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白梅荘顛末記  作者: まふおかもづる
第四章  月見酒と乙女

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第三話  精霊馬(三)


 暦の上で立秋といっても実際には夏ど真ん中だ。それでもその朝、目覚めたとき


――秋の気配がするかも。


 と感じる程度に暑さが和らいだ。ここ多々良が浜は目の前に海、背後に山が控えているから、熱気のこもる都心と気候が違うのかもしれない。ベッドから降りた。


「――う、むふう」


 起こしてしまったかと思ったが、杞憂だったようだ。小梅が眉間に皺を寄せころり、と寝がえりをうった。ふくふくとした足でタオルケットと夏掛けを蹴る。タオルケットだけおなかにかけ直し、おかっぱ頭のつやつやとした髪を撫でると小梅の表情が和らいだ。

 開け放して網戸のままにしておいた窓辺に立つ。カーテンの隙間から外を見る。朝日が金色に輝き、住宅街越しにちらりと見える海に照り映える。眼下の梅の老木の青々と茂る葉がわずかにそよいだ。風が吹き始める。朝凪が終わった。



     *     *     *



 厨房の外から、小梅と嵐太郎のはしゃぐ声が聞こえる。


「――正義の味方ランチャンマンが茄子怪人に必殺技――」

「だめええええ、茄子カイジンさんと仲良くしてえええ」

「えええ、だって怪人だよ? やっつけたほうがいいよね、茄子」

「違うもん、茄子カイジンさんはいいカイジンだもん」

「ちょっとおり……小梅ちゃん、どんだけ茄子好きなんだ」


 楽しそうだ。嵐太郎の茄子ヘイト作戦は失敗に終わったようだざまあみさらせ。

 朝食の片付け、終了。掃除洗濯、終了。お久さんと顔を見合わせ、お茶を淹れましょうかと話していたそのとき、インターフォンが鳴った。表の門を示すランプが点灯している。受話器を取ると、


「オレだ」


 仏頂面が手に取るように分かる声が聞こえた。


「どちらのオレ様でしょう」

「白梅の、おふざけが過ぎるぞ」

「名乗ることもできないのならそこで好きなだけカリカリしていればよろしいんじゃないでしょうか、オレ様」

「――周平だ」


 声聞いてすぐ分かったけどね。梅雨のあの日を最後に周平は白梅荘に忍びこまなくなった。侵入の足がかりになっていた毛玉のようなものを除去しただけでなく、お久さんが要塞結界を張り直してくれたおかげでもある。


「そのまま門でお待ちください」


 お久さんに「少し出てきます。浜へ向かいます」といっているところに嵐太郎が小梅を連れてやってきた。


「小梅ちゃんは久子ちゃんと一緒に大広間に行っておいで」


 引いていた小梅の手をお久さんに(ゆだ)ねる。


「茄子怪人の武器と必殺技を考えておいてね。お願い」


 小梅のおかっぱ頭を愛しげに撫でる。そしてお久さんに微笑みかけた。


「一時的に周平くんを中に入れちゃうよ。一時間ほどで終わると思うから、要塞結界の書きなおしは不要だと思う」

「了解した。小梅ちゃん、まいろうか」


 お久さんと小梅の後ろ姿を見送り、嵐太郎は私に向き直った。


「外で会うのは感心しない。仮に周平くんが獣化して暴れた場合、街の人や観光客に被害が及ぶ可能性もある」

「確かに……そのとおりですね」

「僕も一緒に会おうか?」

「いいえ。私一人で」


 嵐太郎の掌が私の頬に触れた。その手つきに色めいたものは微塵(みじん)もなく家族を気遣う仕草そのもので、なんだか笑ってしまう。年下の美青年にしか見えないこの人は私の養父なんだな。


「大丈夫ですよ。今回もまた、どこかで見ていてくださるんでしょう?」


 頬にあてられた手を外し、私は門へ向かった。



「お待たせしました」


 手刀で結界をすうっと切る。周平は頭を下げ、その切れ目から白梅荘の敷地に入ってきた。傍目には互いにお辞儀をしているように見えるかもしれない。先導して梅の老木の前にやってきた。


「色気のない格好だな、白梅の」

「アポなしで来るほうが悪いんじゃありませんか。仮にアポイントメントをいただいても着飾るほどワードローブ豊富ではありませんが」


 さっきまでがしがし家事に(いそ)しんでいたからね。ポロシャツにバミューダパンツ、素足にサンダル、首に豆絞りの手拭いをぶら提げてます。


「ほう、川向こうのと会ったときにはずいぶんめかしこんでいたと聞いたが」


 伸びかけた周平の髪は柔らかそうに波打っている。半ばその髪に隠れた切れ長の目の色は見えない。すっきりと通った鼻すじ。むっつりと引き結ばれた薄い唇。白い肌。不快な気配。振り向いて見上げた周平は激しく照りつける太陽の光を背にしていて表情が読めない。その顔は見遣ったところより少しだけ低いところにあった。

