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白梅荘顛末記  作者: まふおかもづる
終章

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137/141

白梅


 私は死ななかった。

 一命はとりとめたものの、火傷と後頭部やら何やらの怪我で数日昏睡状態に陥り、冬の間入院して治療を受けた。滅魂丹の後遺症もあるので面会謝絶にしてもらった。何と説明したものかと思ったが、医者をはじめとした病院のスタッフは妙にものわかりがよくて、話をするのも億劫(おっくう)な身としては助かった。

 私はもうハイブリッドチャイルドどころか、ハイブリッドコードキャリアですらない。このことが余命にどう関わってくるのか、結局のところ分からないままになりそうだ。



 そして真知子さんが亡くなった。息を引き取ったのは春まであと少しの冷えこみの厳しい朝だった。穏やかな死に顔だったという。


――次の梅の花は見るつもりでおりますのよ。


 いっしょに見たかった。梅の花を見るたびに、その香りをかぐたびにきっと、後悔する。一生後悔しつづける。

 白梅荘の最後の当主として、引退した乙女である真知子さんを見舞うのを遠慮した。だから、最後のお別れもできなかった。そうして不義理を重ねたからお葬式にも行けない、そう思ったのだけれど真知子さんの部下だった男性が


「せめて通夜だけでも。お願いです」


 と迎えやら何やら用意して拉致しかねない雰囲気でいい募るのでお焼香にいくことにした。



 今の私はもう守人の館の当主でも、白梅荘のオーナーでもない。

 勢田さん夫妻とあらかじめ打ち合わせたとおりに譲渡手続きが終了し、白梅荘はマルカワカンパニーの社有地になった。結婚式場にリフォームするプランなども提案しておいたが、譲渡した以上どう使ってもらってもかまわない、それもいい添えてある。理沙嬢の弟くんが書き散らした「はげ」の落書きもそのままにしてきた。消すも残すも自由だ。まあ、消すんだろうな。

 だから真知子さんの通夜に参列するにあたり、忌みごとを避けるのなんのと遠慮することもない。ただ「当主やめました」などと喧伝してまわるわけにもいかないのでこうして弔問客にまぎれてこっそり参列することにしたのである。


 この手のセレモニーで盛況という表現が妥当かどうか分からないが、とにかくすごい。川原家の菩提寺は人であふれかえっていた。受付もお焼香も長蛇の列で、誰も私が旧白梅荘の当主だとは気づかない。お焼香のときに理沙嬢を久々に見た。疲れやつれた表情ながら、亡き人との最後の日々がうかがえる凛とした美しい姿をしていた。お辞儀をしたとき目が合ったけれども、当然言葉を交わすことなどできない。異能を失った私は理沙嬢の目の色を読むことができない。けれどかつての乙女を目にして万感胸に迫った。



「あ、あの……しら――」


 通夜ぶるまいを遠慮して寺を出たところで呼び止められた。つい無視しそうになってしまったが相手は石部少年だった。寺の敷地を出て、多々良が浜駅への近道となる住宅街へ少し入ったところまで少年は追いかけてきた。


