8-1『自愛』
――――ルカ・ヴァルテラ・クラーレ・グリュックスゾーン
その名を与えられてからルカの日々は一変した。
ノクスとアルバの目が光を感知できるようになったのだ。
まだ光がどこから来ているか、そうした方向感覚はない。瞼の裏にあった暗闇が薄れた代わりに、常に明滅しているような、白布の裏側に隠れているような感覚がしているとノクスは言った。アルバは目を閉じても明るさが失われないことに戸惑い、顔を隠さないと安眠できなくなってしまった。おやすみを言いたがらなくなり、今では昼間に瞼を擦っている。
目が見えないことに苛立ちを覚えて、掛け布を蹴りたてたり、寝台を飛び出して転ぶのを見ると、目覚めたことに対する喜びよりも、心配が勝るようになった。
部屋の構造や物の置き場所を教えると習得は速かった。だが、見逃さずにいたいのは、部屋を見ようと彷徨ってしまう目の、内に込められた思いの方だ。ノクスの痩せた手を引き、そっと頬に寄せる。彼は頬や唇へと指でなぞって、少しずつ自分の笑顔を思い出していった。
目が見えない原因は病気にかかったせいであること、妹もそばで呼吸し、二人を治してくれる場所に寝泊りしていることを話すと、彼の心に再び沈黙が宿った。
ノクスはアルバの方に手を伸ばして、ゆっくりと寝台をおりた。手を貸さずに見守っていたのは、手をつなぎあう二人の姿にはっきりした孤独を感じたからだった。きっと、自分が不在にしているとき、二人はこうして寄り添い、呼吸をしていたのだろう。
ノクスの横顔に、ともかくも現状に慣れようという覚悟が見えた。見えない目で、前を向こうとしている。自分のことより先にアルバの手を探したあの子もまた、病の床にある。唇をきつく結んだその横顔には、誰かに支えられることをやめようとしている意志があった。ある種「兄」としての軸が通ったのだとわかるのは、自分が「姉」だからだろうか。ルカは溜息を吐くこともできず重たい胸を押さえた。
といって、二人はまだ子供だ。はやり唄をうたって、風格のある味わいの枝を振って冒険にでかけたいといった好奇心を抱えている。四角い部屋の中に終始する生活でも、誰かと話をしたり、腕比べをしたいのだ。そうした時、相手になるのはルカではなく、誰かほかの人が望ましい。例えば、少し口の悪い治癒師であったり。
二人はフッセルルにすっかり虜になった。毎日診察にやってくるおじさんは、子供に対しても飾り気のない口調で、駄目なことはきつく叱りつけもするが、手を替え品を替え面白い話をもってきてくれた。ある日には、ノクスとアルバは口を半ば開け、「ほんと?!」と驚いた顔から満面の笑みに変わったことがあった。子供がいかに本気でよろこんでいるところが特別なものか。ルカは耐えきれず泣いてしまい、部屋の隅で涙を拭った。
二人の笑顔を見ていると、胸の奥がじんわりと温かくなった。きっと治る。全部うまく行く――そう思えるようになった。
それはすべて、魔族の世界に引き込んでくれた武官長の着想があったからだ。
断罪と称して彼は広場にルカを連れて行ったが、人間に罰則が与えられると知って既に見物客が集まっていた。わざと人の目を集めてから、あたかも目の前で罪深い人間の命が断たれる瞬間を見させる為であるかのように振舞ったのだ。
あの堂々とした振る舞いの中で、既に決着を思い描いていたのかと問えば彼はきょとんとしたあと、一笑に付した。
「死の森での騒動は記憶に新しい。救援部隊を指揮していたわしは、お前が魔族を助ける姿をこの目で見ている。他にも窮民や兵士を茨から逃がす為に後ろ盾となり、尽力した女がいたという報告も受けている。何よりわしやその他の役付の間では、人間の女が客人として城に滞在を許されていることを知っている。人間が魔族領に入り込むことは崩壊のきっかけになると補佐官がふざけた事を抜かしていたが、お前を見た時におそらく同じものを感じた。だから、わしも閉口を選んだ」
多くの事を一辺に話され、ルカは戸惑った。男の言葉を抽出すれば、「見殺しを選択した」という事になるが、咎める気は起きなかった。森を走れば枝に血を出す。自分の命など、そんなものだと思っていた。
だが、ルカよりも大きく肩を落とし、頭を抱えたのは同席していたフッセルルの方だった。
「……どうして話してくれなかった……陛下の客人だと……?」
「指揮系統が違う。お前に伝達する役目は文官長にあった。そこはわしではなく、あの女を恨め。どちらにせよ、役付の一部で共有されていた話というだけで、城に侵入した異物であることに変わりない。陛下とて過度に囲わんのは、あからさまな拒絶反応を招くとわかっているからだ。だが、城内襲撃の日にこの娘は衆人の前に出た。その瞬間に静かな波紋は、巨大な荒波に変わったのだ」
「…………だから、集って騒げば、目は自然と外れていくと? 俺にはお前を責め立てる権利はない……ないが……」
「この件に関しては、縦も横もなく、みな個別に信念がある。人間に対する怒りや嫌悪の気持ちは本当なのだ」
「……わかっている……」




