第四十九話 夜逃げ
主様と契りを結んでから一か月。冷徹で熱烈な眷属としての日々が始まりました。
……と言っても、旅の最中でお世話をすることは殆どありませんでした。強いて言えば紅茶を淹れるくらいで。
進展と言えば、血を吸う量が前よりも増えたことくらい。嗜好品程度だった回数が一日三食をキッチリと取るようになり、以前よりも顔色が良くなったように感じます。
しかし私もまだ未熟とはいえ一端の使用人です。主様が血を美味しく頂けるよう運動もするようになったし、鉄分も以前に増して取る様になりました。幸いにも湯楽屋の近くにはコンビニが何件かあるのでそこでゼリー飲料を買い、毎食に足して飲むようにしています。
そのおかげか私も体力が付いて多少の吸血では眠らないようになったのです。凄い進歩ですよね。
お屋敷ではないですが、それはそれで主様の傍で役に立てているという充実感が心を満たしていました。ただ血を捧げるだけでも、主様にとったら数ある仕事の一つに過ぎなくても私のとったら涎を垂らして貪るように噛みつくその瞬間を幾度となく見られるのがとても幸せでした。
季節はあっという間に二月の半ばを過ぎて、春がすぐそこにまで迫ってきた某日。
——私の前から主様が消えました。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
集まったのは三人。薫さんと美喜恵さんと私。握っていたはずの手は解かれて、布団のシーツは剥されていて、荷物も全てなくなっていました。
「夕方目覚めたらいなくなってたんです」
普通なら音で気づくはずなのに、酷く疲れていたのか先に寝入ってしまって気づいたら私一人になっていて。
主様に合わせた生活リズムを刻んでいた私が夕方起きると、真っ暗な部屋に一人、ぽつりと残されていました。しばらく状況が呑み込めず、旅館中を探し回りましたがどこにもその姿はありません。
「どこへ行ってしまったのでしょうか」
「列車にでも乗っているんじゃないかな。クリスカってば気まぐれだし」
「そう……でしょうか」
美喜恵さんの言葉に何故か納得ができない私がいました。
だっておかしいです。驚かせようとするなら荷物まで引き上げる必要はないし、シーツだってまた使うのだから乱暴にでも敷いておくでしょう。いなくなるだけならそこまで丁寧に片づける必要性は皆無です。
これではまるで、
「夜逃げです」
誰かに逃げられたことなどなく、本やテレビでしかその事を知らない私が真っ先に出た言葉でした。
美喜恵さんは冷静にそれを飲み込むように聞き入った後押し黙り、薫さんはぼんやりと部屋を睨むように見つめています。
この二人は何か知ってるのではないか、とどこからともなく訪れる直感がそう囁き、私を衝き動かそうとします。
「薫さんは何か見てないですか?」
「……いや、わからない」
沈黙を置いてからの答え。薫さんの面持ちが険しくなって歯を食い縛るように口を強く引き結んでいます。
薫さんはきっと何かを知っています。主様が考えそうなこと、寝台列車での出来事を思い出して、もしかすると私の困る姿を視て楽しむ算段ではないかと過ります。
「わかりました」
私は黄色い笑顔で二人に向き直りました。
「二人とも主様と何か企んでいますねぇ」
腰に手を当てて、前屈みになりがなら聞きます。美喜恵さんはすぐに首を振って、
「いえいえ。何も企んでないわよ」
はぐらかしますが、そんなはずがあるわけないでしょう。しかし薫さんの訝しんだ表情は全く解かれず、逆に緊迫感が増していきます。
「光莉、落ち着いて聞いてほしい」
「薫?」
「もう隠し通すのは無理だ美喜恵。口止めされていたが、光莉には知る権利があると勝手ながら思う」
「うんうん。薫さんがついに白状しますってよ」
「実はな光莉」
したり顔でいると薫さんが私の瞳をマジマジと見つめて言います。




