第六話 精霊馬(六)
青々と葉を茂らせる白梅の老木の下に茣蓙を敷き、水を注いだ杯と小さな徳利に活けた撫子、みんなで作った精霊馬を並べた。小梅が「かっこいい」という多足タイプの茄子の牛と胡瓜の馬は、そのままお供えするのが難しい。茣蓙に載せると、爪楊枝がいくつか抜けてしまう。しゃがみこんで抜けた爪楊枝を刺し直していると、胡瓜の馬が、釣られるように茄子の牛もぐらりと傾いで引っくり返った。
「足が多過ぎる……」
びっしり生えた足を上にしてひっくり返るその姿はとてもじゃないが牛馬に見えない。
「どうしたものか」
思い切ってえいっと表に返してみた。ばらりと数本の爪楊枝が抜ける。小梅、刺し方が甘いぞ。そしてまた引っくり返った。改めて見るとアレだ、びっしり刺さった爪楊枝が足というより微生物の繊毛に見える。にょごにょごと繊毛をなびかせながらご先祖様の霊を冥界へ迎えに行く精霊馬。シュールだ。そんな益体もないことを考えながら爪楊枝を刺し直し、ちゃんと立つように調整した。
しゃがみこんで精霊馬をいじるのに没頭していたので背中や腰ががたぴし固まっているのに気づかなかった。
「よっこらせ」
立ち上がって腰を叩いた。
ぞぞぞぞぞ。
体が悪寒で震える。
「白梅の、婆臭いぞ」
背後遠く、門の外で周平がポケットに手を突っこんだ無精極まりない姿勢でこちらを見ていた。
「ここ、通してくれ」
周平が一見遮るものなど何もない、扉を開け放した門のそばで手をひらひらさせる。
いやだ。通したくない。婆臭いなどといわれたのでますますいうことを聞きたくない。しかしいかにもわけありな様子でうろうろされても外聞がよろしくない。仕方ない。つかつかと門へ向かい手刀ですぱっ、と要塞結界に切れ目を入れた。
「どーも」
にやりと笑い、周平が頭を下げ切れ目をくぐる。生意気だと定評のある目つきでじろりと睨みつけ、周平を先導して梅の老木の前へ向かう。
「あなたと馴れあうつもりなどないんですが」
「おいおい白梅の、アンタとオレの仲じゃないか。そんなつんけんするなよ」
どんな仲だよ。考えたくもない。
「今日はどういったご用件でしょう」
「おい白梅の、アンタは礼のひとつもいえない――」
私の左腕をつかみ、引き寄せた周平の動きが止まった。
「白梅の、これはなんだ」
「放しなさい」
「白梅の、これはなんだ、と訊いている」
周平は浴衣の袂から露わになった肘を見ている。慌てて袂を元に戻そうと袖を押さえたのだが、その手を払われた。
「白梅の、なぜ包帯など巻いている」
「放しなさい」
「答えろ。白梅に何があった。なぜ怪我が癒えない」
しまった。外部の人間に白梅のエネルギー不足が知られるのはまずい。
「あなたには関わりのないことです。放しなさい」
「おかしいな」
左腕を掴む周平の力が少し緩んだので、その拘束から逃れようともがいたが、かなわなかった。
「ネズミはどうした。オレがこうしてアンタに迫っているのになぜ現れない」
「知りません」
「――まさかネズミ、帰ってきてないのか。あの日のうちに川向こうのガキのところを出てるんだが」
周平が首をかしげる。
話を聞くと、獣化したケイさんの抑えが利かなくなり、困った川向こうの盟主が周平を呼び出したのがあの日だったらしい。
「おとなしくさせろっていわれてもなあ。元々ネズミにはパワー負けしてたんだし、こっちがおとなしくさせられてたんだし。無理な相談ってもんだ」
それでもけしかけられるままに対決したらしい。
「久々の兄弟喧嘩だが、あんなに頭に血が上った状態のネズミじゃかないっこないんでね。喧嘩するふりして色々ぶっ壊してきた。途中でネズミもそのあたり気づいたみたいでなあ、初めてじゃないか。仲良くいっしょに暴れるのなんて」
