第二十話 虎落笛(一)
五代前の当主だったという青年はあっという間に老けこみ、はかなくなってしまった。二百年も生きたその人の身体は長身だったのが信じられないくらい乾涸らびて小さかった。初めて会ったあの梅雨の日の、甘ったるい美しい顔、チャラチャラしている癖に隙のない、そして目に混沌と深遠とを宿したあの人と同じとは思えない変貌ぶりだ。でも嵐太郎の死に顔は穏やかだった。
まだ信じられない。
嵐太郎の不在を感じている。でも「寝坊しちゃった」とか「お散歩してたら寄り道したくなっちゃって」などとひょっこり顔を出しそうな気がする。
今日は嵐太郎の葬儀だ。嵐太郎は乙女ではない。だからその遺体を荼毘に付さなければならない。長く生きているとそんなにはっきりと死期を予感するものなのだろうか。生前、嵐太郎は色々と準備を整えていた。その手配にしたがって葬儀が石部少年の寺で執り行われているはずだ。嵐太郎はもろもろの始末にケイさんを指名していた。
白梅荘では忌みごとを避けるなどという昔の慣習も失われていていいようなものだがまあ、確かにケイさんは見た目が乙女っぽくない。だから忌みごとに関わってもよそからどうこういわれたりしなさそうである。近所の人々にも
「ああ、あのでっかい人ね。白梅荘に住んでいるみたいだね。お屋敷で何かの仕事をしているんじゃないの。乙女? ないない。だって大男が乙女って、ないない」
と思われている、そんな気がする。ほんとうは真知子さんなどは葬儀に関わるといけないような気がするが、こちらの乙女は
「わたくし書類だけの乙女ですし、半分以上棺桶に足つっこんでおりますし」
とシャレにならないことを口にして、喪服に身を包みケイさんと一緒に寺へ行った。
そんなわけで私は白梅とふたりで留守番している。嵐太郎が亡くなってから家事の代行も臨時で休みにしてもらったので人の出入りもなく、この広い屋敷に二人きりである。
白梅が憑依するボディは四、五歳程度、連日張りつめた気持ちで過ごしたのがこたえたか、熱を出してしまった。辛そうにしている白梅があわれで大広間に布団やら看病セットを持ちこんでいる。遠隔操作なのか、実験記録装置の一部が体内に入っているのか、どういうかたちの憑依なのかは分からないが、白梅の本体は憑依体の中でなくこの大広間の床下にありそうな気がしている。少しでも本体に近いところにいれば身体が楽になるのではないかと思ったのだ。
大広間は以前と同じように清掃の必要がないくらい清浄で埃の一粒もない、だだっ広い白い空間だった。鎧戸までぴっちり閉じられて日光が遮られているというのに、室内は電灯をつけずともほのかに明るい。これも以前と同じだ。でも何かが違う。何だろう。前と同じ白い空間なのに、何となく澱のような淀みが漂っているような気がする。
「おやーたしゃま、その……あの……」
驚いたことに、熱で頬を真っ赤にさせた白梅に抱っこをせがまれた。
「膝の上だと休めないんじゃありませんか? ……でもそのほうがいいんだったら、無理のない範囲で」
「あい、だいじょぶですのでおねがいしましゅ」
とうなずき、白梅は熱で潤んだ目を細め微笑んだ。
白い毛布にくるまった白梅を膝の上で横抱きにする。小さく細い。しかし頬や顎、手などが独特の幼子らしい丸みを帯び、ふくふくとしている。膝の上のしっかりとした重みと体温が愛おしい。
あの台風の日、お久さんが亡くなった日以降、小梅が意識の表面に出てこないのが気になる。見た目は当然小梅と変わらないが、目の色、雰囲気が違う。再生後しばらく、出てこられなかった分、今は憑依体の表に出続けているということだろうか。
前の代の憑依体人格であったみちるさんと白梅がそうだったように、私もまた白梅と背中合わせだ。背中を預けているといえば聞こえはよいが、私は白梅に後頭部の触手のこと、ハイブリッドチャイルドのことを話していない。白梅はあっさりと記憶の形になった白梅荘の記録を私に譲り渡したが、壊れたり抜けていたりする状態のよくないそれらについて語ろうとしない。
――このまま白梅の心に触れてみれば何か分かるんだろうか。
――もしかしたら白梅は、ちゃんと機能していないんじゃないだろうか。
脳裏をちらりと疑問が過った。なぜそんなことを思ったのか自分で自分が分からない。そんなはずがない。こびりつくようにまとわりつくその疑問を振り払う。
腕に載ったおかっぱ頭をゆっくりと撫でるうちに、白梅はうとうとし始めた。
「島」の記録と祟り神文書の解読記録は私の脳内にしまってある。文書の解読は大変な作業だった。並び順や参照の記号などが煩雑に攪乱された情報を丹念に拾い集めつなげていくとある情報が浮かび上がる。更にその情報が別の情報の暗号のキーになっている。ずいぶん念入りな秘匿の仕方に見える。
この厳重な情報の管理は古来のものではない。祟り神文書は拠点設立時のものをそのまま写したとされているが、「島」の記録文書は管理方法が変更された形跡が少なくとも二回分あるという。ケイさんによると最後の改変が百年以上前であるのは確からしい。その文書改変のタイミングが、「島」のトップやら人事制度の大きく変わる頃と一致していたのだろう。
「島」の管理者は異能者でなくてもよかったらしいが、女性であることはともかく、要求される資質やスキルが特殊であることが災いして単純に血統で管理できるようなものではなかったらしい。拠点のトップに血縁などの継続性がないとなるとなると自然、記録や機密の維持権限が他に移ることになる。
できごとは文字とともに記録されてはじめて歴史となる。そして正史として扱われる記録は常に為政者、あるいは権力を握る者の意向を反映する。国単位で俯瞰すれば一村落に過ぎない「島」でさえ例外ではない。
「島」の播種計画の目的が龍人の創造だったという史料は記録の二回目の改変以降、最新のバージョンに出てきた。
サブタイトルの虎落笛は「もがりぶえ」と読みます。冬の激しい風が発する笛のような音ことです。




