第五十一話 真っ白な光景
屋敷から見える景色は殺風景だ。夜な夜な降りしきり人の高さほどに積もる雪を眺め、あの雪が解けるころには私は灰になっているのだろうなという想像をし、柄にもなく走馬灯を過らせて涙する。
吸血鬼としての道筋は実に長かったと思い耽る。百年間、生を受けたのはまだ人々が世界を巻き込む戦争の惨禍の影もない頃だった。
現代のような電信手段なんて当然存在せず、列車の旅も新幹線は愚か電車ですらない。蒸気機関車が主流の時代。三十近くになった私は父と喧嘩して家出した。
喧嘩の理由は下らないものだ。時期遅れの反抗期とでも言えばしっくりくるだろうか。多分、今もそうなのだろうけど。
家の次期当主に据えようとする父の教育や方針が嫌だった。読む書物も勉学も趣味も、全て父が介入してきては、何かと口を挟む。
「これはお前の将来のためだ」
「立派な大人になって、吸血鬼や人間たちのために役立つ人になるんだ」
「私に従っていればお前は幸せになれる」
レールに乗せられた一生というのが癪に障ったから、鳥のように巣立って自由を手に入れようとした。
家出して初めて見た夜のことはよく覚えている。闇の短い夏、猛暑の小休止に輝く一等星と焼けて無くなる前の都会の明かり。茶色い電車が万世橋のレンガ高架を亀のようにゆったり抜ける光景に、乳白色のドレスを翻した。
昼間はかんかん照りの太陽を浴びないよう長距離列車に乗り込んでは旅行と洒落込んだ。そして辿り着いたのが当時まだ女将修行真っ盛りの美喜恵が働く宿『湯楽屋』で――出てくる思い出をやはり掘り返しては視界が微睡む。
ベッドの上で起き上がることすら億劫な身体を捩って立ち上がり、窓へ寄る。使用人は誰一人として立ち入らせてはいない。
そう命じた。ここには誰一人入ってはいけない。私の灰は持ち帰らず、この雪の中に散らせなさい。私が私であった痕跡は全て燃やしさない。
きっと光莉が私を見つける頃には既に話せる身も保っていないはずだ。伝えたいことは沢山あるけれど、私は私の生を締め括るのにこう言葉を書き残して深々とベッドに背を預けた。
裏切って、ごめんなさい——。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
マップアプリでピンが刺された方角へ振り向くと、赤い屋根を被った二階建ての古びた洋館がひっそり佇んでいます。外観は暗赤色の煉瓦の城は鉄路を掛ける列車からもその荘厳、冷厳とも感じる深雪のお屋敷は、周りに何もないからかどこか寂しくも思えます。
二次元的に表現したマップでも距離は計れ、直線距離で一キロは優に超えていました。比較的除雪されている県道や国道を使うと三キロはある。そもそもあのお屋敷までの道があるかさえ不確定的。唯一幸いなことはにわか雪だったのか弱まっていることくらいです。
虚ろ気な蒼と灰色に染まりだした刻、乗り継いできた列車から降りる濁声のエンジン音をがなり立てて駅を発車。一本の線路の片側にホームが据え付いているというとても簡素な無人駅に放り出された私をテールランプがせせら笑うように輝いてはたゆたう霧の中へ消えていきました。
もうすぐ闇が支配する。私は雑念を振り切って線路を渡って屋敷の方へととにかく歩き出しました。その選択肢以外ありませんから。
しかし十分もすれば灯りの届かない暗闇に様変わり。タクシーすら呼べない辺境の土地で、ただ主様を求める意思が歩を進めさせますが、当然無謀ともいえる行軍は瓦解を始めます。
極小の毛穴を釘で攻めるような寒さが体力を奪い、さらには山間ゆえの高低差に苦しめられて満身創痍、頭も働かなくなって思考も薄れてきました。
「主様……今——行きます」
闇雲だったから当然の結果ではありました。奥羽山脈の触りですが腐っても山、装備も無しで進もうなど大自然から言わせれば愚の骨頂です。
霞む視界、胡乱な意識で一歩一歩踏みしていきます。しかし予想以上に苛烈な環境での活動についには肉体が悲鳴を上げて膝から崩れ落ちてしまったのです。
雪上へ嫋やかに倒れた私。ここで死ぬのね。先に行っております主様。懺悔を口にしようとも微動だにせず、手の感覚も悴んで無くなっていきます。
死そのものが迫って眼を閉じようとした頃、一筋の光が寄って私の元で止まりました。
「光莉様、お気を確かに」
誰……? 脳内再生された声は届かず、意識が暗闇にぽつりと墜ちていきました。




