第五話 精霊馬(五)
嵐太郎はすぐになんらかの結果が出るようなことをいっていたが、あれから数日経っても何の連絡もない。
今日からお盆だ。多々良が浜でも迎え火を焚くと聞く。そういえば早々と燈籠をたてている家を見かけた。新盆なのだろう。
年中行事と見なすか、宗教上の行為と考えて自粛すべきなのか。ここ白梅荘は忌みごとを避けて葬儀も行わないと聞くので迷う。おば様が亡くなったのがこの冬だから白梅荘でも新盆なのだが、燈籠をたてたり迎え火を焚いたりするのはやめておくことにした。
忌みごとを避けるのもあるが、子どもの頃に両親とした盆用意の習慣をここに不用意に持ちこむのが憚られるからだ。迎え火など焚いて正妻であるおば様と愛人である祖母の御霊がかちあうってのはいかにもまずい感じがするではないか。何かときいきい怒ったり、舞い上がったりして忙しなかった癇性な祖母を思い出して苦笑した。
――せめて花でも。
そう思って早起きした。前庭だけでなく、青い花の燃えていた奥庭などを探せば盆花にできそうな花が咲いていそうではないか。籠と、みちるさんが使っていた剪定ばさみを携え裏口の戸を開けた。視界に違和感がある。ふ、と下に目をやるとそこに撫子の花束があった。
――誰が……。
しゃがみこんで花束を手に取ったとき、においがした。微かに甘く粉っぽい、麝香に似た獣臭。そこにほのかに日向のにおいが潜む。
「ケイさん」
慌てて立ち上がろうとして躓く。とっさに手の中の撫子の花束をかばい、膝と肘をすりむいてしまった。自分の血のにおいがあたり一面に漂う。
「ケイさん、――どこ?」
応えはない。
ちぎられた半身。失った熱。お互いの唯一、対――。大きい人がいないと寒い。痛い。辛い。
* * *
「詩織ちゃんはいくつになったのかのう」
「三十五歳です」
「年が明ければ年女、もしかして今年かの?」
「いいえ、来年です」
厨房で肘と膝の消毒をしていたら、お久さんがやってきて代わってくれた。
「怪我が多いのう」
「……すみません」
「いい歳をしてそそっかしいというのも考えものじゃ」
「……すみません」
ガーゼやら包帯やらを取り出し、お久さんがてきぱきと手当てする。
「半袖シャツにバミューダパンツじゃあ包帯が目立つのでな、浴衣に着替えておいで」
台所仕事はわしがやっておく、と厨房から追い出された。
自室へ戻る前に花束をほどいて筒型の花活けに放した。ひんやりと翳った土間の一角で、撫子の花の紅色だけが淡く光を含む。
黒に近い墨色に目立たない縞の入った縮を纏い、鶸色の半幅帯を合わせた。厨房に戻ると、お久さんが
「渋いのう」
と私の姿を見て苦笑した。
「もう少し娘らしい浴衣もあろうに」
「そんな年齢でもありませんし」
お久さんはあまりこうしたことに口を挟まない。着替え直せともいわれなかった。
それよりも、こりゃなんだ。お久さんがため息をつきながら送る視線の先、厨房の作業台に茄子がどっちゃり積み上げられて山になっている。中にはまだ小さいものもある。
「先ほど、あのど阿呆医者が持って来おってな」
「なんでこんなに」
「『小梅ちゃんが収穫の喜びに目覚めたようでね』などとほざいておったが、要するに――」
甘チャラ男の新しい茄子ヘイト作戦であるらしい。食卓の消費ペースを上回る量を供給して腐らせ、数日後の茄子責めをストップさせる戦術か。
「嵐太郎さんたら、茄子のおいしさに目覚めたんですね、きっと」
ど阿呆め。二百年生きようが医術のスペシャリストだろうが関係なく、ヤツこそ真の阿呆、阿呆の中の阿呆と呼ぶべきだな。私が茄子を徒に腐らせるようなもったいない真似をするはずがなかろう。
ハイパー茄子責め決定だ。漬物、天ぷら、鴫焼き、素揚げ、焼きびたし。麻婆茄子、チーズ焼きにペースト、パスタにグラタン。おっしゃ、どんと来い!
