9-13『一頭の羊』
「女一人に躊躇うことはないぞ! これは罪人なのだ!」
「裏切者を打ち取れ! 首を獲った者には褒美をやろう!」
それを合図に、二人の兵士が剣を構え、左右から同時に襲いかかった。
ルカは足元に転がっていた兵士の剣を拾い上げると、二人の剣の軌道を見極め、右からの横薙ぎを剣の腹で受け流した。勢いをつけたまま、左から迫る兵士の顎の下へ柄頭を叩き込む。さらに、体勢を崩した右の兵士の膝裏を払い、床へと転がした。重厚な鎧をまとった男たちは一度倒れてしまえば小回りが利かない。身軽なルカを捉えることすら難儀していた。
二人を瞬時に退けたものの、背後からはさらに兵士が押し寄せてくる。フッセルルたちは無事に渡り廊下を越えただろうか。彼らの脱出に必要な時間を考えながら、ルカは目元に落ちてきた汗を腕で拭った。
「まったく、女というものはわからんな」
平坦な足場を選び、一歩一歩にじり寄ってくる兵士がいた。無骨な大兜で頭部が覆われ、視界を確保するために開いた細い横穴の奥から、ルカの体を上から下まで眺め、既に嘲笑を浮かべていた。笑い声は分厚い鉄板の内側で反響し、ひどく不気味に漂う。男は剣の先を下げたまま、いつでも空を切る構えを見せている。
「王命を拝しておきながら、後になって己の役目ではなかったなどと言い出す。女の気紛れのために、我々の信念が邪魔をされる。女がなぜ男の足を引くことばかりを考えるか、教えてやろう――お前が、無能だからだ」
それは対話ではなかった。男は最初から言葉を交わすつもりなど毛頭なかった。
ルカはただ切っ先を流して薄く唇を開き、息を整える。男はそのわずかな息遣いさえも、ルカが怯んでいると断じた。
なお込み上げてくる笑い声を聴きながら、ルカは相手の剣と足運びに意識を集中させていた。
ただの罵倒には息苦しい感情を味わうことはない。剣の一振り、足のさばき、その一つ一つに、覚悟さえ込めていれば、命を賭けることに恐れなどなかった。
「来い!」と男は口を切った。
戦いに抑えきれぬ喜びがあると声色が言っている。ルカはわざと踏み出す足を遅らせて、正面から打ち込んでくる一撃を回避し、身を低くして間合いに潜り込んだ。真下から顎を突き上げると、顎紐が千切れる。兜が跳ね上がり、男の目が激しく見開かれた。額は白く、眉間に縦に傷が入っている。日焼けして荒れた肌、頬には傷口を熱で焼き固めた痕があった。それらは言葉よりも雄弁に男の生き様を語っていた。
首を刎ねる寸前で止まった剣の、言葉なき降伏の問いかけに、男は呻き声で答えた。
剣を引いた、その時だった。
突如、城全体を激しく揺るがすような、質量を持った衝撃が診療所を襲った。
先ほどまで近くで響いていた将軍と魔王の激闘の音は、いまや庭園区の方角へと移っている。そこから地響きとなって伝わったのは、将軍が放ったであろう一撃の余波であった。凄まじい質量が地面を隆起させ、大廊下の床は、一瞬にして爆裂した。
「っ――」
足場を完全に失い、ルカの体は崩落する大量の瓦礫とともに、一気に下の階層へと投げ出された。居住区は城の中でも低い場所に位置している。にもかかわらず、その体は「下方」へと落ち続けていた。
視界が上下に回転し、巻き上がる土煙の空の向こうに、広大な天井が現れる。
激しい衝撃とともにルカが着地したのは、診療所の「上方」に位置していたはずの、庭園区の硬い石畳の上だった。
背中を打ちつけ、肺の空気をすべて吐き出しながらも、頭部だけはしっかりと守ったルカは必死に顔を上げた。
住民の為に造園されていた美しい庭は、すり鉢状に陥没し、区を隔てる壁さえ中央に向かって倒れている。振り返れば、居住区は地面ごと押し出されて、尖塔の足元に広がっていた家屋が、中腹にある格子窓の位置まで上がっていた。
そのまま家屋の列に目を滑らせると、数階建ての横長の建物が、真っ二つになっている。四角い部屋が並び、家具が次々と零れ落ちていた。
ルカは青白い顔をこわばらせたまま、一言も口をきけない。真っ二つになった診療所を見上げ、大切な人たちの顔が浮かび、荒々しく息づいた。吐き戻しそうになり、砂利の噴いた地面にうずくまり、「大丈夫、大丈夫」と何度も呟く。そうしなければ、心の瓦解を防ぐことはできなかった。
すぐに診療所に戻らなければ。立ち上がろうとしたルカは、砂塵の向こうから発せられる圧倒的な質量と殺気に身を固めた。すり鉢の中央で、黒と銀が、激しく衝突している。
そこはまさに、魔王と将軍による、決戦の地であった。




