9-14『一頭の羊』
『――絵本を買ってくださった方へ
わたしの誕生日のお祝いに、あなたがくださった絵本をまいにち読んでいます。よくよく読んでお話をおぼえてしまっても、さいごにはいつも泣いてしまいます。
このへんてこな文字も、絵本のおかげで覚えることができました。三十回くらい書き直したので、紙がくたくたになってしまいましたが、あなたは良い人だから、よわよわしい私の手紙を摘まんで、笑ってくれているでしょう。
お母さんがいうには、絵本だけでなく、この紙というのもとても高価なようです。本当はとっておいた方がいいのだけど、私がどうしてもあなたに感謝を伝えたいといったので、引き出しから一枚とり出して、私にくれました。
今もとなりで、私が何を書いているか見ようとしてきます。文字がきたないので、とてもはずかしくて、かくしてしまいました。お母さんのことなんて書いてないから、みないでと言ってしまいました。うそがしみこんだ手紙からは、私のにおいがします。この手紙はやっぱり渡さずに、取っておきたい気がしています。
絵本と紙をもらったとき、お母さんと同じにおいがしました。
お母さんはいつも、鏡の前できれいな入れ物を開けます。金色のきれいなふたを押し開けて、すくいとったものを、首や手のひらにつけています。とても良いかおりです。
だから絵本をもらってすぐに気づいたんです。これは私へのお祝いではなくて、お母さんへのおくりものだったんだって。
絵本はまいにち、鍵のかかった引き出しで眠ります。そこにはお母さんの大切な物が住んでいるのです。
お母さんが持っている、宝石のついた十字のかぎは、きらきらしています。いつも、さびしそうに、かぎをなでているのです。
ぜひまたお母さんにあいにきてください。来ていただけるなら、こうして恥ずかしい手紙をさしだすこともがまんできます。
どうかまた、あいにきてください。』
――襲撃を告げる鐘すらも、遠く聴こえる。
美しい庭園区は、診療所へ通うときに、生け垣や植物園を真上から見るばかりで、来れもしないだろうと思って、花を愛する妹に話したことはなかった。
生け垣は散らかり、掘り起こされた土があちこちに山を作っている。石畳の亀裂を朝日がなぞり、かつての美しさの名残を拾い上げる。花が吹雪き、二度とやり直しのきかない現実に身を献じていた。
今また、将軍がのこっていた露堂から柱を引き抜き、その重い石柱を軽々と魔王へ投げつけた。
風を切る音にさえ恐れおののいてしまう。けれど、魔王は眉一つ動かさずに一閃する。柱は両断され、左右に分かれた塊が生垣を押し潰しながら背後へと流れた。
命中を待たず、将軍は地を踏み抜いている。芝生を土ごと捲り上げ、重剣を渾身の力で振り下ろす。血気注がれた腕は膨れ上がり、影が魔王に覆いかぶさる。彼は足に激しく砂埃をまとって飛び上がった。巻き起こる風圧に、遠方にいたルカは立っていられず、瓦礫の後ろに身を隠した。
顔を顰め、風が通り過ぎるのを待つ。その視線の先に、昏倒した衛兵の姿を捉えた。王国軍ではなく、城の見張りをしていた兵士だ。ルカは視線を戦いから外し、兵士に駆け寄ってその口元へ耳を近づけた。かすかな呼気が当たる。
出血する傷口を見定め、フッセルルの手ほどきを必死に思い出す。衣服の端を引き千切り、傷口の上部を固く縛って簡易的な止血を施した。
「未熟ッ!」
剛毅な声と甲高い金属音が響き渡り、ルカは弾かれたように振り返る。
地面に膝をつく魔王の頭上へ、将軍の一撃が振り下ろされようとしていた。魔王は項垂れ、意識を失っている。
息を吸うことも忘れた胸に、ぶわりと熱がほとばしる。
ルカの傍らに突如として強い光が溢れ、その顔半分を真白に照らし出した。斜めから受ける眩さに頬や髪が白く染まり、頭部を囲むように暈が浮かび上がる。その光の中から、一振りの剣が現れた。
彼を助けたいと願った。剣は、ルカが命じるまでもなく、魂に従っている。
地を蹴って駆けだすルカよりも早く、剣が前へと飛び出した。人の手を離れたまま、まっすぐに将軍の一撃へと向かっていく。
「ぬうっ――!?」
男の半眼に、銀閃が粗放に割り入った。重剣を退かせて回転した剣を、魔王の前に躍り出たルカが掴み取る。そのまま鋭く横に薙ぐと、将軍は重剣を戻してそれを受け、後方へ数歩、足を引き戻した。弾ける火花を被りながら、ルカはその身で魔王を庇う。
ルカ、そして銀髪を風に流し、膝をつく男を一つの視界に納め、将軍の双眸は怒りに燃え上がった。男はこの瞬間、はじめて心の底からルカを軽蔑した。