「もうあそこには住んでないんでね、その名前で呼ばないでいただけるとありがたいです」

「でも、しらうめさま」


 だからやめれっつうの。まあ、仕方ないか。私の名前なんて知らないだろうし。たそがれ時の静かな住宅街に人影はない。聞き咎める者もいないだろう。


「久しぶりですね。また大きくなりましたか」

「はい」


 はにかむ様子が子どもらしく、そして相変わらず礼儀正しい。身長は百八十センチくらいありそうだが。


「あの、しらうめさま、――五木さんとは会わないんですか」


 白梅を追いかけるために周平とともに白梅荘を出たあの日、抜き針の儀式以来、ケイさんとは会っていない。


「ええ、そのつもりです」

「――そんな」


 少年よ、なんできみが涙ぐむの。おっさんとおばさんのことなんだからきみに関係なかろうよ。


「ご用がそれだけでしたら私はこれで。おげん――」

「しらうめさま」


 出たよ、多々良が浜ネイティブ得意の発言遮断。ほんとこれ、私に対してだけなの? それとも誰に対しても遮断しちゃうの? すごく気になる。最後まで気になる。


「あの、その、――理沙ちゃんから」


 少年がうつむく。街灯に照らされて睫毛(まつげ)がすべらかな頬に長く影を落とす。


「しらうめさまが、『ただ好奇心を満たすだけの恋をしてしまっていいのか』とおっしゃったと、聞きました。僕、――」


 言い淀む。少し苦しげな表情になったのが気がかりだ。


「それまでただ理沙ちゃんのこと、かわいい人だなって、特別な女の子なんだなって、思ってました。僕、――その、――たぶん、『好奇心を満たす』ためだけに走りはじめていたと思う」


 少年の声が小さくなった。彼は自分の抱く恋心が劣情だと思い、恥じているのだ。


「そんなに自分をせめ――」

「しらうめさま、僕、――理沙ちゃんのことが好きです」


 少年がまっすぐに私を見つめる。


「そう。理沙嬢はいい子ですよ。そして、石部くん、あなたも」

「はい、ありがとうございます。――理沙ちゃんの気持ちも知りたいけど、僕自身の気持ちもちゃんと自分で理解したい。時間がかかるかもしれないし、もしかしたら僕たち、気持ちが変わってしまうかもしれないけど、それでもお互いの心にあるのが何なのか、知りたいと思うんです」


 照れもなく、まっすぐに決意を表明する少年の姿はまぶしい。初恋は特別だ。釣り合いだとか思惑だとか、そんなものと無縁にただ惹かれあう。そういう恋はまぶしい。


「あなたの納得のいくようになさい」


 少年の表情がぱあっと明るくなった。


「はい。――理沙ちゃんがいってたとおりだ」

「え?」

「しらうめさまなら、しおちゃんならきっと『自分で考えて納得のいくようにしろ』という、と」


 弧を描く眉、やわらかな輝きを宿す瞳、花びらのような唇。美しく愛らしいかつての私の乙女。あの狂おしいほどの渇きも喪失感も遠くへ行ってしまった。ただただ親しみと愛おしさが心を満たす。


「あの子を、理沙嬢をよろしくお願いしますね」

「はい」


 少年がふわりと微笑み返す。



 お辞儀を交わし、住宅街のど真ん中で少年と別れた。

 日が暮れて、辺りはもうすっかり暗い。今夜は二十三夜だから、月が昇るまでまだ時間がある。

 振り返ると、少年が見送っている。またお辞儀を交わす。

 礼儀正しいことだ。そう思ったのだがふと、気にかかった。なんかおかしくないか。このまま駅へ近道していいものだろうか。嫌な予感がする。住宅街の曲がり角で駅に向かうふりをして路地に身を滑らせた。


 街道へ出てバスに乗って隣の駅へ行こう。そうしよう。

 そう思ったんだが、すっかり忘れていた。外れに位置するとはいえ首都圏だと甘く見ていた。多々良が浜は田舎だった。停留所に辿り着いたときには最終バスが去った後だった。


「夜が早過ぎるよ、まったく……」


 仕方なく駅へ戻ることにした。街道をとぼとぼ歩く。自動車が行き交うほかは静かなものだ。こうしてずいぶん歩いているが、歩行者はひとりも見かけない。

 夜になったというのに、すっかり春めいて暖かい。海は離れているはずだがふわり、と微かに潮が香った。

 一年にも満たないここ多々良が浜での暮らしを、私はきっと一生忘れない。いい街だ。この街道を理沙嬢や小梅、そして大きい人と一緒に歩いた。もうあの日々を取り戻せはしないけれど折に触れてきっと、あのあたたかな日々を私は思い出す。


 ぼんやり歩いていたからか、気づいたら白梅荘の前の路地を歩いていた。身体が覚えてるんだなあ。困ったもんだ。未練がましい。街灯のぽつりぽつりと灯る路地を歩く。

 ふと、立ち止まった。

 ガレージは固く閉ざされ、垣根をなしていた灯台躑躅(どうだんつつじ)は撤去されて塀に代わっている。台風の日の痕跡はない。月日を経てお久さんを失ったことと喪失による憤り、痛み、渇きはひりついた生傷でなくなっている。これからさらに遠くなってしまうのだろう。そう思うと心が重く疼(うず)く。でもおっとりとした細い目、やわらかい笑みを浮かべるお久さんの姿は、心の静かに凪いだ場所で私をあたためる。


