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白梅荘顛末記  作者: まふおかもづる
第四章  月見酒と乙女

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第四話  精霊馬(四)


 門から戻ってきた嵐太郎は私の左手を取った。


「これは酷い」


 周平がぎりぎりとつぶさんばかりに握りしめた痕が左腕にくっきり残り、腫れあがっている。


「周平くん、難儀な子だねえ。――もしかして周平くんのこと、嫌い?」


 この人は何をいっているのだろうか。そんなもの、決まっている。


「ええ。嫌いです」

「きっぱりしたもんだ。ま、会うたびにこんなことするんじゃ仕方ないね」


 嵐太郎が手当てをしてくれるというので厨房へ向かった。不器用な私がしょっちゅう切り傷をこしらえるので、ケイさんが厨房に救急箱を置いてくれたのだ。ただそれだけのことであっても、思い出すと胸が締めつけられる。

 きゅうきゅうばこ、きゅうきゅうばこ、とみょうちきりんな節まわしで歌うように唱えながら嵐太郎が厨房の棚という棚をひっかきまわした。


「あの、救急箱でしたらそこの――」

「いいからいいから、詩織ちゃんは座ってて」


 あっという間にいろんなところがぐっちゃぐちゃになってしまった。ほんの少しの間に電光石火の散らかしっぷりだ。そして「あった、あったー」と手もとに引き寄せた救急箱の中から湿布を取り出すのに、他の薬やら絆創膏(ばんそうこう)やら目についたものすべてを箱から外に出してしまう。甘チャラ男、なんてやつだ。呆れた。弟子と称してケイさんのことを世話係としてこきつかっていたに違いない。コンパクトなのに救急箱って意外にたくさん入るのね。作業台に雑然と放り出された薬やら包帯やら絆創膏やらの山を呆れて見ていると、


「詩織ちゃん、あのさ」


 嵐太郎の手が止まっていた。


「五木くんさあ、周平くんのこと、血のつながりはあるけど家族ではない。そういってなかった?」

「はい。そう聞いています」

「周平くんにとっての五木くんもね、(おおむ)ねそんな感じなの。でもね、ちょっと違うところもあると思うんだ」


 なんていえばいいのかなあ、説明しづらいなあ、などとしばし呻吟(しんぎん)した後、嵐太郎は


「周平くんにとって五木くんって、『かくありたい自分』なんだと思う」


 といった。


「周平くんは誕生と同時にお母さんを亡くしているでしょ? でも異母弟の五木くんのお母さんは出産を乗り切って育児こなしながら『島』の長もやってたわけじゃない? うらやましかったんだろうね。息子の兄弟だからというんで、五木くんの母親は周平くんのこともかわいがってたらしい。でもやっぱり実の親子じゃないからお互い遠慮もあったんじゃないかな」


 うーん、うまくいえない、と嵐太郎は腕組みした。


「ハイブリッドコードキャリアの出生が減りはじめて久しいころだから、年齢の近い子どもでしかも同性となると何かと比べられるだろうし、お互い張り合って育ったんだと思うんだ。周平くんは『王化』とかなんとかいわれてちやほやされてたらしいんだけど、獣種が虎とか熊とかじゃなくて地味なものばかりで『王化』と呼ぶにふさわしくないとかなんとか、ちやほやしてる人自身が陰口いっちゃったりしてたんだって。不安になって当然だよね。それに対して五木くんは獣種こそひとつだけど、高レベルでパワーもあったから、ちやほやされなくても安定した性格の子どもに育ったらしい。周平くんからすると、五木くんって御曹司でありながら外に婿に行くことが決まってる気楽な身分に見えちゃってたわけ」

「偏った視座に胡坐(あぐら)をかいた一面的な評価だと思います」

「ん。僕もそう思うよ。五木くんはね、ただそれだけの人じゃないから」


 組んでいた腕をほどき腰に手をやって、嵐太郎は少し考えこんだ。


「優れているから、美しいから、じゃなくて、ただ存在するだけで受け容れられ愛される。そんな五木くんのことが周平くんはうらやましくて、憎くて仕方ない。だからあの子は五木くんの心を折るようなことを平気でいったりしたりする。五木くんの不幸を本気で願ってる節もある」


