第一話 夜長(一)
帰宅後、昼食の支度をする前に、と嵐太郎を探した。
まだ会長職から解放されない真知子さんは今日も出勤している。だから嵐太郎は小梅の姿をした白梅とふたりで過ごしているはずだ。しかし白梅が私と起居を共にする梅の老木を見下ろす当主の居室にも嵐太郎の部屋にも、みちるさんが使っていた部屋にも姿がない。はて、どこへ行ったろうと首をかしげながら居住エリアのある二階の廊下を歩いていると、ケイさんがちょうど階段を上り、こちらへやってくるところだった。
「師匠は白梅と一緒にサンルームにいる」
「まあ。わざわざ知らせに来てくださったんですか」
「それもあるが二人とも眠っているから何か掛けるものを、と思って」
リネン室の棚からケイさんはみちるさんが愛用していたブランケットを取り出した。キャメル色がベースの古いその膝かけはきれいな青と緑が印象的な格子柄だ。青や紺色と緑の組み合わせはお久さんが好んで身につけていた。黙ったまま古ぼけたブランケットを撫でる私を急かすことなく、ケイさんは待っていてくれた。
なんとなく一緒にサンルームへ向かった。洗濯物を干した後に休憩してそのままなのか、カウチに仰向けになった嵐太郎の胸もとにしがみついて白梅が眠っている。
梅雨の頃には青く燃えるような花々を咲かせていた庭が乾き枯れはじめているのが窓越しに見える。日光のさんさんと降り注ぐ白い部屋。大きな窓で外気が遮断され、サンルームの中の空気がふかふかとあたためられている。幕や衝立のようにぶらさがる乾きかけの白いリネン。二人の身につけているシャツやワンピースも白。
溶けそうにまばゆい。
細身の青年とふくふくと丸みを帯びた童女の寝姿は光に包まれていた。ただ眠っているように見える嵐太郎の後頭部から一本の探索子が伸び、油断なく様子を窺うような仕草を見せている。入口にたたずむケイさんと私にいち早く気づいたらしい。探索子は興味を失ったように警戒を解き、伸びたり縮んだり、のんびりと宙に浮いて遊んでいる。
ケイさんがブランケットを広げ、横たわる二人を包んだ。嵐太郎がゆっくりとまぶたを開け、微笑む。声を出さず口の動きだけで「ありがと」というのに応えてケイさんも微笑んだ。白梅をしっかりと抱え直し、そのつむじに口づけてまた目を閉じる嵐太郎を残し、私たちはサンルームを後にした。
小梅、いや、白梅の自立心が旺盛だ。昼食の席で白梅がぴしり、と背筋を伸ばしていった。
「おやーたしゃま、白梅は元のお部屋に戻りとうございましゅ」
「元のお部屋?」
「あい。みちるの姿の頃に使っていたお部屋でしゅ」
「戻るも何もあそこはあなたのお部屋ですから自由にしていただいて構いませんよ?」
首をかしげていると、嵐太郎が口をはさんだ。
「小梅ちゃんがいいたいのは夜のことだと思うよ」
「あい。今は白梅がちゃんと動けるようになりましたので、おやーたしゃまの治癒能力も元に戻ったはずです。ですから夜、長時間くっついて治癒支援する必要がなくなりまちた」
「ああ、なるほど」
ケイさんが嬉しげにうなずいた。
「それでこの頃詩織の身体に痣が出ないんだな」
「からだにって……」
掴んだサンドウィッチをぼとり、と皿に落とし白梅がフリーズした。
「東京へ小旅行に行ったとき、街で人とぶつかっただけで詩織の身体に痣がたくさんできてしまったんだ。心配してたんだけど……あれ?」
ケイさんから目をそらすように「ごちそうさまでした」と手を合わせぼそり、とつぶやき、白梅が椅子から降りた。私も食堂から出る白梅の後を追い席を立った。
「五木くんあのさ、邪気がないのがきみのいいところだって僕は分かってるけどさ、何ごとにも限度というものがあるわけ。師匠としてはきみにもうちょっと配慮のできる大人になってほしいなあ」
と嵐太郎に説教されケイさんがしょんぼりしている。そうだ嵐太郎、もっといってあげて。たまには師匠らしいことをしてくれたまえ。
白梅は再生のその日までみちるさんが使っていた部屋にいた。寝室でベッドカバーを撫でている。
「――おやーたしゃま、あの大きい乙女にそこまで許しておいでなのでちたらなぜまだ」
「面目ない。すみませんね、白梅」
「……いいえ、よいのでしゅ」
「私たちは子を産まないと決めているわけではありません」
本当はその結論に至ったのはついさっきなんだが、全部が全部あけっぴろげに話せばいいというものでもあるまい。白梅は顔を上げ、振り返った。表情が明るい。
「それは……ようございました」
それでも白梅は複雑そうだ。
私は妊娠と出産によって余裕のない生命力を消費しきっておそらく命を落とすだろう。しかし三千年以上稼働し続ける実験記録装置としての白梅からすれば私などはただの遺伝子を運ぶ器に過ぎない。子を何人産めるのか、一人しか産めないのなら、産まれてくる子がハイブリッドコードキャリアなのか否か、男児なのか女児なのか、ハイブリッドコードキャリアであれば私、ケイさん、どちらの遺伝形質が発現するのか。白梅の関心は本来そちらに向かうはずだ。
白梅の揺れる目、複雑そうな表情には個人としての私を惜しむ色合いが見えるような気がする。自分がそう思いたいからそう見えるだけなのだろうか。
――白梅の心に踏みこめない。
人間の心と異なる障壁がありそうだから、その障壁にどんな危険なトラップがあるか分からないから、それもある。私たちは家族として短くない時を過ごしてしまった。白梅がどう思っているかは知らない。でも、私はみちるさんを小梅を白梅を、家族として愛している。
――白梅。
私がハイブリッドチャイルドであるかもしれないと気づいているのだろうか。目の前の幼い子どもに宿る人工物を破壊しようとしているのを知っているだろうか。私は、白梅は、お互いの手の内を見せない。ただ必要な情報を共有するだけ。
「おば様の、先代当主の件ですが」
川向こうの盟主邸でケイさんが周平とともに目にしたことをかいつまんで聞かせた。
「燃やした……? 先代当主を?」
「ええ。解剖してしまった後だったそうです。あの二人は獣化してしまうと棺などを持ち運ぶことができませんから。あの者たちがいじりまわすぐらいなら、と考えたのでしょう」
「そうでしゅか。……しかたありません」
白梅はうつむき、ぽろり、と涙をこぼした。
「かしこく、うつくしい乙女でした」
「……そうですね」
声を立てずに泣く白梅を抱き、落ち着くまでその小さな背を撫でつづけた。