 松並木の続く路地を抜ける手前に白梅荘の門がある。扉が開いていた。

 古くても堂々としたたたずまい。和洋折衷だがミックスしたもの特有の雑多な感じはなく溶け合うように調和している。そして門から建物をつなぐ庭はみちるさんが丹精していた頃のままだ。冬枯れの芝生が錆びて古びた印象を補強しているが、無造作に配された草花が玄関脇の梅の老木へと視線を導く。節くれだった老木にはこぼれんばかりに白い花々が咲いていた。ふわり、と風に乗って梅の香りが門脇にまで漂う。

 しばらく立ち尽くし、白梅を眺めた。

 真知子さん、今年も白梅が咲いたよ。私たちはもうここにいないけれど、ちゃんと咲いてるよ。

 さびしいような、うれしいような気持ちでまた私は歩きはじめた。

 ゆるゆると坂を上る。途中で振り返った。街道を少し外れただけで車の行き来する音が遠ざかる。海は暗闇に沈み、見えない。



 坂を上り切って辿り着いた人気のない駅前、ごつい鎖で門扉がロックアウトされたままの勝手口の前に大きい人が立っていた。足の止まった私の前に大きい人がゆっくりと近づいてきた。


「ここで初めてきみと出会ったときのことを俺は覚えている」


 そしてことばを失う私を長くあたたかな腕で抱き寄せた。考えないようにしていたのに。記憶どおりの親しげな日向のにおいが私を包む。


「俺は一目見てきみのことが好きになった。こんなふうに抱きしめたいと、今でなくていい、いつか強くと思った。そして――そうしなかったことを何度も後悔した」


 大きい人は身体を少し離し、私の顔を大きな両手で挟んだ。あたたかい。

 駅舎の灯りが消えた。

 あたたかく大きい手、その親指が軽く私の頬、唇を撫でる。見上げる私としばらく目を合わせた後、ケイさんは口を開いた。


「疲れきって心細そうで、でも凛としていて美しい。きみはあのときと何も変わらない。変わってない。一年前と同じだ」

「でも……もう力を失ってしまいました」

「それも一年前と同じだ。あのとき、きみの力は目覚めていなかった」

「何も変えられなかった。ただ滅ぼしただけだった。祖父が定めたとおりに」


 みんないなくなってしまった。私がこの地に来なければ、運命に抗えば一年前と同じようにみんなまだ白梅荘にいたかもしれない。何度も何度も繰り返した後悔が私を揺さぶる。


「そうだろうか。何もかも、大吾さんの思い描いたとおりになったんだろうか。――俺はそう思わない」


 大きな掌から私の頬にじんわりと熱がうつる。この一年ですっかり馴染み、そしてあの日以来遠ざかっていたぬくもりが心を溶かす。私は頬を包むあたたかな手をほどき、大きい人と距離をとった。


「それに私、あなたにあんなことを」


 こらえきれない。涙があふれ出る。


「そうだな。何をしてもかまわないといった手前、きみを責められないんだがあれはもう勘弁してほしい。置いてけぼりはいただけない。真知子さんの秘書といっしょに迎えに行ったのに滅魂丹の副作用で気絶、きみの看病をしたかったのに病室に近づいたら滅魂丹の副作用でまた気絶。ほんとうに酷い目に遭った」

「ごめんなさい」

「しかも会いたくないと言伝された。今日もこうして俺を避けようとした」

「……ごめんなさい」


 大きい人はため息をついた。


「きみは時々、ほんとうに強情になるな。――詩織。ご褒美をもらってない」

「え?」

「祟り神文書解読のご褒美。まだもらってない」


 ああ、うなじか。なんだかこのタイミングで要求されるとがっくりくるがもうどうでもいい感じだ。


「どうぞ」

「なんで首出すの?」

「え? ――だって、ご褒美ってうなじ……」


 もしかしてこの二ヶ月でうなじフェチという変態性癖を卒業したのだろうか。抜き針の儀式のときに憑きものが落ちたように変態じゃなくなったとか? あのとき手が滑って脳に損傷を与えていなければいいのだが、そういうミスをした覚えはない。


