第五十二話 主を求めて
私の動向は湯楽屋を出た地点から調べがついていた。恍惚な灯りの仄明るい寝室で出されたホットココアに口を付けたときに聞かされました。
もし万が一、この屋敷に私が向かうようなら迎えなさい。
視線に敏感な私でも察知できない尾行と監視には驚きと悔しさを抱きましたが、やはり私の行動を的確に読んだ主様に感心しました。
「それで主様は?!」
思い出したように尋ねると、私にココアを出した私と同い年くらいの若い使用人の女性が扉の袂で険しい表情を見せ、沈黙します。
「答えられないですか……」
無言で首を縦に振って同意。多分、ここで給仕する方の中でも若年で、勝手なことは言えないのでしょう。もどかしい悶々とした顔で気持ちだけは分かる気がします。
ひとまずお礼を述べないと、思い立ち私は布団から出ます。
「まだいけません」
凛としていて優しい言葉遣いの制止。ココアを置いた私の肩を黒髪のショートボブを揺らしながら抑えて戻そうとします。
「助けていただいてありがとうございます。でも私には、まだやることがあるので」
這ってでも私は主様に面と向かって話したいと考えていました。だって、私の傍でずっとと言った途端に姿を晦ませたんですよ。またいついなくなってしまうか不安な気持ちと、黙っていた怒りの感情が私を突き動かしていました。
けれど気力も体力も雪に吸われていた私がそう素直に身体を動かせるはずもなく、結局ベッドと繋がれたように背を預けて古びた木目調の天井を見つめさせられたのでした。
この視線、この角度。最初に会ったときと同じです。最悪の出会いから私のお屋敷での出来事、初めて血を美味しいと言ってくれた主様の姿が脳裏を過ります。
寝台列車での悪戯や私をパーティーから連れ出して夜空を見に行ったこと。懐古が涙になって溢れ出てくると、主様以外に見せたくないと思い枕に顔を埋めました。
僅かに落とした涙を見逃さず、
「少し席を外させていただきます」
と言って、若い使用人の方は部屋を出ていきました。
別れは一つの始まり。ですが永遠に話せない、会えない、存在が消えてもう二度とお目に掛かれないとあっては話が違います。
心から主人と呼べる存在の喪失にきっと私は立ち直れず、永遠に囚われてしまうでしょう。そんなのは絶対に嫌だ。何か手立てはないのか模索しようと頭を回しますが、ネガティブな感情が正常な働きを阻害して、スパイラルへ引き摺り込もうと必死に足を掴んできます。
ふと、その螺旋上から薫さんの声が手を差し伸べてきます。クリスカを救えるのは私だけだと。
何を意味しているのかは分かりません。ただ、その正体不明の言質にも縋らざるを得ないのが今の私。
塞ぎ込もうとしていた私を連れ出してくれて、旅の思い出も沢山作った。主様と過ごした記憶をただ並べているだけなのに、それは涙という血を感傷的な心から流させるには十二分すぎる凶器です。
だからこそ、次は私が救う番だ。当てのない無謀なことだと分かっていたとしても、私を生かしてくれたお方にこの血を捧げるくらいなら出来るはず。例え死ぬと分かっていても、人間は抗ってきたのだから、吸血鬼にだってそれが可能だと——人間を舐めるな。
枕から顔を上げて頬を叩きます。そして私が寝ていた寝室は虚ろな灯りだけが残った静寂な一室になりましたとさ。




