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【毎日8:10更新/9章:クライマックス開幕!】きみが死なない、その朝まで  作者: 夜行(やこう)
第八章

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8-23『自愛』

ルカは考えていた。アルバからもらったネリテの白い花のことだ。

一輪の可憐な花を耳の上に挿して生活をしていた。水を失い、萎れても、ルカにとってはいつまでも鮮やかに感じられた。花は夕方には花弁の先端をくるんと巻き込んで、縮まってしまった。翌日には色褪せて、白かった花弁は茶色くくすんだ。

だが、それでも美しいままだ。いずれ物は死んでいく以上、見た目はどうでもいいことだと思っていた。


けれど、顔見知りの治癒師に、あたかも髪についた埃を取るように花を抜き取られ、床に放られた時、本当に埃がついてしまうことから逃れることはできなかったのだ。


アルバはきっと何も損なわれていないと言うだろう。

妹の気高い心の中に美しさは存在し続け、他人の物を雑に扱うことを厭わない者の方が、どう努めてみても空しいのだと結論づけるだろう。

それは正しい。でも物事はそうした対立する両岸に、くっきりと分けることはできない。


人間と魔族がそうだ。人間を見るだけで唾を吐く人もいれば、フッセルルやシェリングのように尊重してくれる人もいる。ルカという一人の人間を通して、人々は様々な感情を持ち、対応を選び取っている。


そう思うと、ルカは自分の基準が心底もろいものに感じられた。

アルバの優しさや、花の美しさは尊いものだ。しかし、自分は花を拾い上げたあと、耳に挿すことを選ばなかった。本当に美しいと思っていたのなら、アルバの為にもう一度躊躇うことなく飾ることができたはずだ。だけど、そうしなかった。


それは、同僚の治癒師のことを思ったからだ。彼の気分を害したなら、隠しておこうと、胸にしまいこんだ。

結局、自分は誰の事も考えるあまり、何も選ぶことができないのかも知れない。


(世界といえば……ノクスとアルバだけだった……)


ざわめかせる風に、魔族であるとか人間であるとか、詰りや皮肉が潜むことなんて思いもよらないことだった。

胸元に花はしまってあった。もう萎れてしまった花を、今、「鮮やかだ」と言えるだろうか。ルカは考えて、瞼をぎゅっと閉じた。



「戻って診察を終えたら、今日はもう眠っていい」


背後から、フッセルルが落ち着いた声をかけた。

いつの間にか、彼は限界を迎えていたアルバを抱き上げている。アルバはフッセルルの衣服を小さな手でしっかりと掴んでいた。


「夕方まで寝ていていいぞ。そのあと、忙しくなるからな」

「……どうして?」


アルバが寝ぼけ眼で問いかけると、フッセルルはこれ以上ないほどの満面の笑みで応えた。


「お前たちの目が見えるようになった。それはな、体が『もう元気いっぱいだー!』って叫んでるってことだ。これからは、いっぱい食べて、いっぱい寝て、いっぱい体を動かさなきゃいけないんだぞ」


けれどアルバは口角を下げて、今にも泣き出しそうな顔を作った。


「どうした」

「う~……走るのきらい……」

「そうか、嫌いか。そりゃあ困った」


フッセルルは苦笑した。アルバがあまりに安らぐ姿を見せるから、二人の為にまっすぐに立てた心が簡単に栓を抜かれてしまった。口の中で「困ったな」と、もう一度言って、節くれ立った手で顔を揉みこむ。上下する手の下にあるのは、情けなく下がる白髪混じりの眉と、言葉にならない思いを噛みしめる口元だった。


目が見えない頃には、気落ちして、俯いてばかりいたアルバが、いま盛んに視覚の中に自由を見出していた。治癒師としてはまだ油断できないと思う気持ちがあるが、それとは別に、知人としては回復の兆しを喜ばずにはいられなかった。


「でも」と、小さな眉をあげて、アルバがふわりと微笑んだ。骨ばった頬に、涙を乗せまいと耐えているフッセルルの顔を指先でつつきながら。


「フッセルルはすき」


一瞬でフッセルルの顔が歪んだ。唇を内側に巻き込み、突き出した顎を震わせる。言葉が詰まって、どうしようもなくなった顔を、小さな手がぺちぺちと撫でる。数回瞬きをして意地でも涙を抑え込むと、こめかみをガシガシと掻いた。


胸の奥から湧き出すむず痒いような幸福感が、やり場を求めて全身を駆け巡る。首裏も額も、どこもかしこもが火照り、じっとしていられぬほど痒くなった。飛び上がりたいほどに落ち着かない。

けれど、大人だ。ごった返す感情をこねて、こねて、ちょうどそれに合った柔らかい形にする。


「ふは、……かなわねぇなぁ」


人間を治療すると決めた時、診療所に勤める治癒師がまったく賛成したわけではなかった。フッセルルにとっても、彼らが善人だとしても、まだ幼い子供だとしても、人間に何から何まで尽くしてやりたいという風に好きだったわけではない。

魔族でも人間でも、病人であれば治療をする。そうしなければ、本当の治癒師ではいられないと思っていた。


人間を受け入れることで弟子に見限られ、友人らに距離を置かれても、こうした決意をわかってもらわなくていいと突っ張った。何故なら治療せずにいられないのは、自分の嘆かわしい習性というだけであって、他人に強要するものではなかったからだ。だが、アルバの素朴な笑顔によって、心が安らかになり、静めてくれるものを感じていることも事実だった。


ずっと、ささくれだっていたのだ。この初老の男の中に在る、頑なで老いた心も。


本当は、誰かにわかってもらいたかったのかも知れない――支えあって生きる三人の姿に、何かが自分の中に円を描いて広がっていくように感じられた。フッセルルはその時ようやく自分の選んだ道に自足したことを悟った。


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