 嵐太郎は顔を上げ、私の目をじっと見た。


「でも同時に周平くんは五木くんのことをものすごく愛してるわけ。自分は酷いことをいくらでもするくせに、自分以外の他の誰かが五木くんをいじめたり不幸にしたりするのが(ゆる)せない」


 めちゃくちゃだ。嫌なやつだと思っていたが、思っていたよりずっとおかしなやつだ。ほんとにめちゃくちゃだ。

 なんだかねえ、と嵐太郎は厨房の窓に目をやった。立秋とは名ばかりの攻撃的な日差しに目を細める。そして目を伏せ


「ちょっとだけ、周平くんの気持ちも分かる気がするかな」


 とつぶやいた。


「周平くんがああして駆けつけるからすぐに動きがあると思うんだけど、二人とも無傷では済まないと思う」

――無傷では済まない


 ぐい、と肩を掴まれた。掴まれて初めて気づいた。私は駆けだそうとしていた。外へ。


「川向こうさんちに行くつもり? どこにあるか知りもしないくせに。駄目だよ」


 嵐太郎は語気を強めた。


「どうして駄目なんですか?」

「どうしてって――僕らはきっと役に立たない」

「行ってみなければ分かりません」


 嵐太郎は重いため息をついた。


「五木くん、周平くんそれぞれから話に聞いただけで僕は実際に目にしたわけじゃない。だから断言できないけどね、それでも僕らじゃ役に立たないのは目に見えている」

「だから、なぜなんです」

「詩織ちゃんさ、五木くんが完全に獣化したところ、見たことある?」

――もっとヤマアラシに近くなるんですか?

――えっと、いや、これ以上は


 ああ、と嘆きが漏れそうになる。指で唇を押さえるけれど、わななきを止めることができない。


「周平くんの獣化を見たよね? あれでも獣化レベルはさほど高くないんだそうだ。でも五木くんの獣化レベルはかなり高いらしい。完全に獣化してしまうと、ある程度発散して消耗するか、あるいは適性のある人物に慰撫(いぶ)してもらわないと人型に戻れない。『島』が獣化異能者に用意する婿入り先というのは、慰撫適性のある娘がいる家だ。つまり五木くんの元婚約者には慰撫適性があったというわけ。それで――」


 私には慰撫適性とやらがないということか。ちぎられた半身。失った熱。お互いの唯一、対――そう思っているのは私だけだったのか。


「詩織ちゃん、僕の話聞いてる? 周平くんのいうとおりちゃんとここで待ってるんだ。詩織ちゃんが選んだんでしょう? 五木くんの恋人である前に、白梅荘の当主であり、館の主であることを」

「でも――」


 詮無(せんな)い反論は厨房に飛びこんできた小さい人に(さえぎ)られた。


「おやーたしゃま! ご用おしまい……」


 私に抱きつこうとして小梅はびくり、と動きを止めた。赤黒い腕の痣を見ている。しまった、これは見せたくなかった。今更隠しても仕方ないがタオルか何かで覆わねば、と探そうとしていると、小梅の表情が曇った。大きな目にうるうると涙が盛り上がってくる。

 小梅が目を閉じた。目尻からつつつ、と涙がこぼれる。再びまぶたを開けたとき、その目には混沌と深遠が宿っていた。


「らんたろしゃま――ああ、あなたのしわざではありませんね。ことさらひりきなかたですもの。また、あのおとこですか」


 舌足らずなのに小梅でないと分かる。姿は幼子のままなのに年月を経て知恵と諦念を得た老女のようであり、恐れを知らない少女のようでもある。


――白梅。


 白梅は眉間に皺を寄せ、私の左腕をそっと取った。腕に触れる掌が熱い。


「おやーたしゃま、おまもりできずすみません」

「白梅、こちらこそ起こしてしまって申し訳ない」


 見る見るうちに左腕の腫れが引き、痣が消えていく。


「おやーたしゃま、ごめんなしゃい」


 幼子が私にしがみつき、わんわんと泣く。おかっぱ頭のつむじを見下ろしているだけで目を見ることができないのではこの子どもが白梅なのか小梅なのか、分からない。


「あなたは何も悪くない。謝ることはありません」


 私の腹に顔を埋めて「ごめんなしゃい」といい募り泣く子どもを抱き上げ、


――だいじょうぶ、だいじょうぶ。


 背中を撫で続けた。



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