周平は浮き浮き楽しそうに語っているが内容はえらく物騒で、とにかくケイさんの怪我が心配だ。話を聞いて肝を冷やすこちらにかまわず、周平はまた首をかしげた。
「――ネズミ、何やってるんだ」
「ケイさんは無事なんですか」
「まあ、無事だといっていいんじゃないか。屋敷の母屋だけじゃなくラボやら蔵やら、川向こうのガキんちをめちゃくちゃにする程度に暴れたからな。無傷ではない」
「そんな――」
周平は私を見下ろし、ふ、と表情を緩めた。
「心配するな。ネズミは頑丈な質だ」
しかし、すぐに表情を引き締め直した。
「ネズミ、川向こうの連中の追手を引きつけてるんだろうか。――白梅の、アンタも気をつけたがいい。ネズミが思うようにならなかったからっていうんで川向こうのヤツらがこちらに報復に来るかもしれない」
周平は遠く、東に目をやった。
「嵐太郎さんがいっていました。あなたはケイさんを憎み、同時に愛している、と」
「……そうか」
周平が振り返り、私の目を見た。はぐらかされるかと思ったが、その縦長の瞳孔に茶化す色合いはない。
「私がケイさんのものだからあなたは私を欲しがる。そうなんでしょう?」
周平の表情が険しくなった。
「そうじゃないだろう、詩織――いや、いい」
再び、周平が遠くに目をやった。
「――ネズミの女王なんだな、アンタは」
「は?」
ネズミの女王ってなんだ。某キャラクター遊園地で踊る着ぐるみたちに君臨するボンテージ装束の女性がぱっと脳裏をよぎったがきっとまったく関係ないしそんな胡乱な女王様キャラクターなんぞあのテーマパークには存在しない。
「美奈子はな、慰撫適性はあったんだがネズミとは合わなかった。ネズミはあの女に会いに行ったんじゃない。単に川向こうのガキに誘導されただけだ。誤解させたネズミがいけないんだが、そこは分かってやれ」
周平は私を見下ろし、微笑んだ。
「さて、もうひと暴れしてくるか。単純バカのネズミの立ち回り先がきな臭くて面白そうだ」
「なんですかその単純バカっていうのは」
「単純バカからオレに乗り換えてくれてもいいんだぜ」
「滅相もない」
ポケットに手を突っこんだチャラけた格好で去りかけた周平が立ち止った。門の前だ。
「白梅の、ここ、開けてくれ」
もうここに来るな。ぷんすかしながら門の前へ行き、手刀ですぱっと空間に切れ目を入れた。睨みつける私を振り返って
「またな、白梅の」
にやりと笑い、周平は去っていった。
* * *
真知子さんの帰宅が早かったので、風呂や夕食の時刻も早めに繰り上がった。後片付けを済ませて皆の様子をうかがうと、離れの濡れ縁に集まって空を見上げている。藍色のグラデーションをなす残照の映える空にぽっちりと爪痕。夕月だ。
酒の用意をして私も離れに向かった。
先ほどまできゃっきゃとはしゃいでいた小梅は、お久さんと嵐太郎に挟まれてあくびをしている。団扇で風を送ってやっている両脇の二人もうとうとしている。
「ほほえましいですわね」
「昼もこうして川の字に」
「まあ」
三人にタオルケットを掛けてから、にこにこしている真知子さんの隣に落ち着いた。
カラフェに酒を注ぎ、氷を詰めたワインクーラーに入れて冷やす。茄子の浅漬けと枝豆の鉢を並べる。真知子さんは籠の中からクリスタルのショットグラスをつまみ上げた。
「持ち重りしますが、見た目が涼しげでよろしいかと」
「よいですわね。これにしますわ」
ショットグラスのシンプルな筋状のカットが残照のわずかな光を捉え、にぎやかに反射する。私も籠の中から猪口を選んだ。背後で三人が川の字のまま、寝入っている。
「お疲れ様です」
「今日も暑うございましたわね」
真知子さんと二人で酒盛りを始めた。
「まだあまり冷えていませんね」
「そのうち冷えますわよ」
