8-24『自愛』
繋いだ手に、ぐいと力がこもった。
ルカは驚き、前を行く弟の背中を見つめた。今までは自分が彼らの手を引き、暗闇を導いてきたはずだった。けれど今、ルカの手をしっかりと引き、迷いのない足取りで歩いているのはノクスの方だった。
その頼もしい背中が、まるでルカを眩しい明日へと連れ出してくれるかのように思えて、彼女は小さく口元を綻ばせた。
夜が、終わりかけていた。
重く垂れ込めていた闇の端が、少しずつ薄明るくなっている。
「……え?」
ふいに、肌を刺すような違和感にルカは足を止めた。それと同時だった。
お腹の底を直接揺さぶるような、重苦しい衝撃波が全身を叩いた。空気が引き裂かれる音に、とっさに瞼を閉じる。世界が真っ二つになったといわれても、疑いもしないだろう。何もかも眩い白に覆われて、薄く開けた瞳の隙間でノクスがよろめくのが見えた。ルカは肩を掴んで彼を引き寄せると、地面にしゃがんで揺れが収まるのを待った。
フッセルルはアルバを抱いたまま、片手でルカの頭を自分の胸の下に押し込んだ。「何が起こっているんです」自分のものとは思えない声で、ルカは言った。フッセルルが答える前に誰かの悲鳴が夜気を押しのけた。
「塔が…!」
視線の先、魔王城を象徴する尖塔の一つが、内側から爆ぜていた。
強固な石造りの塔は巨大な松明と化し、真っ赤な炎を噴き上げながら、無数の欠片を撒き散らして崩落していく。
「……お空が!」
アルバが指さす先を見上げ、ルカは息を呑んだ。
夜空を無数の「火の尾」が埋め尽くしている。それは城外からの攻撃ではなく、居住区に隣接する胸壁の上から、雨となって降り注いでいた。火矢がこちらに向かってくる。
「こっちだ!」
フッセルルの鋭い声に弾かれ、ルカたちは近くの家屋の陰へと身を潜めた。
すぐ傍の石畳に火矢が激しく跳ね、火花を散らして転がる。 倒れた植木鉢の土が散り、火を受けた木箱や看板から、次々と火の手が上がった。
ルカは弟妹をフッセルルの腕に預け、建物の影から一歩外へ踏み出した。
居住区を見下ろす城壁の上には、兵士たちが殺到している。遠目からでは顔を判別できない。だが、熱風に煽られ、不吉に翻っているのは、見紛うはずもない紋章だった。
「……王国軍!」
ルカは背後のフッセルルを振り返った。これは単なる騒乱ではない、襲撃なのだ。
もはや、開放された診療所へ穏やかに戻ることなど叶わない。広場に残っていた兵士たちが、逃げ惑う住民を城の方へと誘導し始めていた。
「お前たちは……」
フッセルルが「城へ行け」と言おうとして、その顔を引きつらせた。治癒師であるフッセルルは診療所に戻らなければならない。だが、襲撃の際に一番安全なのは最奥に建つ城だ。それ以外の場所へ逃げ込めば、人間に見つかった瞬間に何をされるか分からない。だというのに、魔族が避難してくる場所にルカたちを連れていくこともできなかった。最早ルカたちにとって安全な場所はなくなっていた。
ルカは迷わなかった。
「診療所へ行きましょう!」
すぐさまノクスを背中に担ぎ、アルバを抱くフッセルルを導くように走り出す。
診療所は城と同じく堅固な造りだった。あの狭く、けれど整えられた小さな病床こそが、ノクスとアルバを守るための最後の砦だった。
駆ける足元で、熱い風が吹き荒れる。
ルカはもう一度だけ、燃える城壁を振り返った。
立ち並ぶ兵士たちの中に、見覚えのある鎧姿があった。それはかつて、ルカが多くの人間や獣を倒して生き延び、剣を授かったあの儀式の光景を呼び起こさせた。
その時、城壁から魔族の旗が、炎に巻かれながらゆっくりと落ちていった。
それは単なる偶然の落火ではない。自分たちの同族が放つ、無慈悲な宣戦布告であった。
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