第三十三話 虎落笛(十四)
あ、あ、あ、と川向こうの盟主がわななきながら土間へ降りてきた。
「――どういうことだ。大巫女……大巫女は連れてこなかったんじゃないのか」
「繰り返し再生し六百年生き続ける白梅の大巫女は、この子どもだ」
「そんな、そんな……じゃあ、わたしは」
「お前が契約錠を抜き出す道具だと見なす私と契約錠を持つ最後の乙女を滅魂丹で壊した。――お前がやったのはそういうことだ」
「そ、そんな馬鹿な……知らない、知らないぞ、そんな話は」
土間に降りた男がうずくまり頭を抱える。
「――どうしてうまくいかない、どうしていうことをきかない、なぜおまえらはいつもいつも――」
再び立ち上がった男は懐から取り出したナイフを構えていた。陋屋の乏しい光の中にあっても刀身が不穏に閃く。
「――おやーたしゃま」
「だいじょうぶ」
本当は大丈夫じゃない。あれは刺されたら痛そうだ。でも白梅をあんなもので切り刻ませはしない。
ふるり、と頭を振って後頭部の肉の花を開き、放射状に探索子の触手を展開した。ぎしぎしと左腕の奥が疼き軋み、体内を走る痛みが一気に増し暴れ出す。そして開いた触手にじわりじわりと痣が浮き出した。あまり時間をかけられない。こめかみを汗が伝う。
「おやーたしゃま」
白梅の瞠った目の奥に青い炎が揺れている。
「――おやーたしゃま、知恵者と同じお姿……、ハイブリッドチャイルド、おやーたしゃまはハイブリッドチャイルドだったのですか」
「見えますか、これが。最近まで私も知らなかったのですが、そうらしいのです。いえなくて申し訳ない」
「やっと、やっと播種計画がここまで……、あっ!」
白梅を抱え、ナイフを避ける。相手には見えていないようだが触手が一本、斬り落とされた。
「――く、うう」
熱い。斬り落とされた触手と、体内を蝕む滅魂丹の痛みに目が霞む。腕の中の白梅が私の胸もとにぎゅ、とすがりつく。白梅の身体が熱い。小さい身体から青い粒子が盛んに漏れ、私の触手に取りつく。浮き出る痣を、斬られて熱く痛む傷口を粒子が輝きながら癒す。そして光を失い落ちていく。
「おやーたしゃま」
「白梅、――大丈夫ですか」
「なんの、これしき」
皺が増え、しみが広がり、幼子の姿のまま白梅は腕の中で、私の身体から発散される毒のせいでどんどん老いていく。それでも深遠と混沌とを宿す目が力強く青く輝く。ありがとう、とはいえない。まだいえない。
「――いきますよ」
「あい」
眉を顰め、力の入った表情をした幼子の身体からよりいっそう多くの青い粒子が放たれる。
痛い。身体の奥がちりちりと、左腕の奥がじくじくと、そして後頭部から伸びる無数の触手がじわりじわりと痛む。白梅の主として得た治癒能力に加えて今、白梅自身の生命の維持を放棄してまで治癒支援をしてくれている。でも痛みは消えない。滅魂丹の成分が私を、そして白梅の体内のハイブリッドコードをどんどん組み換え、解除してゆく。代謝が高まる分ハイブリッドコードの解除の、白梅の老化のスピードも目に見えて上がっている。私の生命力の限界がどこまでなのか、さっぱり分からない。でも今はまだ動ける。
目には見えないのにナイフに触手を斬り落とした手ごたえを感じたためか、川向こうの盟主が「ひいいいい」と半ば泣き出しそうな、笑っているような奇妙な表情でたたらを踏んでいる。
「な、なんだ、何なんだこれはッ……ああッ!」
川向こうの盟主の四肢に触手を巻きつけ、土間の床に引き倒した。身動きが取れないようぎりぎりと締めつける。しかし男の手からナイフを奪い取るまでには至らない。触手に十分な力をこめることができないのが悔しい。
それでも白梅が懸命に治癒支援してくれている。青い粒子が私の触手に群がり、ぼんやりと光を放つ。その粒子の放つ光で触手の形が浮かび上がった。ここへきてようやく川向こうの盟主は自分を拘束するものの正体に気づいたらしい。
「し、白梅のご当主、頭からなにか生えて……あんた、化け物か……!」
「何を今更。我らハイブリッドコードキャリアをあれほど化け物呼ばわりしていたくせに」
私の身体もそろそろ限界だ。身体の内部を不快な感触と痛みがじりじりと灼き、暴れまわる。川向こうの盟主の心の中に潜ませ記憶や心の動きをうかがっていた探索子を解いて捨てた。このコントロールを放棄すれば時間が稼げるはずだ。
もう少し、もう少しでナイフを奪える。男の右腕に巻きついた触手に特に意識をまわしてぎりぎりと縛り上げ、締めつける。もう少し。脂汗がこめかみを伝う。
ぬ、と陋屋の入口に影が差した。
ぞぞぞぞぞ。体が悪寒で震える。不穏な気配。背が高く細身で、大切な場所に置いてきた大切な大きい人と少しだけ似ていて、まったく違う人。
「む、村尾――!」
身をかがめ、陋屋の入り口をくぐった周平が床に縫いつけられもがく川向こうの盟主のほうへゆっくりと顔を向けた。ぼんやりとした目、縦長のスリットだった瞳孔が大きく黒く虚ろに開いている。
「まずわたしの子を産ませてからと思っていたが、もうあの女は役に立たん。村尾、あんたにくれてやる。――だから、村尾ッ、わたしを助けろ、早くこの気持ち悪いものを外してくれッ」
周平が振り返った。おぞましく、饐えた気配。陋屋の暗がりの中でもかすかに光を放つぬらぬらとした肌。その発光する皮膚が浮き上がり、目が、虚ろに開いた瞳孔が影に沈む。意志を奪われているのだろうか。もしかして私の身体から発散される滅魂丹の成分で。
一歩、一歩。周平がこちらに向かってくる。触手の一部を振りまわして攻撃するけれど周平の動きを止められない。腕の中に囲っていた白梅を背後に隠す。
「周平さん、引き返してくださいと申し上げましたのに」
返事はない。そのまま壁際まで追い詰められた。頬に生臭い息がかかる。ぞぞぞ、と悪寒が走る。警戒するように周平の肌が激しく明滅した。
「周平さん、離れてください。私から滅魂丹の毒が――」
ゆっくりと、しかし容赦ない力で周平は私を壁に押しつけ、左腕を掴み、ねじり上げた。触手で殴られ刺されても、朽ち縄の治癒支援で瞬く間に傷が塞がるからか動じない。周平に握り潰さんばかりに掴まれた左腕の奥でぎしぎしと契約錠が軋み、震える。
「――周平さん、すみません」
記憶の中からデータを取り出す。朽ち縄の契約錠の固有振動数に合わせ、拘束されていない右手で周平の肩に衝撃波を叩きこんだ。朽ち縄が察知し防御壁を展開するより早く、肩の中の契約錠に波が届いた。砕ける。
きん……!
朽ち縄の契約錠は白梅のそれと違う音がした。




