもしれません……」
医師は眼鏡を外し、疲れたように目をこすった。
「東雲さん……。この『部位』がどうなるのかは、正直…私にもわかりません……。」
狭い面談室に沈黙が降りる。
「この新しい部位が……異能が使えなかった……原因なんですか?」
零は、震える声で医師に尋ねる。
「その可能性はあります。あと…前頭前野の異常な活性値もありますから…、前頭前野の可能性もあります」
医師は、
一度俯いて、
顔を上げ、
零の目を見て、話始めた。
「東雲さん……、異能については、まだ研究が始まったばかりで、わからないことが多いんです。……いや……わからないことだらけなんです」
医師の話を聞いた零が呟く。
「以前みたいに…新しくできた部位が消えて……元の状態に戻れるんでしょうか…」
「可能性はあります……。しかし……」
医師が、言葉を選びながら話をしているのが、零にも伝わる。
「本当のことを言わせていただくと……」
医師が言葉を詰まらせる。
「新しくできた部位が……完全に機能し始めた時……あなたが……東雲さんが今のままでいられるか……私には確信が持てないんです……」
「私も……妖魔に……なると……」
「それは……わかりません……」
零は自分のこめかみを強く押さえた。
視床下部
――本能の眠る場所のすぐ隣で、新しく生まれた「何か」が、熱を持ったように脈動しているのを感じた。




