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きみが死なない、その朝まで  作者: 夜行(やこう)
第七章

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7-9『花殻を撫でる』

食事を終えると、続き部屋に案内される。暖炉のそばに革張りの椅子が二脚向かい合わせに置かれている。壁際には書棚が並び、美しい装丁の本が収められていた。椅子のそばに置かれた卓には書物が一冊だけ置かれ、椅子はまだ温もりを残しているようだった。


「口に合ったか」

「うん、美味しかっ…………」


飲み込めたのは一文字だけだ。ルカは固まった。魔王に対してこんな話し方をするつもりはなかった。だが、食事の間に感じたあたたかさがルカの気持ちを高揚させていたから、そうなってしまったのだ。


王国から戻って以来、この城の中には陰鬱さ、堅固な拒絶、絶望の暗さがあるのだとルカは感じていた。だがそうした気分は、この城から滲み出ているものではなく、魔族を避け、関わらないようにしなければならないと、どうしても強張り、緊張し続けていたルカの孤独感がそうさせていたのだ。幾人かが自分を受け入れ、恩人だと言って、患者だと言って遇してくれる。だが、ただルカにわかっているのは、衆人の前にでれば今度こそ殺されてしまうということだけだった。


にもかかわらず魔王と食事をして、多少とも打ち解けた言葉を投げてしまったのは自分の心の動きが妙なことになっているからだ。


暖炉に火は入っている。ぱちぱちと爆ぜる薪の音に、自分の言葉がまざまざと浮かび上がる。魔王は何も言わなかった。咎めなかったのだ。だからこのあと言うことも、きっと彼のせいだ。


「手の具合を……確かめても、いい?」


繕うのはやめて、砕けた口調で問えば魔王は目を細めた。深く考えている。きっと言葉を選んでくれているのだろう。


「……もう治っている」

「確かめたい」


しばらく沈黙があった。魔王は手袋の端に親指を挿し入れた。節のある男の手が現れる。甲を上にして、それから裏返して、袖を引く。それからルカの方に差し出した。

彼の手にはいくつかの傷があった。古い傷と、縄の跡と、関節がわずかに変形している箇所があった。長い年月に蓄積された何かを読み取ることはできない。そして真ん中に大きく包帯が巻かれている。もう治ったというのは嘘だということだ。


ルカは包帯を避けて他の傷の一つ一つを指先でなぞった。治癒師であればもっと詳しくわかるのにと眉を寄せる。どんな得物による傷か、どれだけ時間が経過しているか、細かなことでも知りたかった。そして肝心の一番新しい傷のことだって何かできることがあればよかったのにと、口惜しく思う。


「……痛みはまだある?」

「ない」

「本当に?」

「あぁ」


ルカが手を離すと魔王は袖と手袋を戻した。促されるままに対面の椅子に腰かける。

時計屋のことをたずねると、魔王は少し間を置いてから答えた。


「しばらく寝台から出られないが、口まで寝かせるやつじゃない。心配するな」


ルカはその答えを聞いて、小さく息を吐いた。時計屋の容体については治癒師に任せ、その代わりにこれまでの魔王の庇護に対する謝意を述べた。すると彼は謝意ならば飲み込むが、謝罪であれば跳ね除けていたと、足を組み替えながら言った。


ふと卓の上の本に目を向けると、視線に気づいた彼が片手で頁をざわめかせた。美しい文字列に目を奪われる。製薬室でもフッセルルの部屋でも獣皮紙を多く見たが、完全に装丁された本だけがある部屋は格調高く、魔王の為に誂えた場所であることが窺い知れる。母と暮らしていた邸の一室では絵本をもらったことがあったが、文字だけの本を手にしたことはなかった。


ルカは頁の隙間に指をおろした。「特性」という言葉がみえたからだ。本を開いた魔王は意図を察し、魔族の特性について話し始めた。

時計屋の「特性」は人や物を移動させる力であり、魔王城から王国まで、一度行った場所ならば距離を問わず瞬間的に移動することができる。だが、「特性」の中でも例外的な存在で、そうした力を引き継ぐ血は限られ、そして移動する人数や距離によって心身に相応の負担がかかるというのである。あの日吐血していたのも、元より脆弱な骨が折れ、肺を損傷したせいなのだ。


詳細には言えないがと前置きしてから、治癒に長けた「特性」もあると教えてくれた。だから過剰に心配するなと言いたいのだろう。ルカの脳裏にはフッセルルの顔が浮かんでいた。かの治癒師も角を持つ魔族だ。魔族全員が大なり小なり「特性」を持って生まれるなら、彼にも治癒に関する「特性」があるのかも知れない。


「人間は特性がない……だから王国は魔族を狙うの? ……ごめんなさい」


いとも容易く口にしたあと、自分の情けなさに唖然とする。こんな事は魔族側に問うことではなく人間に問うことだ。激しい感情がルカのなかに渦巻いた。


「いつも……お前は勝手に傷つき、独りで行き詰まる」






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