8-19『自愛』
「……これね、お母さんがくれたお守りだよ」
巾着から引き抜かれた二つの指が、胸の前に突き出された。摘ままれていたのは、無造作な束になった、生々しい毛髪だった。ぎょっと周囲が息を呑むのも構わず、双子は慈しむように目を細める。
「お母さんが、持ってなさいって作ってくれたんだ」
「こわいものの欠片を入れておけば、それは絶対に僕らに悪いことをしないって。だから僕たち、もっと欲しかったの……」
「こ、怖いものって……もしかして人間の」
エミールが喉を鳴らし、引きつった手でシェリングを掴んだ。
「だから、あの子たちを攫って……シェリング!」
エミールは必死にシェリングを引いて、その場から後ずさろうとした。が、彼は岩のように地を噛み、動かない。
シェリングは圧し折らんばかりの力で杖を握りしめていた。食いしばった奥歯が軋む音。その拳が物語る、声にならない絶望を、ルカだけは見逃さなかった。
あの日、彼が双子を紹介した時の、あの所在なげな眼差し。
あれは、彼が必死に送ってくれていた、声にならない「助けて」だったのだ。自分はそれを見落とし、彼を独り、置き去りにしてしまった。
『どちらの部屋にいらっしゃいますか? また日を改めて伺います』
あの時、シェリングは咄嗟に自分を引き留めようとしていたのだ。だが双子とエミールの方へちらりと視線をやってから、何かを飲み込んだように口を閉じたのだ。
『……お待ちしています。貴方との時間が何よりの薬ですから』
ルカは、何かに導かれるように静かに立ち上がった。
双子の歪んだ渇望と、それを見つめるシェリングの絶望。その二つの深淵を同時に埋める術を、直感していた。
人々が双子の掲げる不気味な「お守り」に釘付けとなる中、石畳に転がっていた短剣を、まるで道端の花を摘むかのように無造作に拾い上げ、双子の傍らへ膝をつく。
その迷いのない背には、他者が介入する余地など一歩もなかった。
ルカは迷うことなく、自らの髪に冷たい刃を押し当てた。
その穢れなき横顔のそばで、断ち切られた髪が、はらはらと舞った。
元より肩に触れる程度だったルカの髪が、片方だけ耳の下で不揃いに断たれる。彼女は切り落としたばかりの髪の束を手に取ると、巾着を捧げ持ったままの双子へと静かに差し出した。
「聞かせてくれてありがとう」
双子は、吸い込まれるようにそれを見つめた。差し出された髪と、ルカの細い指を。
直後、張り詰めていた何かが決壊したように、双子が声を上げて泣き始めた。
二人は縋りつくようにルカの胸へと飛び込む。膝の上で泣きじゃくるその小さな体を、ルカはただ手を添えただけで、抱き返そうとはしなかった。
あまりに激しい泣き声に、様子を伺っていた衛兵たちはどこか救われたような心地になっていた。
これでもう、子供たちを強引に引き立てる必要はなくなった。そんな安易な決着の予感が、広場に満ちていた緊張感を急速に緩めていった。
ルカは気づいていなかったのだ。
自分の膝に顔を埋めている双子の表情が、涙を流しながらも、どろりと濁った、別の色に変貌していることに。彼らの顔に張り付いた「歪な悦び」に、誰一人気づいていなかった。
――唯一、ノクスだけは彼らを「見て」いた。
視界が、不意に拓けた。
霞み、泥のように濁っていた視界が、劇的な速度で色彩を取り戻していく。冷たい石畳の質感、泣きじゃくる誰かの声、寄り添う人たちの輪郭。そこに、自分たちを攫った元凶と、命を懸けて守ってくれた姉の姿を見つけた。
今すぐに、そばに行かなきゃ。あんな奴らに姉に触れる資格なんてない――――ノクスは石畳の上に横たわる自らの体に、起き上がれと命じた。
けれど、窒息しかけていた体は全くいう事をきかない。重い足を腕で持ち上げ、思いきり殴りつけると感覚が戻った。石畳を押して、無理やり体を起こした。一度、二度、地面に膝を打ちつけ、顔から倒れそうになるが、意志は折れなかった。
走った。平衡感覚は未だ失われたままで、よろけ、転びそうになりながらも、それでも諦めなかった。
ルカの膝に顔を埋めている双子へ狙いを定め――ノクスは己の全体重を預け、思いきり体当たりした。
逃げ場のない衝撃に襲われ、不意を突かれた双子は、ルカの膝から突き飛ばされた。




