10-7『あきらめ、唇を噛み、いつものように』
「……最初の日の話をしよう。初めて時を戻った日、俺はしばらく寝台の上で呆然としていた。昨日何をしていたか思い出そうとして、それから曖昧だった事柄を鮮明に思い出して飛び起きた。あの森からどうやって帰ってきたのか、抱きしめていたものの行方が気にかかった。俺は寝間着のまま部屋を出て、人影を追って食堂に入った。朝食の準備にかかっていた者たちが、裾を引いて現れた俺に驚いて、従者を呼びに行き、扉を閉め、目線を合わせぬように俯き、――戸惑っていた。心配してくれているのはわかっていたが、部屋に戻そうとする手を拒んで、尋ねた」
――――ルカは、どこだ
「誰もが首を振る。昨日の出来事を語って聞かせても、一瞬迷って、知らないと答えた。彼女とよく雑談に興じ、人間であるけれど心をもった人もいるのだと評していた侍女ですら、人間に逢ったことはないと、そんな具合だった。お前たちが嘘をつかないことはわかっている。だが、俺は誰かひとりでも覚えているやつがいる、そうした希望にすがり、城をかけずりまわった…………どこにも彼女の気配はなかった。部屋に行くと、鏡の前に置いてあったはずの木彫りの細工も、贈った髪留めもない。装備も剣も、気に入っていたはずの椅子も…………無残な対比に自分の目がどんどん落ち窪んでいくような気がした。どうして俺だけが覚えている。どうして、誰も覚えていないんだ。そう怒鳴った。その時は、彼女と出逢う前に時が戻っているということすら、気がついていなかった。ただ、不気味な趣の中にあった」
嘆息で区切りをつけると、魔王は深く俯いた。額に手の甲をあてたまま、次第に固まって、そのまま彫像になってしまうようだった。
「まったく、運命とは不案内なものだ……幾度目かの朝、真っすぐにこの部屋にやってきた。そこにある記帳を調べるという発想に至った。また翳の月の七日に戻されていることに、もはや驚きはなくなっている。記帳にはまだ先の日付は存在していなかったが、俺が死んだ日は覚えていた。生と死を繰り返す分だけ、記憶が積み重なっていくからだ。その時にようやく、『自身、あるいは彼女の死』をきっかけに『同じ日付に』戻されていることを理解した。何かの枠組みの中にいる。そう思うと、奇妙な趣も受け入れることができた。だが、同時に絶望を感じることも増えていった。いかに先を覚えていたとしても、まったく同じ流れになることはなかったからだ。誰と喋り、何を決断し、何にたずさわったか、雲の影にいたるまで覚え、事前にこちらに益があるように立ちまわっても、少しずつ差異が生じ、日付やたずさわる人が変わり、必ず事が起こった。王国軍の襲撃が来る前に、各地の集落に避難指示を出し、鉄騎隊を向かわせたこともあった。しかし必ず不測の事態が起き、鉄騎隊は間に合わず、民は領地を追われてしまう。様々な方向から手を打ったが、行く末を完全に変えることはできなかった」
それでも群衆は手を振り、功績を褒めた。偽りの功績を。
恭しく祝辞を述べる者たち、行く手には自慢げに頬を緩める時計屋や、補佐官の姿があり、誰もが魔王という燦然たる誇りを身に着けていた。
「……すべてが空しくなり、この時戻りが何のために課せられたものなのか、半ば恨み、執着するようになった。誰かに強いられた役割だと感じ、己の欠如をありありと気づかせようと遠くで笑っている者がいるのではないかと思った…………だがそれもまた、流れていく……」
想いに沈む姿から、自嘲がこぼれた。
拳を丸め、そして開き、汗ばんだ窪みを見やる。四人の目にはそれがさらなる感情の露呈の合図に見えた。
だが、ひっそりと時の滴りを掴もうとして掴めなかった男は、その些細な動作の中に何ものかを賭けていた。時を掴むという実現しえない行為が、いつかごく自然に叶う日がくるかも知れないと思っていた。幾度も不可能を続ける世界の中で、まだ求めている――
「この流れの中で、一体何を成すべきか。果たして成せるのか……考えたとき、浮かんだのはたった一つだけだった。時を待ち、必ず出逢う、その人を待ち続ける……その女を、死なせないことだけが、俺がしたい、唯一の事だった」
男は最後に「まだ一度も成せてはいないが……」と、壊れるように笑った。
こんな寂しい笑顔をするやつだったか――文官長は黙したまま、徐々に徐々に滑り落ちていくような男に憐憫を感じていた。
もし自分が同じように時を戻ったとして、こんなにも落ち着き払って、椅子に身を預けずに、己の冷たさだけで自身を凝視しきることはできなかっただろう。




