6-10『犠牲』
それから時計屋は唇を震わせて、じっと魔王を見つめた。兵士らの剣を鉤爪でしのぐルカは自分の体に光の粒が触れるのをみた。振り返る、転移術を行使する時計屋を。
叫びたかった。だが兵士らは時計屋の特性を知らず、何をしようとしているかもわかっていない。光はルカにだけ集まり、転移をさせようとしているのは一人であることも、ルカと魔王だけが気づいている。
――いきなさい
散々皮肉ばかり言った唇がそう形作る。時計屋の言葉の意味に、将軍の注意を引きつけている魔王はふっと笑みをこぼした。
それは魔王の本意でもあった。二人の男の願いが重なっている。魔王は目を閉じた。ほんの一瞬、重心を変える一瞬だけ瞑目し、そして開いた。
「なんだ!? 空が赤い――!」
魔王は重剣を避けもせず、将軍の首に切り込んだ。狙い通り鎧の隙間に赤い筋をつけると、すかさずすくい上げられた白刃をまともに受ける。
唇に笑みを浮かべたまま倒れる男にルカは必死に駆け寄るが足元がふっと消え去った。石畳を蹴った足が浮き上がる。
(————いやだ!)
二人の姿が消えていく。その時、視界の端で新たな閃光が生まれた。
石畳に穿たれた剣から白銀の光が溢れる。光はまたたくまに広がって、塔の上を白く染めた。兵士らはどよめき、将軍も眩さに耐えきれず片手で顔を覆う。指の隙間の向こうには、漆黒の鎧を着た男が倒れている。魔王はまだ生きているはず。もっと、もっと、もっと苦しめねばならないのだから。
時計屋は息を呑んだ。体の中に力が溢れていく。さっきまで心臓をしめつけていた重苦しさが、すっと薄くなった。下唇を噛んで、術に全力を込める。
魔王と、そしてちらりとルカを視界におさめた。魔族の王に伸ばされた必死な手のひらに、わざわざ窮地に踏み込んでいく愚かさと、かくしてもかくしきれない温情を感じた。とうとう感じてしまった。(ばかな女)そう思うのに喉をうめるのは笑みだ。
光がおさまると、兵士らは時計屋とルカがいた場所に狼のように追いすがった。だがそこに誰の影もない。空からは赤みが消え、元の青空に戻った。
将軍は魔王の伏せていた場所に剣を突き刺した。そして石畳の上に穿たれたもう一振りの剣に近づく。光り輝く勇者の剣は悠然と存在を主張していた。
掴もうとした瞬間、見えない力に拒まれて将軍は手を勢いよく引いた。皮膚が真っ赤にただれて、苛立ちのままに拳を震わせる。
剣は「光の粒」をまとったまま独りでに浮き上がると、魔族領の方角に向けて飛翔していった。
将軍はしばらく剣のあった場所に目をやり、それから兵士たちを振り返った。
「全軍を招集せよ」
兵士の一人が訊ねた。「どちらへ行かれるのですか」
「王の御前に。魔王城への進軍を申し出る」
兵士たちは雄叫びをあげて動き始めた。将軍はもう一度だけ剣のあった場所を見た。
「魔族は滅せねばならない」
呟きは風にさらわれていく。首筋から垂れた血が、ぽたりと地面を穢した。
「誰か!—————誰か人を!」
製薬室までの道のりをこそりと音もたてずに、しかし溜息と共に歩いていた研究者は突然現れた一行の姿に、どこか圧倒され、認知するまでに時間を要した。鼻をすすると、濃厚な血の香りが腹から喉に胃液をせりあげていくような感じがした。
黒い鎧に銀の髪、そして横たわる青い髪、まざまざとみるまでもなく、魔王と時計屋である。どうして横たわったまま動かないのか考えたくなかった。おそるおそる近づき、肩をゆする。
研究の疲れにおされ、ただ息抜きに外に出てきたというのに、雲間からさしたせっかくの日差しに、血が照り返していた。
「ま、魔王様!! 時計屋様! あぁ、そんな……! 誰か!」
直ぐに足音が近づいてきた。先程魔王の不在理由を尋ねてきた補佐官がいつもの怒り顔であらわれた。研究者はこれで助かったと思った。補佐官がいるのなら怖いものがないからだ。疲弊した顔に安堵を透かせると補佐官の鋭い指示が飛んだ。研究者は治癒師たちを呼びに来た道を引き返した。
補佐官が頭上をみると、思わぬものがあった。魔王、時計屋、そして勇者の体にまとわりついていた光が、空中に浮かぶ剣に吸い込まれていった。不気味な圧が辺りを領して、子供が咳き込むまで息を止めていたことに気づかなかった。
勇者の剣は地面に突き刺さった。光が消えると、役目を終えたように黙していた。
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6章 終




