第二十二話 虎落笛(三)
だからなのか。「島」では内乱が起きた。
当時起きた政治情勢に乗じたかたちだから、外部から見ればひっそりしたものだったろう。不満を持つものが制度を改め、「島」の歴史もまた記録そのものを丸ごと書き換えることになった。これが二度目の改変だ。
二度目の改変は初回のそれとは比べものにならない規模で行われた。古い記録が見直され、一部廃棄されたりもしたらしい。権力構造の変化に伴い、歴史も改竄されたというわけだ。
消えた歴史に生きた人々を存在しなかったことにしてしまう。歴史を書き換えるというのはそういうことだ。だから初回改変も、第二回改変も、消し去られる側の人間が歴史を保存しようとする。当然だ。誰だって生きた証を残したい。忘却の海に呑みこまれまいと足掻いた痕が文書を紐解く者にそう訴える。
私たちがどうしてこれを知ることができたかというと、第二版にあたる記録が祟り神文字で写されていたからだ。
「初回改変時点で祟り神文書は聖典扱いされてほとんど開かれることがなかったんだと思う」
ケイさんが「島」で暮らしていた頃のことを思い出しながらいった。第二回改変時に旧家令集団の中に、写本に古色をつけて祟り神文書に紛れこませれば記録を残しておけると考えた者がいたのだろう。
「ケイさんはどうして祟り神文字を読めるんですね」
「母が昔の家令家の出身だったからだ」
気になっていたことを質問してみた。
「『島』で記録や祟り神文書を読んだことがあったんですか?」
「いや、ない。教材も特になかった。絵本や新聞を祟り神文字に翻訳する訓練を折に触れてしていただけだ」
ケイさんを拠点の外へ婿に出すこと自体は生まれてすぐに決まったのだそうだ。
「だから機密保持のために記録を見せないことにしたんじゃないかな」
「でも、祟り神文字は読めたんですね?」
「母からすると俺の他に伝えられる子孫がいなかったからなんだろう。母の意図は分からずじまいなんだが、役に立ってよかった」
ゴージャスさんからその話は聞いてない。もっといろいろ話を聞けばよかった。後悔しても仕方ないけど。
第三版には気になる記述があった。調べてみると、切れ切れに配された裏文書を引き出せる暗号であるらしい。こうした特定キーワードによるその裏文書へのレファレンスが時代が下るにつれ増えるのだが、特に長の資質を持つ少女を見つけるのが困難になった近世以降、頻繁にある裏文書へのレファレンスが登場している。参照されている裏文書を苦労してつなぎ合わせてみると「滅魂丹」に関する記録ができあがった。
「ケイさん、この滅魂丹とかいうもののことは」
「いや、知らない。――あ」
「ええ、私もこの名前、聞いたことが」
蓮池で見た、ケイさんの記憶。
* * *
薄暗い手術室のような場所で、周平が顔色の悪い男の胸ぐらを掴み、揺さぶっている。他にも白衣を着た男たちが二人、キャビネットにもたれかかって気絶している。
「なぜ棺を暴いた!」
「半年以上放っていたんだ、そっちに用がないんだったら研究に……」
「頭蓋は……開けたのか、まさか開けたのか……!」
「何もなかった。ただ穴が開いていただけで。普通の人間と同じだった!」
「俺たちは悪くない。盟主様のいうとおりに滅魂丹の材料を……」
「どれだ、どれが千草なんだ! なんてことを……!」
刃物、顕微鏡、ランプがついた何かの機械、瓶に入れられた臓器、骨。
* * *
川向こうの盟主とやらの屋敷でケイさんが見た光景だ。
「滅魂丹……どこかで聞いた名前だと思ったら」
「詩織。もう一度、詳しく見てみよう」
滅魂丹。薬の名前のようだ。その製法を厳重に秘匿するようにと繰り返し書いてある。レシピは「島」の記録には見当たらない。しかし使いみちは書いてあった。効能は凶暴化の抑制。直接服用する場合はごく少量。手のつけようがないくらい暴れる場合は、対抗する者が多めに服用し、一定時間後効力が増した状態で凶暴化した対象者に近づくようにと書かれている。
「ケイさん、まさかこれ」
「川向こうの盟主……あの男が使った例の対ハイブリッドコードキャリア幻覚剤のことか。――『島』で作っていたのか」
ケイさんは呆然としている。
滅魂丹か。なるほど。長が空位になっている間、獣化異能者の凶暴化が手に負えない場合に使うのか。それならばケイさんが滅魂丹の存在を知らないのもうなずける話だ。獣化異能者の凶暴化を抑える効能があるのならば、ケイさんが生まれてから拠点崩壊までのおよそ三十年間は必要なかったというわけだ。なぜならその時期、母親であるゴージャスさんが管理者=長を務めていてたのだから。
そして、さんざん苦労してやっとレシピも発見した。そのレシピは祟り神文書に記されていた。処方の仕方、おおよその有効範囲、時間の目安。
「ケイさん、効能が『島』の記録と違っています」
「それにこれは……」
私たちはレシピを解読して言葉を失った――。
* * *
大広間の中はぼんやりと明るく暖かいが、外は風が強い。ひゅう、ひゅうひゅう、と遠くで風が鳴っている。調子の外れた笛の音のようであり、女の、あるいは子どもの泣き声のようでもある。
風の鳴る音を聞きながら、喪主として葬儀を執り行う大きい人を思った。肩と背中を丸め嵐太郎の死を悼む大きい人の様子は、滅魂丹の製法が記された恐ろしい文書を目にして打ちのめされていたあの夜の姿と重なった。