「――これだけあれば少し、お料理でないものに使ってもいいですかね?」
「構わぬじゃろうが――何かの?」
お久さんがわくわく顔になった。細い目に期待と喜びが踊る様子が愛らしい。
「いや、そんな期待していただくほどのことでも。精霊馬を作るのはどうかと思いまして」
そのくらいは忌みごとにあたらないだろう、ということで厨房で精霊馬をこしらえることにした。
「大々的に盆棚を作るわけにもいきませんので、梅の木の下に小さく飾りましょう」
「たくさん作っちゃおうよ!」
甘チャラ面をした真の阿呆がおる。
「おやーたしゃま、きゅうりとお茄子、どっちにするですか」
「どっちにしましょうね。どちらでもいいのですよ」
胡瓜は足の速いお馬さん、茄子は歩みはゆっくりだけれど、力持ちの牛さん。あの世にいらっしゃるご先祖様の乗り物となる。
「じゃあ、早くおかえりなさいしたいから、きゅうりでお馬さんでしゅ」
「小梅ちゃん小梅ちゃん、茄子! 茄子をたっくさん使うべきだよ!」
「……ど阿呆医者、やかましいのう」
嵐太郎に冷たい視線を浴びせたお久さんは、小梅に微笑みかけた。
「まずどれにするか選んでみるとよかろうよ。胡瓜なら――これはどうかの? お馬さんが首をぴーんと立てているように見えるのう」
「ほんとだ! ひーしゃん、しゅごいです!」
「そこのやかましいのがいうのも一理あるのう。お茄子もよい。どうだえ、モーモーさんに見えそうなのがあるかの?」
「うーん、――あ、これ、ひーしゃん、このお茄子がいいです!」
あれがよい、いやいやこちらが、などとわいわい盛り上がった。思い思いの野菜を手に爪楊枝を刺して精霊馬を作る。
「おろろろ」
お久さんが細い目を瞠って大袈裟に驚き、小梅の笑いを誘っている。
「小梅ちゃん、これは足が多過ぎはせんか」
「あしがたくさんあると、はやくはしれる、です?」
小梅も途中から自分で自分のいっていることに疑問を抱いているようだ。そんな小梅の手もとにある精霊馬にはびっしりと爪楊枝が刺さっている。多足類か。まるでヤスデだ。
「やっぱりはやさにはかんけいない、かも? でもかっこいいです」
小梅は足のびっしり生えた茄子と胡瓜の精霊馬をうっとり眺めている。ヤスデライクな多足類タイプの精霊馬、かっこいいんか。
* * *
ひとしきりはしゃいで疲れたか、小梅は昼寝をしている。離れの風通しの良い濡れ縁で小梅を真ん中にしてお久さんと嵐太郎も川の字になって眠っている。小梅に風を送る競争でもしていたのだろう、二人の手に団扇が握られたままだ。小さな初老のお久さんとチャラチャラした美青年の嵐太郎、きかん気な幼子の小梅、年齢も姿も共通するものは何もないのに、
――だからこそ、なのか。
まるで家族のように見える。
* * *
みちるさんから小梅へ、あの再生から一ヶ月。
当初は白梅が憑依してコントロールし、ある程度大きくなるまでボディの人格は表面に出てこないと聞いていた。白梅もみちるさんも、嵐太郎もそういっていたけれど実際にはそうならなかった。再生直後にうっすらと意識の表面に出てきたかに見えた白梅はあの立秋の日、周平に腕を傷めつけられた後に再びちらりと現れたきりだ。
幼くして白梅荘の当主となった祖父、跡を継いだおば様。この一世紀近く乙女を減らし続けたことでエネルギー源が不足していると白梅はいっていた。そのことが今、白梅の活動を阻害している。あの雷の夜、再生をなんとか成功させたからこそこうして小梅とともに暮らせるのだと分かっている。
――これでよかったのか。
多様な選択肢を豊かに茂らせていた樹形図の枝葉を刈り取ったことでひとつの可能性に向かってじりじりとにじり寄っているはずだ。今、このときも。
でもこの選択が何をもたらすのか、私の頭は考えることを拒否してしまう。真っ暗で先の見えない一本道をふらふらと走り続けている。そんな気がしてならない。山積する問題に目をつぶり、大きい人の不在にうろたえ、小梅を中心とした擬似的な家族生活の快さに溺れてしまっている。
――これでいいのか。
自分で結論を出せない問いに、誰が応えてくれるというのだろう。




