第二十六話 敗荷(五)
分からないけれど何とかしなくてはならない。じゃあ、何から――。実験記録装置白梅が屋敷のどこにあるのか、どんな形をしているのか、それをどうやって破壊するのか。何も分からない。
再生してみちるさんから姿を変え、もう家族として欠くことのできない小梅の身体から白梅を引き剥がすことはできない。それが小梅の死をもたらすから。
白梅が憑依しているボディは三十年から最長六十年の周期で再生する。小梅の再生はあと数十年先になるということだ。
「あと五十年、六十年――いや、」
今から子どもを産んで育てるのに二十年、乙女を新たにリクルートしなければあとは老齢の真知子さんを見送るだけだ。嵐太郎とケイさんは長命種だけど、今までも白梅荘の外で暮らしてきたのだもの、なんとかなる。おそらく私から生まれる次の世代はハイブリッドコードが薄い。なんとか異能とかかわりのない人生を歩ませることができるかもしれない。まず私自身の延命策を探ってそして――。
「次のチャンスは二十年、三十年後――」
目の前が暗くなった、そんな気がした。ほんとうに次のチャンスはあるのか。
祖父が白梅の正体を知り、その破壊方法を知っていたとしても、知らなかったとしても、同じことだ、祖父にはできなかった。再生し、成長するみちるさんを育てた祖父は彼女に抜き針の儀式を執行できなかった。白梅を破壊することができなかった。祖父ができなかったのだから、私なんかができなくて当然じゃないか。そうして次々に先送りにしたら――。
「小梅は、白梅は、どうなってしまうんでしょうか」
乙女たちが、私が、長命種の二人がこの世を去り、小梅、あるいは再生後次の、さらに次の憑依体はどうやって暮らしていくのだろう。白梅と背中合わせに暮らすみちるさんそっくりの女性のために白梅荘を遺しておくべきなんだろうか。そしていつか憑依体が再生不能になったとき、残される白梅はどうするのだろう。どうなるのだろう。
再生直前の、一人で起き上がることもできないほど衰弱したみちるさんの姿と、青白い炎に灼かれて再生した小梅の頑是ない姿。ひとりであの再生を乗り越えなければならないのか。
そして憑依体の朽ちた後、ハイブリッドコードキャリアが滅びてもなお何かを、誰かをここ多々良が浜で待ち続ける――憑依体を失った白梅のイメージはやはりみちるさんや小梅の姿をしていて、私の心を締めつけた。
どうしたものか。
具体的に策を練ろうとすると心が考えることを拒絶する。じーちゃん、なんでこんな厄介な問題を遺したんだ。孫に丸投げするなよ。私がうじうじと祖父を恨んでいる間、ケイさんは今後打つべき手を考えていたらしい。
「いずれにせよ、白梅を将来どうするか、考えないといけない」
「ええ」
「他の拠点について調べてみよう。師匠が詳しいはずだ」
「嵐太郎さんが?」
「ハイブリッドコードキャリア専門の医者と名乗るのは伊達じゃない。師匠は百五十年以上、いろいろな拠点をまわり診療して経験を積んでいる」
「他の拠点の当主や管理者と話せるでしょうか」
「それは――」
ケイさんはほんの少しためらった。
「難しい。――師匠に確かめるまで断言できないがおそらく白梅荘が国内で最後の拠点だと思う」
「そうですか」
「それと――今まで聞いたことがないんだけど、白梅文書のようなものは遺されていないんだろうか」
「文書は――ありません」
「そうか」
私のためらいがどう受け取られたかは、分からない。こういうとき、私が目の前の人の心に踏みこまないことも知らないに違いない。きっとすべてを把握していると思われている。でもこうして何もかも分かっていると思われて、私は疑ったり遠慮したりして、いつも遠回りしてしまう。私はもうこの人を疑ったりしない。その判断が間違っているとしてももう構わない。
「物理的メディアがないだけで、記録していないわけではありません」
「どういうことだ?」
「バックアップは白梅の中にあるのですが、メインライブラリは私の脳内にあります」
「まさか」
「おそらく白梅が実験記録装置として稼働した初期からデータを受け取った初夏のころまでおよそ三千年分の記録がここに」
「そんな、どうやって、まさか――」
「脳内の記憶領域の拡張も私の異能なのです」
大きい人は痛みをこらえるような顔をした。
「精神干渉と治癒力だけじゃなかったのか。――記憶力の他にもまだあるのか」
「嗅覚の発達と戦略眼、のようなものも」
