第五十四話 生きたいと願う心
ますます、その真相がわかりません。
「彼女の血は吸血の度に変化するの。吸血鬼の唾液と混ざって、その主にしか感じ取れない血になっていく。それは何も味だけじゃない」
「すると?」
「本来は数十年掛かる適合の年月がほぼゼロになる。混ざり続けることで貴方の血は私の血に溶け込めるように進化していく。その速度は加速度的で急速にね」
「……つまり特別だと」
「そう。記述にもあったはず。盟約の際限直前に血を携行し始めて、タッチの差で助かったって先祖様がいたって」
記録者の誇張表現かも、とは口が裂けても言えず。
「だから光莉の境遇を聞いた時、私はそれを思い出して血眼になって探し回った。そしてあのホームに現れた」
「……アレは偶然じゃなかったんですね」
不意に出た言葉で主様の瞳がガン開いて固まるのが分かりました。語ることすら憚られていたのだとやっと気が付きます。
「そう。偶然じゃなかった」主様がひ弱な声。黙りこくってから涙を頬に伝わせて、
「嘘をついていたの。許せないでしょう? それにあなたの血だけが目的で接触して、卑しいでしょう。生きたいが為に貴方を連れ回して血を吸って、醜いでしょう」
「醜くなんかありません」
きっぱりと答えました。私の眼には主様が醜くも卑しくもないからです。
「例え血が目当てだったとしても、ならどうして生きようとして今まさに正反対の事をしてるんですか?」
「……」
私の問い掛けに唇が引き結ばれました。
「主様は私を騙していたから、二度裏切ったから命で償おうとしたんですよね? 私が許さないって思ったから、許されないってことはすなわち私の事を想ってくださっているからですよね?」
血だけが目的だったら、あんな接触の仕方はしませんよね普通。多少慈悲があったのだとしても、許す許されない以前に私の意思なんて蔑ろにされているはずです。
なのに彼女はここで打ち明ける最後の最後まで、私を縛るようなことはしなかった。裏を返せば旅の最中かあるいは最初に私のどこかに惹かれてそうしたとしか考えられない。
理論立てて説明するのは難があるものの、要するにはそういうことです。主様は私が尊くて好きで大切で仕方がないのです。
「多分、主様は私のことを考えるあまり、勘違いをしていらっしゃるんだと思われます。私は主様が旅に連れ出してくれたおかげで自分の将来を塞がずに済んだ。貴方が血を好きになってくれたからクリスカを主様にしようと決めたのです。例え血が目当てでも、私が得た恩義や慈悲は変わりません。捨てられ続けた忌むべき血の私を好いてくださりありがとうございます」
ハッキリ言いましょう。私は主様が大好きです。正直、血が目当てだろうと私のような童顔な女の子が好きだろうと関係ありません。愛は盲目的と語られますが、まさにその通り。
むしろその実が大切で、前述のことなどきっかけに過ぎないのです。所謂入口。私という人間を好きになる門。順序なんてどうでもいい。
主様は私と逆だっただけのことでそれが拒む理由にはなりませんし、むしろ語ってくれたおかげで私の中で主様は私の事が涙を流して傷つくほど愛してくださっているという確証になります。
だからそれで傷つくとか辱められたとか全くなく、むしろ誇りさえ芽生えてきます。私はそれほど大切に扱われていた。揺るがない事実がここに現れたことで私の僅かに満たされなかった気持ちが凝固していきました。
あとは主様次第です。これでも本当に死ぬなんて事を言うのですか? 今思えば遠回しにそう詰問していた気がします。
「主様はやり残したこととか、まだやりたいこととかないんですか? 行きたい場所、見たいものや風景は? 生きてやれることがあったら、まだ間に合うはずです。私の血が貴方のお力添えになるのならこの命さえ望んで差し出す所存でおります。だから、話して下さいませんか?」
「……もっと」
私の眼を見て、最初こそ小声で語り始めましたが懇願するかの如く叫びます。
「もっと色んな場所に行きたい。もっと生きて旅をしたい。朝日が見たい。新幹線から富士山を眺めてみたい。寝台列車以外の旅がしたい。真夜中の世界以外を生きてみたい。だから、だから私は——」
ブレスのない独唱がフィナーレを迎えようと走ります。そして主様の魂の叫びは部屋に満ち満ちます。
「生きたい!」
私の願いでもあり、主様の願望でもありました。たった一つの簡単なことだけれど、叶え続けることが難しい願い。それは生き続けること、誰かの為に生きること。
私はそう願う主様を見て微笑みました。いつも私の手を引く誰よりも凛々しく一等星よりも明るい笑みがそこには咲いていたのでした。