「何をいってるんだ、詩織。きみの美しいうなじを愛でるのは俺の権利であり義務だ。ご褒美じゃない」


 呆れた。「権利であり義務」ってなんだよ。この二ヶ月でより度し難い変態になっている。しかも私を呼び寄せたり足止めしたりするために真知子さんの元部下や石部少年まで使うなんて、度し難いだけでなく用意周到な変態になり下がった。


「――なんだか心の距離がより開いてしまったようなんだが気のせいか」

「気のせいではありません。――で、ご褒美って何が欲しいんですか」


 大きい人は私の目もとに何度も口づけた。熱い息と心もとないくらいやわらかい唇。そして再び私を腕の中に囲うと、遠慮がちにぎゅう、と抱きしめた。


「白梅はいない。――ということはもうきみが傷ついても治してくれるものはいないということか。で、これだけ経てばもう滅魂丹は残っていないんだな」

「……ええ、おそらく」

「俺も、――滅魂丹でハイブリッドコードを滅してしまいたかった」


 実年齢が百歳を超えるこの人がハイブリッドコードを失ってしまったら、私の知らないところでこの人を急激な老化が襲っていたら――。

 ぽつり、と離れたところにともる街灯ひとつでは表情の細部まで確かめることができない。身のうちで恐怖が急激にふくらみ、出口を求めてがたがたを私の身体を揺さぶった。


――だいじょうぶ、だいじょうぶ。


 ケイさんの大きい掌がわななく私の背中を上下する。


「なぜきみがあんなことをしたのか、分かっている。あのおそろしい薬物でハイブリッドコードが解除されれば、俺の体内時計が一気に進んで急激に老化する。そして何より白梅の契約錠が俺の中にあればきっと滅魂丹の材料に、と川向こうの連中に狙われてしまう。だからきみは抜き針の儀式で俺を遠ざけた。俺のためにそうしてくれたのだと、分かっている。――詩織」


 低く丸く艶やかな声が震える。


「きみと俺は、違う。姿形も生まれ育った場所も時代も、今では人種さえ。――つらいか」

「ええ、とても」


 感覚を共有できていたときでさえ、違いを乗り越えられなかった。あまりに異なる感覚に驚くばかりで理解に到達する道のりが遠い、その事実を突きつけられただけだった。


「とても、つらい」

「きみと俺が完全に同化すれば、俺たちは理解し合えるんだろうか」


 それは違う。


「俺はきみとの違いを乗り越えたい。――獣である俺をきみが認めてくれて、理解しようとしてくれたように」


 浅黒い肌にくっきりと刻まれた笑い皺。厚い唇に太く猛々しい鼻すじ。白髪交じりの硬そうな髪がかかる垂れ気味の眉。


「ずっといいたかった。――詩織、愛している」

「私も――」


 切れ長の目に宿る光が揺れる。力強く美しい、私の獣。


「愛している」


 私と違う時を生き、違う感覚で世界の美しさを知る人。どんなに時を重ねても、身体を重ねてもきっと、私たちはひとつになれない。それでも私はあなたのことを知りたい。理解したい。だから私はあなたと隙間なく固く抱き合う。



「――ところでご褒美の件なんだが」

「なんでしょう」

「俺と一緒に旅をしないか」

「どちらへ?」


 ケイさんが手を差し出した。


「きみの行きたいところへ、どこでも。何だったら、行きたいところを探す旅でもいい」


 きっと後悔する。いつかこの人を置いて先に逝かねばならない。分かっている。それでも私はあなたと、誰のものでもない私たちの道を行く。

 ふ、と梅の香りがした。空の端から月がのぼってきている。あたたかな掌に手を重ね、私は大きい人とともに歩き出した。




                       (了)





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