第二十五話 敗荷(四)
愛があれば何でも許されると思うな。そう声を大にしていいたい。私がひ弱なんだろうか。ケイさんのこのぎゅうぎゅう抱きつぶし攻撃がほんとにこたえるんだが。果たすべき義務がどうのこうの、生命力限界まで異能をぎちぎち詰めこんでるの何の、そういうこと関係なくいずれ圧死とか窒息死とかしそうだ。
「ケイさん、力加減、なんとかなりませんか」
「……努力する」
「私、死んじゃう」
「困る、それは困る」
「じゃあ、もっと丁寧に扱ってください」
「分かった。丁寧に」
ぶんぶんと首を振ってケイさんがうなずく。素直に反省するのがこのおっさんのいいところなんだけど、その反省が活かされたためしがないってのが困る。
ぐったりしながら大きい人に説教をかましているここは蓮池のある神社の駐車場、ケイさんの車の中である。以前小旅行の際に盗聴器だのなんだのを徹底排除したとケイさんはいっていた。
「ここしばらくその手のちょっかいは出されていない。今日もチェック済みだ」
「それだったら最初から車の中で話せばよかったんじゃ」
「……それもそうだ」
でも、やはり外に出て見てよかったんだと思う。
荒みさえ見える秋の蓮池。はちすから種がこぼれ落ち葉が破れ朽ち、大きな花を支えていた太い茎が傾ぎ折れる。花の咲いていた頃は雛だった軽鴨や鷭は大きく育ち、どれが親でどれが子なのか、見分けがつかない。
円環をなす命の営みをこの目で確かめることが私には必要だった。花のない蓮池を見に来てよかった。そう思う。
「ところで、『女王』って何なんです? さっきはよく分からないまま安請け合いしちゃったんですけど」
「や、安請け合いだったの?」
「だって、『女王』が何か知らないんですもの」
運転席に座る大きい人の肩に頬を寄せ目を閉じると、苦笑する気配がした。
「『女王』は祟り神の子孫である獣化異能者の嫁のことだ。俺たち獣化異能者は女王に対するように唯一人のパートナーである嫁に忠誠を誓えと教えられる。周期的に凶暴化して人間社会の規範から外れがちな獣化異能者だが、『女王』は人間社会とのかすがいになってくれる存在だ」
大きな掌が私の頬を包む。まぶたを開けて視線を合わせる。やわらかく細められた切れ長の目に宿る光が揺れる。
「『女王』を得ることができず、少しずつ凶暴化の周期が短くなって、どんなに抑えようとしても俺はゆっくりと狂いつつあった。人とつながらなければ生きていけない。それなのにこのままでは狂ってしまってきっと、大変なことになる。でもやっと」
ケイさんがゆっくりと親指で私の唇をなぞる。
「やっときみに出会えた。――詩織、お願いだ。俺の『女王』になってくれ」
ケイさんは最初からこうだ。
パーソナルスペースはまるで無視、がんがんぐいぐい押してきて内も外も関係なく堀があれば飛び越え、壁があれば突き崩し、心の隔たりなんてものともしない。そのくせ、こうして思い出したように弱気になる。
――もう「女王」扱いしているくせに。
そう混ぜっ返したい気持ちもあるけれど、そうしない。今までの不意に見せる弱気な態度と違う。プロポーズのようなロマンチックなアプローチでもない。もっと切実な何か。
「いいですよ」
これはきっと契約なんだろう。
どちらかというと振り回されている私のほうが下からついていくような気がするけれど、ケイさんからすると私は「女王」なのだろう。大事にされている、それは最初からずっと変わらない。抱きつぶされたり針毛で刺されたり、べたべたさわられたり、首写真を撮られたりするけれど、出会ったその日から一貫してこの人は
――俺の「女王」になってくれ。
そういいたかったのだろう。感極まってまた力加減を見失い私を抱きつぶす大きい人の腕の中で、字義どおり窒息しそうになりながら、腕をばっしばしタップアウトしながらそれでも私は幸せな気持ちになった。
――いいですよ。あなたの「女王」になりましょう。
何度でも大きい人の求めに応えよう。この人が私なしに人の姿を保てない、人間社会につながっていられないと思うのならば同じく私もまたケイさんなしに生きていけない。何度でもこの人との契約を上書きしよう。でもその前に腕の力を緩めてほしい。マジで窒息しそう。
「優先順位を修正します。今まで小梅最優先で過ごしていましたが、同じプライオリティで私自身の延命策を探ります」
呼吸が落ち着いたところで私は宣言した。
「目標は長生きです」
「うん。そうしよう。それがいい」
「あなたもです」
ケイさんは首をかしげた。かわいい。おっさんのくせに。大型齧歯類に変身したところを見たからますますかわいく見える。くううう、リアルファーのもふもふ感触を堪能したい。
「もう充分長く生きたなんて思わないで。少しでも長く一緒に」
「分かった」
大きい人が微笑んでいる。頬ずりする感触でそれが分かる。私の頬も緩む。
「もうずいぶん前にこの方向に舵を切っていたんですが改めて――私、祖父から受け継いだ義務を果たすことができないと思います」
「そうか。それはきみの寿命の問題だけでなく?」
「だいたいは寿命の問題なんですが、それよりも憑依体であったみちるさんのボディを再生させたことのほうが要因としては大きいです。憑依体と白梅とを分離させたほうがたやすかった。義務を果たす――実験記録装置白梅を破壊するためには」
いつからだろう。幼いころに記憶が封印され、つい最近まで忘れていたはずなのに、最初から私は分かっていた気がする。
――実験記録装置白梅を破壊せよ。
乙女たちに囲まれ久々に家族を得たような気になって、冬から春、夏を経て、自分の中の記憶に気づかないふりをしたくせに、それでいて常に屋敷の中の白梅の気配を探っていた。
白梅。三千年前からこの地にあって人々の歴史を見守り、この六百年は再生するみちるさんや小梅たちのボディを憑代にし続けた白梅の正体を見極め、破壊するための策を無意識下で練り続けていた、そんな気がする。
あの再生の夜以降、白梅と憑依体である小梅を引き剥がすことができなくなって、祖父から受け継いだ仕事に失敗した。
「でも、なぜでしょう。私、とても気が軽くなった気がします」
「詩織――」
ケイさんがまたぎゅうっと私を抱きしめた。
「それでいい」
「でも――」
「前にもいったが、大吾さんの時代とは状況が異なる。大吾さんはこんなに急激に乙女が、ハイブリッドコードキャリアが減る事態を想定していなかったんじゃないか」
「――そうでしょうか」
そうは思えない。祖父が実験記録装置を破壊しようと目論んでいたことは分かった。でも何のために、どうしてそれが必要なのか、今もまだ分からない。
「確かに大吾さんは優れた人だったと聞く。だからといって彼の描いた未来が今と合致するとは限らない」
何かが、まだ何かが足りない。義務を果たすことを放棄した先に何が起こるのか、イメージできない。封印の解けていない記憶がまだあるからなのか。異能の一つのはずなのに、戦略眼がはたらかない。
「――駄目です。分からない」




