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きみが死なない、その朝まで  作者: 夜行(やこう)
第七章

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7-10『花殻を撫でる』

魔王の顔を初めて鮮明にみた気がした。彼がぽつりと言った時、どうにもならない何かを抱えているときの、痛切な気持ちが一緒に届けられたような気がした。


人は言葉の中にひとつ、あるいは複数の意味を吹き込む。相手の手のひらの上に優しく乗った言葉は、形を変えて飲み干される。愛や、怒りや、苦しみ、悲しみ、それらと混ざり合って様々な色となる。そして、その時の立場や経験で歪曲し、誤解され、混沌と渦を巻くこともある。言葉尻ひとつとってもそうだ。つねづね善人だと知っていたとしても、不意にひどい言葉を使われて愕然とすることがある。顔をゆがめて、どうしてそんなひどいことを言うのかと相手に問う。すると相手はすがりついた腕を弾いてこう返すのだ。そんなつもりで口にしたのではない。あぁそうだ、母はよく泣いていた。


扉が勢いよく閉まる。()が出て行った。急に肩をふるわして泣き始めた母を前に、背中をさすり、どうにか役に立とうと努めた。これは幼い記憶だ。なぜ、いま思い出すのだろう。ルカは目を瞬かせる。彼を見ているのに、自分の中を覗き込んでいるような気持ちになっていた。

母はよく言っていた。「私って、役立たずなの」


思えばルカが過剰に自身の感情を言葉にしようとするのも、言い足りなかったり、伝わらないことを気にして、言いすぎることがあるのも母譲りのことだった。弟に「わかってるよ、覚えたよ」と何度言われたことか。ルカは膝の上で指を組んだ。相手にもそうして欲しいと思ったことはないが、何を考えているか聞きたいと思うことは多々あった。それが自分に関することではなくとも、何を思って生きているか知りたかった。「知ってどうする」そう酒場の師匠に邪険にされたこともある。心を持ち帰ってみたいと言うと、少しくどいと言われた。なぜ心を持ち帰りたいのだろう。そうして何を飲み干そうとしているのだろう。


(わからない………どうして息苦しいのかも何も……)


今、ルカの心の中に男の顔が浮き上がっている。なみなみと濃い黒で作り上げられたそれは、視線や仕草の中に誠実さを感じさせたが、今この時、彼はいっそうただの男に見えた。彼は一体どんな人なんだろう。何を心に浮かべているのだろう。


ルカは言葉を待った。彼は本を遠ざけ、傾けた顔で暖炉を見ている。


「……お前は死の算段すらしない。言い換えれば一途な性質なのだろう」

「いちず……私が」

「だから多方に迷惑をかける。一途は生きているだけで迷惑をかけるものだ」


咀嚼する。わからない。味がわからない。だってこれは、彼の目から見るルカの話なのだから。


「お前はいまだに後ろめたく思っている。あえて言うが、俺と正当にぶつかれば、死ぬのはお前だ。罠にかけて卑しい手を使ったとしても、死ぬのはお前だろう。なのにお前は自分が死ぬことを考えてもいない。自信がある、違う。愚か者か、そういう見方もできる。だが根幹には触れていない。考えたことがあるか。自分の土台を」

「……自分のこと、は……」

「考えたこともない。なら考えろ。俺が答えて、それがどうだと言うんだ」

「ど、どうって……どうしてそんな事を言うの?」


母の声が重なる。すると相手はすがりついた腕を捕まえて、こう返した。


「気持ちを全部言い表してくれるものなどいない。なのにお前は口を開けて、飯が落ちてくるのを待っている」


ハッとした。それは誇張なしの、遠慮のない指摘だった。核心を突かれたことに驚くより、捌け口を見つけられないことに動揺していた。過度に瞬きをして、自分の激情を何かしらの形にしようとする。でも出来ない。飲み干したものに、喉や腹をかきまわされている。


「わからない……何を考えるべきなの……? 貴方は私に怒っている…?」

「これはなんだ」


掴まれた手が持ち上げられる。男の手が一回りしている皮膚に皺が寄る。

魔王は顔を顰めたまま立ち上がり、見上げるルカに覆いかぶさる。長い髪が肩にかかり、銀の空を限っている。その異様な感じにルカはついていけなかった。


「お前の心には生がない。お前は生を考え、真に寄り添おうとしたことがない。それは俺がお前から…………」


魔王は遠ざかり、また椅子に深く腰掛けた。手の甲を額に当てて、俯いたまま動こうとしない。最早彼はルカの為の使者ではなくなったのだ。もう心に踏み込ませてくれはしないということだけ気がついたのだった。

またどうにもならない何かを抱える。そばまで来てくれていた彼は無理やり気持ちの断片を見せつけるだけ見せつけて、今日という日を終わらせようとしていた。


「……なんだ」


ルカはまだ何もわからなかった。わからなくて、そんな自分のことが「役立たずのように」感じられた。それでも魔王の手を掴んでいた。

手袋越しでもいい。手のひらのくぼみも、指の関節も、触れ合えば心にも触れられる。どうしても彼の事をつなぎとめたかった。混乱と苦悩の中にあっても、彼の事を感じていたかった。


「行かないで……」


今の私には何が必要なのだろう。彼は何を否定し、何を求めていたのだろう。ただ胸の内から熱く溢れたものが、今まで想像もできない形でここにある。



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