第五十話 クリスカの余命
「クリスカはもうすぐ死ぬんだ」
固まりました。まだ彼女の悪戯が続いているのかとも勘違いしてしまいそうですが、彼女の得も知れぬ恐ろしい形相からそれはないと私の内心が囁きます。
「死ぬ? 何かの冗談でしょう?」
しかしまだ捨てきれない、煮え切らない可能性があって聞き返してしまいました。
「死ぬんだ。クリスカはもうすぐ」
「……え? 流石の薫さんでもそんな冗談は許しませんよ?」
「冗談に聞こえるか?」
「ほ、ほんとなんですか美喜恵さん」
覇気が引き絞られた声色に美喜恵さんはただ頷くだけで、彼女も硬く哀愁すら覚える顔をしています。
「死ぬって主様が……あり得ない! だって吸血鬼ですよ? 永遠に近い命を持っている方なんですよ? 人間の数十倍と生きる彼女が、あんなにお若くして死ぬはずないでしょう!」
「光莉ちゃん、血の盟約ってご存じ?」
「血の盟約……吸血鬼が古参の眷属とが百年の節目で結ぶ契りですよね。知っています」
「そう。数十年と連れ添った眷属としか結べない盟約。クリスカはそれを結ばなければならない」
「ならない? でも吸血鬼は半永久の寿命を持つ。盟約は主様に見込まれて永遠を誓うもののはずです。絶対ではないはずじゃ」
「えぇ。確かに永遠を誓う盟約よ。でもそれは何も人間にだけ影響があるものではないの。交わさなければ吸血鬼は百を超えた最初の満月の夜に焼け死ぬ」
「は……満月、ですよ。夜の生き物である主様がそんなこと」
「美喜恵の言っていることは本当だ」
「ならどうして私に黙っていたんですか! 主様も薫さんも美喜恵さんも、どうして!」
「口止めされていたの。ごめんなさい」
ギラリと私は美喜恵さんを睨みます。謝罪で許されるはずない。主様の命に関わることを口止めされていたとは言え隠していたのです。
「でもこれはクリスカの意思でもあるの。
怒りや失望、恐れが綯い交ぜになって心を襲います。私の血を愛してくれた主様が、存在意義を与えてくれたクリスカさんが、私を好いてくれた吸血鬼が、いなくなってしまう。
そんなの認めない。世界がそれを許しても、私は奪うことを許した覚えはない。
二人にも腹が立っているけれど、何より主様が心配でいつしかそれも忘れて動いていたのでした。
無我夢中で主様を求めて走り出した私の後を薫さんが追いかけようとします。
「ちょっと」
「なんだ?」
「これ、クリスカの屋敷の場所。住所がなきゃ、辿り着きようがないでしょう」
「……恩に着る」
「気をつけていってらっしゃいな。あとクリスカに会ったら伝えておいて」
ファイティングポーズを取った美喜恵は拳を突き出し、
「次会ったらぶん殴る。こんな汚れ役させた借りよって」
「……わかった」
正直、伝えようか迷った薫さんでした。
田舎の電車は一時間に一本というのがざらで、無計画に飛び出しても駅で足止めされるのは必然です。案の定私は湯楽屋の最寄り駅で待ちぼうけを喰らうことになったのでした。
待合室で俯きながら待っている私に同じく電車を待つ人々の視線が刺さります。しかし誰も話し掛けようとはせず、静観するだけでした。
「時刻表くらいは調べてからにしろよ」
追いついた薫さんが開口一番にそう言いました。
「貴方も、私から幸せを奪うんでしょう?」
「……バカなこと言うな」
「ならどうして黙ってたんですか!?」
「どうしてって、クリスカに止められてたと言っただろう」
「それで私が納得すると思ってるんですか!?」
「納得って」
大声で詰め寄る私に薫さんは困惑した様子で言葉を詰まらせました。
真実であろうとなかろうと、私の沸々と煮え滾る怒りの感情は納得できなければ収まりません。主様本人に聞くことが出来れば最良ですが、何も言わずに出ていってしまったからこうなっているのです。
「ならお前はどうすれば納得するんだ?」
「主様から聞けば」
裏を返せば、お前達は信用に値しないと言っているようでした。冷静さを欠いていたとはいえ、この答えは不正解です。
しかし薫さんは意に介さず、メモ紙を見せつけました。
「クリスカの居場所だ。美喜恵が渡してくれた。あと」
「あと?」
「クリスカに次会ったらぶん殴ってやるって伝えておいてと」
「えぇ」
一気に冷めて苦い反応で返しました。
「わかりました。あの、さっきは八つ当たりしてすいません」
「良いんだ。取返しのつく過ちは若いうちに沢山した方が良い。大人になると責任とか体面とか体裁とか、余計なものが纏わりついてくる。身動き取れなくなる前に経験は積んでおくものだからな」
「……そういう薫さんって私と同い年じゃないですか」
「まぁ……な」
ありがたく受け取り、ここからは私一人でと薫さんに告げて切符を買います。
列車がホームに差し掛かり、扉が開いてお客さんの乗り降りが始まった折に私は急いで乗り込みました。
扉の前まで薫さんは付いてきて、
「達者で」
「また来ますよ。主様と二人で」
「……そういえばクリスカが気になることを以前言っていた」
「なんでしょう」
開いたドア越しの会話。発車ベルが鳴り響き焦燥感を掻き立てます。
「クリスカを救えるのは光莉だけだと」
「……なるほど」
ベルの次に笛。乗るか乗らないかの瀬戸際に立っていた薫さんへ乗るなら早く乗れ、さもなくば出すぞ、とでも言いたげなそれが終わると扉がゆっくりと締まります。
「美喜恵さんにごめんなさいと!」
籠る声を確かに聴いて頷く薫さん。そして景色が紙芝居のように横へ流れ始め、彼女は私が乗った列車の背に手を振ったのでした。
「恩人を頼んだぞ。光莉」




