8-20『自愛』
「ルカから、……離れろ…っ!」
ノクスは倒れ込みそうになるのを必死に踏みとどまり、座り込んだままのルカを背中で庇うようにして立ちふさがった。
「……白々しいんだよっ! さっきまで俺たちを虫けらみたいに笑っていたくせに!」
肩を激しく上下させ、顔を真っ赤に染めて絶叫していた。こみ上げる怒りに全身を震わせ、必死に言葉を叩きつける。
「言ってたよな! 『知らない男の人に、無理やり連れてこられた』『僕らは悪くない』 『可哀想な子供だって』! 笑わせるなよ……っ! 動けないアルバを殴って……虫みたいだって、そうやって笑ってたのはお前らだろ!!」
叫ぶノクスの目からは、こらえきれない涙が溢れ出していた。けれど、それは悲しみではなく、あまりの理不尽さへの激昂がほとばしっていた。
「なにが、っ……なにが、うらやましいだ……お前ら、どれだけ……っ、どれだけ酷いことしたと思う!? お母さんがいないからって、なんだよ! そんなの……っ、そんなことで、何をしたって許されると思うなよ!!」
最後の一節を絞り出すように絶叫し、ノクスは喉を詰まらせた。
直後、彼の顔から急激に血の気が引いていく。激しい怒りで真っ赤に昂っていた肌は一瞬で青ざめ、カッと見開かれていた瞳の焦点が、危うく揺れた。
限界だった。
全身の筋肉から、まるで支えを失ったかのように力が抜け、もつれた膝が石畳へと折れた。
地面に叩きつけられるよりも早く、背後から温かな腕が伸び、彼の小さな体を包み込んだ。座り込んだままのルカが、背後から彼を必死に抱きしめていた。
「ノクス、もういい、もういいから……っ」
耳元で響く姉の震える声。
ノクスは朦朧とする意識の中で、自分を抱きしめるルカの顔を見上げた。
姉の髪は、片方だけ無残に、不揃いに切り取られていた。
自分たちを救うために、姉が何を差し出したのかすぐにわかった。それを、目の前の怪物たちがどう利用したのかも。
ノクスの瞳に、苛烈の光が滾る。
彼はルカの腕の中で、突き飛ばされたままの双子を、呪うように睨みつける。
「……姉さんの髪を、……返せ……姉さんの……『心』を……お前らみたいな、空っぽな奴らに……一欠片だって、やるもんか……っ!!」
ノクスの体から完全に力が抜け、どさりと重い頭をルカの肩に預ける。
背中に姉の心臓の鼓動が伝わってくる。その音だけが、辛うじて繋ぎとめていた。
フッセルルは、静かに涙をこぼすルカと、腕の中に横たわるノクスを視界の端に収めていた。
あの抱擁は、どれほどの代償を払って辿り着いた安らぎなのか。剥き出しの魂が触れ合うような二人の時間を、これ以上他人の目に晒すべきではない。そう判断したフッセルルは一瞥しただけで視線を外し、再び手元の患者へと意識を切り替えた。
殴られたと言っていたアルバの手首は、痛ましく赤紫に腫れあがっている。道具箱から取り出した小さな灯りをかざそうとした、その時だった。
横たわるアルバの瞳と「目が合った」。それは混濁した意識の戻りではなく、まるで最初からすべてを見届けていたかのように、力強く、そして明晰な視線だった。
これまで慟哭を聴き続けていたシェリングが、静かに告げた。
「連れて行ってください」
その一言に、双子が弾かれたように顔を上げた。絶望と、信じられないという色がその瞳に混じる。だが、シェリングの眼差しはもう揺るがなかった。ノクスの叫びが、彼らに残っていた一片の迷いをも断ち切ったのだ。
双子は他の手立てを探った。縋るようにシェリングを見つめ、次の救いを求めてエミールへと視線を投げたが、エミールはただ唇を噛んで、懇願を黙殺した。
衛兵たちが動く。今度は躊躇いも、迷いもない。抗う力を奪われた双子の細い腕を、秩序が力強く拘束する。
二人は石畳を擦るような、力のない足取りで闇の向こうへと連れて行かれた。広場に残されたのは、静まり返った夜気と、彼らの去った後に残る、後味の悪さだけだった。




