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きみが死なない、その朝まで  作者: 夜行(やこう)
第七章

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7-11『花殻を撫でる』

何もうまくいかないとき、体を動かしたくなる。

フッセルルは診察に区切りをつけて、何か口の中で口走るか独り言かの境で、手元の記録紙に目を通していた。尖筆がいくつかささった上衣に、花冠が吊り下がっていた。彼の目は鋭く、首を動かさずに文字を追っている。白湯を差し出すと、窮屈そうに顔をあげて体を捻ってばきばきと音を鳴らしていた。体中が凝り固まっている。治癒師はこれほどまでに朝から晩まで働いているが、俯いていることが多くフッセルルは少し背が曲がっていた。


花冠のことを聞けば、フッセルルは黙ってそれから両手で花冠を持ち上げると微笑した。忘れていた、と言った彼が一瞬治癒師の顔を置いたのは明らかだった。


「何か、できることはありませんか」


部屋の中に照明がいくつか用意されているが、真夜中ということもありノクスとアルバの睡眠を妨げないようにフッセルルの手元や簡易台所の場所だけが明るい。

彼はルカが何か言うのを待っていた。記録紙を定位置に戻し、除けていた掛け布を戻して二人のそばから離れる。室内に腰を落ち着けて話すような場所はなく、扉の前に立った。ほとんど帰るような態度だったが、診察道具をもったまま体はしっかりルカの方に向けていた。


「あんたは俺の患者だ。それを承知してくれていると思ったが」


ルカは頷く。


「そうです、フッセルル先生。先生が誰よりも私の事をよくわかっている。走れるなら、走りたがっていることだって感じ取ってくれていると思っています」

「……機会を得ようとする目的はなんだ? 何を誇示したい」

「私はたんに手足が動くということを報告して、協力を申し出ているだけです。例えば掃除でも、運搬でも何でもします。夜間なら、勤めている方も少なく、他の患者たちも寝台から出ないのでしょう?」

「その問いをいつから考えていた」

「先生が昼間にここで仕事をしてくださっているのは知っています。そのおかげで私は睡眠時間を確保できて、こうして夜間についてあげることができる。この頃は咳の症状さえ落ち着いてきていますから」

「あくまで労働力として消費されることを望むというのか? なら自分の為に時間を使えばいい……いや、悪かった。おいそれと行動できないことを忘れていた……」

「ちゃんと仕事をします」


フッセルルは道具箱を持ち直しながら、間を置かずに答えた。


「疑ってない」


フッセルルの許可が得られないならそれまでだ。だが何かを言いかけたフッセルルは、顔を伏せたまま目だけあげてルカを見た。その時、廊下を駆けてくる足音が響いた。音はどんどん大きくなる。扉が開く前に二人は目配せをして、フッセルルだけが外に出て扉を背にして立った。ルカは扉越しに人声を聴く。


「先生! こちらにいらっしゃった、はぁ、……我が鉄騎隊より救助の伝達に参りました。八名の負傷者が出ております。私が護衛しますので至急現場へ」

「八名だと? 何故鷹の代わりに人を寄越した。急使が打たれたのか」

「弩が暴発をして……」

「走りながら聞く」


二人の足音が遠ざかる。ルカは一人になった。ノクスとアルバの寝息だけが聞こえる。個室の鍵をかけ、窓辺へ近づく。風が苦々しくうねっていた。こんな物の言い方をする風のあとは、必ず嵐がくる。風が、止んだ。思わず窓枠を掴んでいた。


石畳を鎧を鳴らして突っ走る二人の男を、咆哮が覆いかぶさるように叩いた。腹の底まで届く、低く長い叫び——城壁が揺れ、窓枠がびりびりと震え、水差しの水面に波紋が広がって、静まった。

居住区の屋根が連なる、その上を何かが動いていた。大きい。人の倍はある。四つ足で、屋根から屋根へ、影が跳ぶ。一頭ではない。


見張りが釣り鐘を打ち鳴らす。灯りが家々に広がり、城全体が息を吹き返すように目覚めていく。

その瞬間、大型獣の一頭が見張り台に体当たりした。鐘が傾ぎ、悲鳴が裂けた。

ルカはすでに窓を蹴って、屋根の上を走り出していた。


外套も羽織っていない。冷たい空気が顔を叩くまま、居住区の広場へ飛び出した。

兵士が二人、獣に押さえ込まれていた。地面に這いつくばり、身動きが取れない。大型獣は馬よりひと回りも大きく、鱗のような皮膚が暗闇に濡れて光っている。目が、鈍く、燃えていた。胸壁から射撃手が弩を構えているが引き金を解放できないままでいる。


「行くな!」


背後で声が飛んだ。ルカは構わずに通気管を掴んで階上へ駆け上がる。その背中にフッセルルが叫んだ。


「いっちゃいかん! なにをされるかわからんのだぞ!!」


声はかすかに震えていた。





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