喉を滑り胃に落ちながら酒が身体を灼く。ちりちりとした感触にため息をつくと、果物に似た香気が鼻腔を抜ける。真知子さんがカラフェを手に取り、私の手の中の猪口に酒を注いだ。淡黄がかり微かにとろみのある酒が猪口の中でゆっくりと揺れる。
「もうそろそろ、退職できそうですわ」
「それは――」
よかったですね、といってしまっていいのだろうか。毎朝つやつやの高級車で「今日も仕事ですわ……」とドナドナされていくマルカワカンパニー会長である真知子さんは、年齢を理由に以前から引退を希望している。でも、好きだからこそ激務に没頭できるともいえる。小さく愛らしい外見のわりに精力的な彼女を見ていてそう感じることがある。
「潮時ですわ」
口ごもってしまったところを読まれてしまった。うふふ、と微笑む真知子さんに張りあえる気がしない。苦笑いでごまかした。藍色の濃くなった空を望む。夕月が傾いた。
「――帰ってきませんわね」
「ええ」
「何か――続報はありまして?」
昼間、周平がやってきたことを話した。
「ケイちゃんたら、おバカさんですわね」
ショットグラスの中身をぐいっと干す。ちんまりと愛らしい見かけのわりに豪快な呑みっぷりだ。差し出されたショットグラスにカラフェの中身を注ぐ。真知子さんは再びぐいっと空けた。
「何をぐずぐず遠慮しているのかしら。さっさと帰ってきやがればよろしいのに」
豪快な呷りっぷり、ちょいちょい混じる伝法ワード。なのにこの人は品がよい。うらやましいことだ。私なんぞが真似をしたら品が下って大変なことになってしまうだろう。
「詩織ちゃんに愛想を尽かされてしまいますわ」
「そんな……」
どちらかというと愛想を尽かされて当然なのはこちらのほうだったりするんじゃなかろうか。猪口の中身を少し口に含みうつむくと、真知子さんの鼻息が荒くなった。
「まったく……! 男ってのはいつまでも女が待っているもんだと思いこんでいるんですわ」
「そうでしょうか」
「そうなんですの。安心しきっていやがりますのよ、男は」
「まあ」
一般論にしては少々熱のこもった主張っぷりだ。
若くして亡くなった夫の遺した会社を今の堂々たる業容にまで大きくしたのはこの小さな愛らしい人だと聞く。これだけ頼もしい奥さんだもの、故人もきっと安心して託しちゃったんだなあ。
「ケイちゃんの……ヘタレ!」
「まあまあ」
真知子さん渾身の叫びに眠っているはずの嵐太郎の身体がびくり、とおののいた。弟子がヘタレなのは師匠に責任があると思っているのだろうか。殊勝なことだ。
「ケイちゃんが帰ってきたらお仕置きするべきだとわたくし、思いますの」
「まあ、どんな」
「んー、んー」
ちょちょちょっと、かわいいな。ぐっと来た。唇をきゅ、と閉じて一生懸命考える様子が常よりいっそう愛らしい。
「おいしいご飯を作っていただきましょう」
真知子さんが拳を握りしめる。――うん、それはね、ケイさんいるときはいつもそうしていただいてるんでね。それにしてもそんなにマズいか、私の作る飯は。
「……そうですね」
苦笑いする私に気づいたか、真知子さんの表情に少々焦りが見える。ささ、呑んで呑んで、と美老女が私にいそいそと酒を勧める。
「んー、もっときつくお仕置きしたいですわ」
ふ、と真知子さんの表情が真剣になった。
「……いっそのこと、やめちゃう。それもありですわ。側にいてくれる人に乗り換えてしまえばよろしいのよ」
「それはないですよ」
苦笑いした。
「私からは、ないです」
――だって、好きなんだもの。
つぶやきは声にならず、星が瞬きはじめた濃藍の空に溶けていった。大きい人が離れていっても私は痛みと空虚を抱えつづける。きっと。私にどれほどの時間が残されているのか分からないけれど、ゆるされる間はずっと。