ケイさんの目が潤む。
「そんなにたくさん――」
「すみません」
おそらくケイさんの想像を超えた数だったんだろう。やはり延命は難しそうだ。
「何とかする。なんとかしてみせる。だから今度診察させてくれ」
「分かりました」
わなわなと震える大きい人の背中に手をまわし、呼吸が落ち着くまで撫でつづけた。
「そろそろ戻りましょうか」
「もうひとつだけ、報告しなければならないことがある。川向こうの盟主と呼ばれる男の屋敷で――」
ケイさんがいいにくそうに切り出した。
「千草さんの遺体を見つけた」
「……」
「すまない。連れて帰れなかった」
「じゃあ、まだそこに――」
「いや、もうない」
ケイさんはため息をついた。
「周平が燃やした」
「ケイさんは見たんですか」
「見た」
「まだ覚えていますか」
「簡単には忘れられない」
「じゃあ――」
「駄目だ。お願いだ。あの記憶は見ないでくれ。――おかしなことばかりするやつだがそれでも周平があんなに怒り狂うのを俺は初めて見た」
もう遅い。
* * *
薄暗い手術室のような場所で、周平が顔色の悪い男の胸ぐらを掴み、揺さぶっている。他にも白衣を着た男たちが二人、キャビネットにもたれかかって気絶している。
「なぜ棺を暴いた!」
「半年以上放っていたんだ、そっちに用がないんだったら研究に……」
「頭蓋は……開けたのか、まさか開けたのか……!」
「何もなかった。ただ穴が開いていただけで。普通の人間と同じだった!」
「俺たちは悪くない。盟主様のいう通りに滅魂丹の材料を……」
「どれだ、どれが千草なんだ! なんてことを……!」
刃物、顕微鏡、ランプがついた何かの機械、瓶に入れられた臓器、骨。
「ネズミ、外へ出ろ」
周平はポリタンクの中から液体のようなものをぶちまけ、ガスボンベの口を緩めた。
「ここにいると危険だ。外へ出ろ、ネズミ」
「周平、千草さんは……」
「あいつら、千草の契約錠を壊しやがった」
ケイさんの背中を押しながら周平は出てきたばかりの、蔵のような建物を振り返った。
「燃やしてやる。祟り神文書も何もかも、燃やしてやる」
ず、ずず……ずずず……!
揺れとともに鈍い地響きが地下から伝わり、轟音とともに蔵から火柱が上がった。
「大吾、すまない……」
細く絞られたスリット状の瞳孔に、揺らめく炎が映る。傷つき嘆く色が揺れているように見えた。
* * *
「俺、見ないでっていったのに……」
「ごめんなさい」
ぽたぽたと上から水が降ってくる。頬が接するくらい近くにいても、彼の涙が私の流すそれと混じり合っても、こうして勝手に記憶を暴いてしまってもやはり、こちらから伝えない以上、お互いの気持ちを理解できないままだ。
「ごめんなさい」
咽ぶ大きい人の頭を抱き、ごわごわとした髪を撫でる。
「一人で抱えないでほしかったんです」
「……」
「ごめんなさい。もう勝手に入ったりしません」
「いいんだ。怖かったろう」
不穏な光景であった。でも瓶に詰められた臓器や骨を見てもそれがおば様のものであるかどうかなど分からない。記憶の中のおば様の姿と違い過ぎるから。
恐ろしさや憤りを超えて不思議な気持ちになった。
「周平さんはおば様のお身体をどうしたかったんでしょう」
「分からない」
周平はおば様の契約錠にこだわっていたらしい。白梅が遺体を呑みこむのを阻み、秘密裏に川向こうの盟主のもとへ移した。しかし周平は連中に勝手に棺を暴かないよういい聞かせていたらしい。半年もそのまま遺体を保存させていったい何を待っていたのか。
頭の奥で何かがゆっくりと起き上がった。 記憶の封印が解ける兆しだ。記憶の錠前がかたかたと震え軋む、まだ始まりの微かなその違和感を身体が、心が拒絶している。
――駄目だ、分からない。
ケイさんの胸にすがりつき、なんとか震える体のコントロールを取り戻した。
白梅や真知子さん、嵐太郎にどう報告したものか。特に白梅になんといったものか。納得してもらえるだろうか。
当主の座を継いでから、失敗してばかりだ。
臼田青年一家の立ち退き。お久さんの死。川向こうの盟主の件。なんとかなったのは理沙嬢の抜き針の儀式くらいで、他はことが起きてからあたふたと火消しをしようとするから失敗してしまう。
――視界から色彩が失われ、ただ流れる血だけが朱い。
もうこんなことはたくさんだ。やっと得た家族を守るために私は何をすればいい。
高く澄んだ秋の空に答えはない。