 顔の造作も体格も、においや気配、何ひとつ同じところなどないのに目の前の男はケイさんによく似ている。引きちぎられた私の半身、失った熱に。


「――白梅の」


 目の前の男は私の左腕をつかんだ。冷たくぬるりとした掌の感触が不快だ。


「手を放しなさい」


 さして力がありそうにも見えず不健康そうで細いくせに、振り払おうとしても振り払えなかった。周平はぐい、と私を引き寄せた。縦長のスリット状の瞳孔がすぐ目の前にくる。光の凝った不思議な形の瞳孔に現れる周平の感情が嵐のように渦巻いていた。


「なぜネズミを川向こうのあいつにくれてやったんだ」

「――放して」

「オレはいっただろう、白梅の。川向こうのあいつにくれてやるくらいなら朽ち縄に返せ、と。白梅の、答えろ」


 掴まれた左腕からぐぐぐ、と骨の(きし)む音がする。


「飽きたのか、ネズミに」

「飽きるも何も、ケイさんは、白梅の乙女です」

「なぜだ、白梅の」

「――ケイさんが自分で選んだんです。元の婚約者に会いに行くことを」


 周平の手の力が緩んだ。振り払おうとしたが、できなかった。まだ左腕は掴まれたままだ。


「は? 元の婚約者って美奈子か?」

「ええ」

「今更?」

「知りません。――放してください」

「美奈子は確かにまだ生きているが――もう百歳近いばあさんだぞ?」

「知りません……! あなたがた長命種がどういうふうに人を愛するのか、私は知りません。あなたがたは若い姿でないと愛せないんですか。首が細長いところが何となく似てるだけの、私は代用品なんですか」


 こらえきれず、左腕を掴まれたままわたしはえぐえぐとしゃくりあげた。驚いたことに周平は私が泣きだすとは思っていなかったらしい。目に見えてうろたえた。


「し、白梅の、泣くな。泣かれると困る。えっと、ハンカチ、ハンカチはどこへやった。――ああ、あった、ほら」


 とポケットから取り出したハンカチを私の顔に押しつけようとする。


「嫌です。そのハンカチ、臭いから嫌」

「――失礼な女だな」


 ハンカチをあたふたとしまい、私が首から提げている豆絞りで涙を(ぬぐ)う。口調はぶっきらぼうなのに周平の手つきは優しかった。


「とことん我慢して、いきなり泣き出す。――子どものころと変わらない」

「え?」


 今何と――問い返そうとしたとき、周平は私の左腕を放し、振り返った。


「久しいな、嵐太郎さんよ」

「弟くんの恋人に狼藉とは、感心しないね」

「この女はオレの――まあ、いい。それより、川向こうのガキから聞かされた話とずいぶん違うようだ」

「白梅の大巫女を寄こせと脅しをかけたら代わりに『島』の生き残りを差し出したとかなんとか?」

「――そんなところだ」

「周平くん。五木くんと僕らがどうやって川向こうさんに捕まったか、詩織ちゃんがある程度明らかにしてくれた。――幻覚剤の一種らしい」


 嵐太郎の話にひととおり耳を傾け、


「根拠は薄い――いや、白梅の、アンタが嘘をついていると思っているわけじゃないんだ。ただ、川向こうのガキが異能者じゃないというのは――なるほど、そう仮定すると却ってすっきりするか」


 周平は腕組みをして考えこんだ。


「オレはさっき、川向こうのあいつから連絡を受けた。弟を確保したから会いに来い、と。ヤツの話しぶりから白梅のがネズミを売り渡してすぐなのかと思いこんでいたんだが――ヤツがネズミを確保したのは昨日今日の話じゃないんだな?」


 周平の表情が目に見えて曇った。


「手に余ったか――」


 そう呟いた周平が、見上げる私に気づき、愁眉を開いた。


「アンタらの話を先に聞いておいてよかったかもしれない。オレは様子を見に行ってくる」


 私も――そう口を開きかけたが、制された。


「駄目だ、白梅の。ここで待ってな。アンタは役に立たない、きっと。それに白梅の、ネズミ自身が選んで出て行った、そういったな」


 縦長の瞳孔に突き放すような酷薄な色が戻ってきた。


「――アンタも待つことを選んだわけだ。筋を通せ」


 周平は私が首から提げている豆絞りの手拭いをすっ、と手に取った。


「代わりにこれをもらって行こう」


 そして嵐太郎が手刀で作った結界の切れ目から外へ出て行った。



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