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【毎日8:10更新/9章:クライマックス開幕!】きみが死なない、その朝まで  作者: 夜行(やこう)
第九章

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9-8『一頭の羊』

「だからこそ、御しやすかった。だというのに、俺に口答えをしたあの女は、追い詰められた女特有のなまめかしさを与えられていた。一体誰が、あの女の奥底に、知恵を注ぎ込んだのだと思う?」

「……首輪でしか人を繋げないような男には理解できないだろう。彼女は最初から、気高く、知性に満ちていた」

「知恵というものは劇薬だ。かえって身を滅ぼすこともある。己の分を弁えていたからこそ、地を這う虫同様の生き様を受容できていた。そこにお前が余計な知恵を与えなければ、今も現実に犯されたまま、抗うことはなかったのだ」

「……反吐が出る。病的な傲慢さだ」

「それが男だ。あるいは、種を遺すための純然たる仕組みだ。白い(もも)顫動(せんどう)が走るさまを見たか? お前ほど若ければ、人間の女が健気に見えて、理念と欲望が混在したとしても無理はない。整えれば、いくらか美しく成長もするだろう」

「どれほど万能を気取ろうと、彼女を自由にすることはできない」


将軍は突然真顔になった。


「いいや、一度はっきり自由にしている」

「何があろうと、彼女は渡さない」


――魔王の言葉は、ルカの全身を激しく貫いていた。あまりの衝撃に、呼吸の仕方を忘れてしまうほどに。


「そうか、二つほど言いたいことがある」


将軍は片手で大剣を動かし、その切っ先で地面を小さく叩くと、硬質な金属音が静寂に響き渡った。それが終わりの合図だった。男は冷徹な声音で告げた。


「時間稼ぎは終わった、——構え!」


その二言と同時に、広場を取り囲む半壊した家屋の屋根、そして細い路地の奥から、金属の擦れ合う重い音が響き渡った。

城壁の上を埋めていた兵士たちが、診療所の周囲を完全に包囲していた。彼らは手に強弓を構え、いつでも建物へ向けて放つ用意を整えていた。


将軍がこれまで魔王を執拗に攻め立て、居住区の各所へ叩きつけていたのは、単なる力任せの猛攻ではなかった。

魔王がどの建物を庇おうとするか、どこから逃げたがっているか。その肉体の反応を観察し、守るべき人間の女が潜む場所を特定するための品定めであった。調剤工房に激突した際、魔王が見せた僅かな強張りが、将軍に確信を与えた。


剣を掲げ、魔王の背後、すなわち王国を裏切った女が身を潜めている建物へと切っ先が振り下ろされる。


「放て!」


下命とともに、堅牢な石壁に守られた診療所に容赦なく火矢の雨が突き刺さる。矢では石壁を穿てないが、割れた窓から滑り込み、寝台や窓掛け、あらゆる木製の家具をまたたく間に火にかけた。


その脅威は、ルカたちが身を隠す個室にも容赦なく襲いかかった。全壊した窓の隙間から、数本の火矢が吸い込まれるように飛び込んでくる。

ルカは足元に転がっていた窓枠だった木片を迷わず掴むと、それを剣のように打ち下ろした。火矢はルカの持つ木枠へと深く突き刺さる。一本目——手首を返して二の矢を側面で受ける。衝撃に骨が軋み、眼前で炎が爆ぜて顔を焙られても、ルカは素早く二本の矢が刺さった木片を窓の外に放り投げた。階下の水場にそれが落ち、水音と共に火種が消える短い音が響いた。


外では横一列に並んでいた弓兵が下がり、後列の歩兵が肉薄する。彼らは診療所の出入り口や、一階の崩壊した窓の中に追い打ちの油壷を投げ込んだ。壷は床で砕けると、ねっとりとした青白い炎を爆発的に広げた。


ルカは壁の影の中から飛び出して、ノクスとアルバを立ち上がらせると、寝台に備え付けられている棚から手巾を取り出して、口に当てるように言った。空気にはすでに焦げ臭さが混じり、じきに上がってくる黒煙から逃れるために、診療所の外に逃げなければならなかった。


「お姉ちゃん…!」


見下ろすとアルバの小さな手が裾を掴んで、ルカの腿に額を擦りあてていた。片膝をついて妹の体を抱き締める。震えが伝わってくる。


「どこにも行かないで」


そこには何の偽りもない。姉を失いたくないという気持ちだけがあった。ルカはアルバをきつく抱きしめながら壁を睨み、廊下の足音に耳をそばだてる。個室の並ぶ廊下には他の病人の戸惑う声があふれている。

ノクスはすでに廊下の方に顔を向けていて、「見てくる」と扉の方を指さして音もなく言うと、硝子片を避けて、足音少なく離れていった。


「人間は生きてちゃいけないんでしょう?」


耳元で発せられた言葉に、ルカはとっさに奥歯を噛んだ。まだ十年も生きていないこの愛らしい少女を、好きな花を摘まずに、ただ花弁につと指を置いて撫でるだけで心安らぐような優しい少女を、ただ「平穏」という柔らかい布で包んでいたかった。何者からも守り、痛みや苦労を知らず、過ごしてほしかった。だが、母が死に、家を追い出された瞬間に終わっていた願いだったということを、自分の頭の中から閉め出していたのだ。






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