第十七話 冬ざれ(三)
私たちの感覚を共有する方法を嵐太郎が知っているとは思えない。しかし急激な老化を感じとって嵐太郎は私に「島」の記録と祟り神文書を託したのだろう。物理的なメディアに記録できなかったから嵐太郎と同じように私も丸ごと記憶した。
「文書を共有するかどうか、嵐太郎さんから任されています。どうしますか」
「……内容は」
「『島』の記録、祟り神文書、そして嵐太郎さんの解釈です」
いったん意識の接続を解いた。涙の痕が残っているが、ケイさんの目に現れる感情は凪いでいる。それでもちらりちらりと光が揺れる。見たことのない文書の存在を知り心が揺れているのだろう。
「どうしますか」
「俺も見たい。知りたい。祟り神文書は俺でないと解読できない。今となっては」
「私の脳内に保存しておいてもあなたでなければ読み解けない。そのとおりです。――分かりました。時間をかけられません。よろしいですか」
「かまわない」
「――身体に強い負荷がかかっても?」
「かまわない」
大きい人の目に迷いはない。
私は視線を合わせたまま、呼吸を整えた。感覚を共有する部分、隔離する部分を慎重に分ける。再び固く抱き合った。
「いきますよ」
「ああ」
大きい人が一度力強く唇を引き結び、そしてうなずいた。
「おいで」
ああ、私は大きい人が低い声で囁くこのことばが好きだ。しかしふやけた気持ちで臨むわけにいかない。
今回は今までのダイブや感覚共有と違う。共有する記憶のサイズが大きいこともある。圧縮し、擬似記憶結晶を作ってケイさんの心の中に持ちこみ、セノーテの壁面に埋めこむという方法も一度は考えた。
問題は、記憶のサイズが大きいことだけではない。時間がない。膨大な史料に可能な限り早く目を通してもらわなければ。嵐太郎の解釈も記憶として保存してあるが、ただ照らし合わせるだけではきっと足りない。さまざまな播種計画拠点を巡り歩いたという嵐太郎の意見を求めなければならないところが出てくるはずだ。
私の選んだのは、心の中で処理する作業を感覚を通じケイさんと共有する方法だ。
「島」の記録はともかく、祟り神文書は文字、言語が異なるから読めない。私は記憶となっている史料をイメージとして閲覧し、感覚を通じケイさんに読んでもらう。翻訳済みのものを再度記憶として受け取り、保存する。短時間で作業を終えるために閲覧、記憶の保存と同時進行で探索子をケイさんの心の中へダイブさせて負荷をモニターし、コントロールする。
できるだろうか。――やってみせる。
遠隔操作用の探索子をひとつ、作る。ぎりぎりまで意識を載せてできるだけ繊細なハンドリングができるようにした。ケイさんと片方の掌を合わせる。大きい人の胸に頬をあて、目を閉じた。私の意識がアンカーと接続するなじみのある感覚が立ち上がる。後頭部の探索子を放射状にゆっくりと展開する。同時に遠隔操作用の探索子をケイさんの心の中にダイブさせた。
風穴を落下しながら探索子が分裂する。一部は風穴の壁面、岩塊を這う木の根のような、蔓のような意識の繊維にかじりつく。残りはセノーテへ潜る。分裂を繰り返し、数を殖やす。うすぎぬのような膜の縁にとりつくもの、セノーテの白い岩のような壁面に付着するもの、記憶結晶の裏側に潜るもの、深海底の入口にあるいそぎんちゃくのような煙突につくもの、それぞれの持ち場に落ち着いた。
「始めます」
「ああ。――すまない。詩織、ちょっと待って」
ケイさんがまだ開かれていない文書をしげしげと眺めている。感覚を通じ、そんな気配がする。
「これは――師匠が並べたのか? それともきみが並べ直した?」
「嵐太郎さんからお預かりしたときのままです」
「なるほど。――師匠の注釈から先に目を通そう。すまないが最初はゆっくり」
「分かりました」
心の中でページを一枚、一枚、繰る。
「詩織、――ストップ」
「はい」
「まず師匠の並べた順番で進めよう。祟り神文書は後回しだ。記録の並びと師匠の注釈は対応している。だから同時進行で読みたい。できるか?」
「やってみます」
ケイさんの指示どおりに記録と嵐太郎の注釈を並べる。記録は和綴じの古文書で、文字はかすれた筆文字のものばかりだ。感覚を通じケイさんが読み下したものと、嵐太郎の注釈が合わさり新しい文書をつくる。
「詩織、もっとスピードを上げて」
「はい」
作業エリアと別に設けた私の心の中のバッファに新しい記録が積み重なる。作業エリアと遠隔操作用の探索子に意識を多く回しているのでバッファはその分手薄だ。こまめに記憶野へ格納しなければすぐいっぱいになってあふれてしまう。
集中しろ、私。無理じゃない。いっぺんに全部やれ。
左腕の奥で契約錠が軋む。ケイさんの心の中で、風穴の壁面を這う意識の繊維がじわ、じわわと波が打ち寄せるように光りはじめた。
「もっとスピードを上げて」
「――でも」
「きみの探索子で俺の作業を加速させることもできるだろう?」
「でも」
「いいから、やるんだ」
ケイさんの処理速度が上がっている。私が遠隔操作で後押しするのを上回るペースで作業を進めている。風穴の壁面を這う蔓状の繊維の輝きが速度を増し、熱を持ち始めた。セノーテもいつもと様子が違う。嵐の前の朝焼けのような、不穏な色合いに染まった泉の水がだんだんと温かくなってきた。壁面に埋まる記憶結晶がぎらぎらと光り、一斉に泡を噴く。




