第三十五話 虎落笛(十六)
痛い。熱い。痛い。
日が傾き、空気が冷たい。それなのに、身体が燃えるように熱い。あの陋屋から離れなければ。少しでも遠くへ。
「――く、うう」
枯野に倒れこんだ。一緒に倒れた白梅が私の頬を撫でる。もう動けない。
ず、ずず……ずずず……!
鈍い地響き、轟音とともに陋屋から火柱が上がった。
「はは、はははは……」
「よこせ、よこせ……! 折るな、契約錠を壊すなああああッ」
炎の中から声が聞こえた。そんな気がした。
「おやーたしゃま、痛く……ありませんか」
腕の中の白梅がぼんやりと私を見上げている。萎び痩せこけてしまった白梅のおかっぱ頭が真っ白になっている。点々としみの浮いた肌に皺が寄っている。明るい場所へ出たため、あの青い粒子がどのくらい漏れ出ているのか分からない。
「私はもうよいのです。――せっかく知恵者に似た姿になったのにあまり見せてあげられませんでしたね。すみません」
後頭部の肉の花も、触手も、爛れて抜け落ちてしまった。それだけではない。こうして目を合わせていても、白梅の感情の動きを見て取ることができない。精神干渉の力を、ハイブリッドコードを失ったのだ。滅魂丹はまだ身体の中で暴れ回っている。痛い。熱い。痛い。それはきっと、こうして滅魂丹の成分を発散する私の傍らにいる白梅も同じだ。
背後で陋屋が崩れ落ちる。炎が大きくなる。
「白梅こそ、――痛くありませんか」
「いいえ。あつい、です」
ぼんやりと私を見上げ力なく微笑む白梅の目に青い炎が揺れる。
青い炎に見えるそれは、あの粒子なのだろうか。もしかしたら暮れてゆく空の濃藍が映ってそう見えるのかもしれない。
「白梅が眠っている間の、――小梅の記憶に、ひときわ楽しくきらきらしたものがございました。金ととしゃんの浴衣に紅い帯――」
――後ろへ、前へ。
――すらり、すらり。
――よいよいよいよい。
――どどん、ぱ。
「踊りをがんばっていると、おじちゃんが雲をつかまえて、わたあめをこしらえてくれるのです。久しぶりにみんな揃ったあの夜もあつうございました――」
「ええ。ほんとに、あの夏は暑かった」
「小梅はわたあめがことのほか、気に入ったようでした。でも白梅はあの記憶の中の――」
――いちご、メロン、レモン、ブルーハワイ。
――色とりどりのかき氷。
「かき氷が気になります。どんな味がするのでしょう」
「冷たくて、甘くて、おいしいですよ」
背後から火の粉が飛んでくる。涙がぼろぼろとこぼれてしまい、ことばにならない。こうしている間にも白梅は小さく、乾涸びてゆく。
「あまい……食べたいです。つめたい、かき氷」
「夏になったら、食べに行きましょう。だから――」
逝かないで。私を置いていかないで。
「――おやーたしゃま」
「なんでしょう」
白梅の呼吸が乱れる。大きく上下する胸から弾けるように青い炎が現れた。
「おやーたしゃまが、おやーたしゃまで、よかった」
「ありがとう、私の乙女。――ありがとう、白梅」
私の最後の乙女は美しい。私を見上げやさしく微笑む。青い炎はあっという間に広がって白梅の身体を包んだ。初め青かったその炎は白く変じて激しく白梅を、そして私の視界を灼いた。
熱い。痛い。熱い。枯野に火がまわる。
――詩織。
意識が薄れていく。そんなはずないのに、大きい人が私を呼ぶ艶やかな声を聞いたような気がした。幻でも嬉しくて、だから私は微笑んでいたと思う。




