第十三話 乙女(一)
乙女と名乗る人は誰が何といおうと断固として乙女だ。乙女扱いをしなければならない。
もしかしたら白梅荘の賃貸契約書に年齢やら本籍地、職歴学歴賞罰履歴、スリーサイズ、趣味などなどの個人情報が載っていたかもしれない。いやいやいや、載ってなかった気がするよ。仮に万が一まかり間違って載っていたとしても初日の署名捺印わんこそば状態ではじっくり契約書を読む時間などなかった。
いったい何がいいたいのか。あっという間に親しくなったわりに私は白梅荘の乙女たちのことを知らない。その最たるものが年齢というわけ。理沙嬢は初日に十六歳だと教えてくれたが他の乙女が何歳なのか、さっぱり分からない。普段暮らす分には年齢を意識しなくてもやっていけるんだけど、それでもたまに気になることがある。
乙女たちは親切で仲良しで私もすぐに白梅荘に馴染めたんだが、だからといって乙女の関係がフラットかというとそうでもない。意外なんだけど上下関係が存在する。この上下関係というのが年齢とあまり関係なさそうなのだ。
白梅荘の乙女の中でいちばん年上なのはどう見ても真知子さんだ。矍鑠としているけれどふわふわ銀髪のおばあちゃんだし。次がお久さん、みちるさん。このふたりは初老。そしてこの人のことを乙女と呼ばわるのは今以て抵抗大なんだけどケイさん、この人は中年といっていいんだろうか、とにかく若くない。五十歳は超えてないけれど四十代半ばは過ぎているように見える。そして私が三十五歳、理沙嬢が十六歳。
年齢がそのまま序列になるならいちばん偉いのは真知子さんということになるだろうけれど、どうもそう見えない。真知子さんがへこへこへりくだっているということでなく、城下・ロッテンマイヤー(仮)・みちる弁護士に貫禄がありすぎるのだ。みちるさんはごく自然に乙女たちのリーダーを務めているように見える。
――ほんとは見た目よりずっと年寄りだったりして。
冗談でもそんなことをいえそうな雰囲気ではない。
乙女の上下関係が何で決まるのか、これはすぐに謎が解けた。白梅荘で暮らした年数、つまり乙女歴によるものなのだとか。みちるさんは子どもの頃からずっと白梅荘で暮らしていて断トツで乙女歴が長いのだという。
「昔はね、子どものうちに預けられることが多かったのよ」
「へえ、そうなんですか」
そんな会話をしている私たちは今どこにいるか。みちるさんのお部屋です。どっしりとしたデスク、本棚にぎっしり詰まった難しげな本、カーテンやカーペット、ソファまですべて古めかしい。その時代を感じさせるソファのぼこぼこの座り心地に耐え、私は縮こまる。初老美女がむっつりと黙りこんでいる。正直、ソファのぼこぼこより不機嫌メガネ化したみちるさんの発する圧のほうが精神的にきつい。しかし私は待つ。正面の初老美女は地球上の生物が五十回大絶滅を繰り返したのを眺め続けたかのような不機嫌顔でゆっくりとポットを傾けカップにコーヒーを注いでいる。
香り高い湯気の立つカップを私に差し出してみちるさんは不機嫌顔をさらに顰めた。
「しまった、茶菓子の用意がない」
「おかまいなく」
「そう?」
向かい合って座りカップを口に運ぶ。熱いコーヒーは穏やかで深みがあり苦みが丸い。豆を惹き湯を注ぐ大きい人の丁寧な仕草が見えるようだ。喉を滑り落ちる香り高いコーヒーに感じ入りつつ私はため息をついた。
――気まずい。
今、口もとのカップを両手で支え視線を黒々とした液体に据えた状態で私は固まっている。目を上げられない。なぜならばびっしびしばっしばしばっきばきに視線を感じるからである。ガン見とかしげしげとかまじまじとか、そんな生やさしいものじゃない。眉毛とか睫毛とか髪の毛とか見られている顔面の毛が視線でハゲそうだ。そういえば先日封印が解けた記憶によれば乙女ってのは異能をもつ人々らしいじゃないか。もしかして視線で毛を滅するハゲ散らかしの異能とかあったり……無事なのか、私の顔面の毛。
もわもわと立ちのぼるコーヒーの香気に顔が蒸されそうなくらい固まっていただろうか、みちるさんが口を開いた。
「あなた、ほんとうに乙女なんですか?」
「へっ?」
顔を上げて私はまた固まった。
目の前に知らない女がいる。
姿は寸分違わずみちるさんのままだ。しかしじっとこちらを見据える目に深遠と混沌が宿る。
「確かにおやかたさま――先々代さまとよく似ていますが……厳密には乙女とは……」
ちょっと待って、今さらまた薄皮問題を持ち出すつもりじゃないでしょうね。なくしちまった薄皮はどうしようもこうしようもないんだよ、まったく薄皮一枚になんでこんなにこだわるかな。
そんなことより目の前の不思議だ。
――誰?
みちるさんの姿をした知らない女の瞳に青い炎のようなものがちらりと揺らめいたように見えた。女が手もとのカップに視線を落とす。
「おいしいわね。――ところで元気がない乙女がいるんだけど」
再度顔を上げたとき、目の前にいるのは知らない女ではなかった。ほっとする私に怪訝な顔をしてみちるさんは眼鏡の奥の目を気難しく細めた。
「ケイちゃんと何かあったの?」
「ええ、まあ……」
みちるさんは片眉をぐいっと上げた。「それで?」と促された。圧力がさらに強まった気がする。しかしどこから何の話をすればいいのか分からないし、話をするのがはばかられることもした。私は思いきり話を端折った。
「私、その――ケイさんに『触らないで』っていっちゃいました」
「さわらないで?」
みちるさんはきょとんとした顔をして首をかしげた。そして苦笑いした。
「ああ、痴話喧嘩ね」
「違いますから。全然正解じゃありませんしこれっぽっちもかすってやしませんし、違いますから」
あはははは。みちるさんは大笑いした。
「折を見て仲直りしちゃえばいいんじゃない?」
痴話喧嘩の件(違うと主張したんだが薄皮問題と同じくこれもスルーされた)はお久さんや理沙嬢が気にしているから訊いてみただけだとみちるさんはいった。ちなみに真知子さんは
「恋にはね、山もあれば谷もありましてよ。どん底からの盛り上がりが楽しみですわ」
とおっしゃったのだとか。観察されてるのか、私。道理でみょうちきりんな視線を感じるわけだ。ないない。あるわけがない。盛り上がりラブ展開なんぞ。なんかね、こっちばかり盛り上がっちゃってあちらはただなついてるだけって感じでラブ的な何かは期待できない気がするよ。なつき方が激しいけども、うなじ目当ての変態さんだし。




